#77
平成18年
8




このページは、色々な方にご協力いただいて、
唐津のおみやげ話をお伝えするページです。
バックナンバーもご覧頂ければ幸いです。


#1 御挨拶


 八月がやってまいりました。九州はお盆の月です。毎年この月は、亡きひとを偲ぶページにしています。しばらくおつきあいください。

 今回は前にも何度か書いております、市丸利之助海軍中将に関することです。市丸中将に関する予備知識が必要な方は、先に前のものをお読みいただければなおありがたいと思いますが、簡単に申しますと、唐津出身の海軍中将で、太平洋戦争の末期、硫黄島の海軍司令官として戦死したかたです。玉砕を前にして、ルーズベルト大統領あてに手紙を残されました。以下が私が中将に関して書いたバックナンバーです。

     *市丸晴子さんのおだやかな日々ー 平和を願って
     *奇跡の刀     
     *インターネットが起こした四つ目の奇跡
     *57年目の郵便配達


 平成18年7月8日(土)に、佐賀県立美術館ホールで、東大名誉教授 平川祐広先生の講演会がありました。内
出版された利之助伝
容は、「米国大統領への手紙ー海軍中将市丸利之助の生涯」ということで、平川先生の同名の著書(新潮社版)がこの度佐賀県の出門堂より「市丸利之助伝」として改定出版されたことを記念する催しでした。今度の出版には、時をあわせて、「市丸利之助歌集」も同じ出版社から出されています。

 市丸中将は、与謝野鉄幹、晶子の主宰する文芸誌「冬柏」に柏邨(はくそん)という号で歌を寄せた歌人でもありました。今回の出版は、平川先生の強いお勧めで、長女の市丸晴子様が父上の全歌集を編まれたものです。

 
 平川教授
平川先生のご講演は、この中将の歌集から歌に添って中将の生涯を辿っていくもので、時に絶句し、涙をこらえながらの感動的なご講演でした。特に、会場からの質問に答えて「取れば憂し取らねばものの数ならず捨つべきものは弓矢なりけり」という古歌を引用して答えられた日本のとるべき道への示唆は、気迫にみちたものでした。2時間のお話が終わって拍手はなりやまず、下壇なさる平川先生が何度も足を止めておじぎをしなおされるほどのカーテンコールでした。

 講演終了後には、場所を移して「市丸中将を偲ぶ会」が行われました。40名ほどの関係者が集って、市丸中将の3人の娘さんたちと平川先生を囲んで、静
向って左から、三女美恵子、次女俊子、長女晴子さん
かなひと時でした。参会者が何人かスピーチをし、平川先生にせきたてられて、わたくしまでがお話をしました。私は市丸中将の奇跡の刀のことをお話しましたら、ここでもまた平川先生は涙をぬぐわれました。

 以下に、中将の歌集から何首か引きます。私が驚くのは、爆撃に出た機上でさえも、中将のこころが静かなことです。また、部下を思う気持ちが強くあられることも胸を打ちます。どうぞ、中将のお歌を、鳥の目のように俯瞰しながらお読みください。そしてもしお暇がおありでしたら、上に書いております四つのバックナンバーをもう一度お読みくださって、太平洋戦争当時、このような軍人がいたこと思い出していただければ、ありがたいことでございます。

 





市丸利之助歌集より
あさみどり空澄みわたる支那の秋楊(やなぎ)の色はなほ衰えず  昭和十五年
生絹とも綿ともつかぬ雲流れ機影とともに虹走るかな  重慶爆撃 昭和十六年
その肩を敲き自爆を命じたる友の写真に揺らぐ香煙          昭和十六年
やよ三郎隊長さまが見えたるぞかく媼(おうな)いふ生けるが如く  昭和十七年
いみじかる戦果なれども二十一機は自爆せりあたら若武者     昭和十七年
勇ましき機上戦死ぞ然れどもぬかづけば只涙溢るる          昭和十七年
七星と南十字の向ひ合ひ半月高し島のあかつき            昭和十八年
十余年前に死したる飛行兵生きてありきといふ夢をみぬ        昭和十八年
夢に見んわが養ひし飛行兵少なからぬが亡せにける今        昭和十八年
少女らの父また兄は捕はれて日本に在りその踊る日も        昭和十八年
眉目(みめ)殊にすぐれし君が写真据ゑ前に父君母君と在り     昭和十八年
大陸に太平洋に勇ましき部下を死なせつ我れいまだ在り       昭和十九年



 市丸中将
 中将のお歌は、毅然として立つ軍人としての歌、反面、空に散った教え子の若鷲たちを思って涙する歌、家族愛に満ちた優しい父の顔、源実朝に学んだ自然詠などがあり、ことのほか富士山を憧憬した80余首は、絶唱だと平川先生もおっしゃいました。他の自然を詠んだ歌もたいていは飛行機の上から見たパノラマのような視野の広いお歌であり、当時の日本人には簡単には見ることのできなかったであろう、ハイビジョンの地球紀行のような趣です。

 私が特に注目するのは、南の島を日本軍が占領して土地の男達を捕らえて日本に連行したときでさえ、島の娘らに踊らせながらも、その父や兄たちを日本が連行したことに胸を痛めておられることです。そのように思いやりのある司令官がいたことに、私は救いを見るのです。

 戦後60年以上が過ぎましたが、もしかして今はまた、ふたたび「戦前」なのではないかと、北朝鮮のテポドン発射のニュースや中東の状況におびえながら考えています。

 どうぞ、お宅様のお盆が静謐なものでありますように。お迎えになるみたまが安寧でありますように。



     天空の青と大地の紫と富士の白雪まじはれる朝
     夕暮れの富士の色こそめでたけれ地肌は縹(はなだ)雪は桃色     昭和十九年





今月もこのページにお越しくださって
ありがとうございました。
また来月もお待ちしています。


洋々閣 女将
   大河内はるみ


      メール