このページをご覧くださっているあなた様にご挨拶もうしあげます。
私どものような百年の古い旅館にも、新しい時代は参りますようで、すでに七十路の女将に六十の手習いを余儀なくするとは、なんとまあ、きつい社会の荒波でございましょう。
ともかくも、四角い箱に向かって、老眼鏡を上げたり下げたり、頭痛と肩こりに悩まされながら、それでも内心は少しワクワクもしながら、ホームページとやらに取り組んでおります。 手作りで頑張っておりますので、お見苦しいでしょうがどうぞお許しくださいませ。
平成12年4月に立ち上げて以来、見ず知らずのかたからいろいろとホームページの作り方についてメールをいただき、教えていただきました。誠にありがたいことでございます。お蔭様で少しずつ、慣れて参りました。あまり進歩はいたしませんが、頭痛は少なくなってきました。また、平成16年4月には諸般の事情でドメインを取り、引越し作業をいたしました。リンクミスなどいろいろございましょうが、だんだんに直していくつもりですので、どうぞお見限りなく、よろしくお願いいたします。
洋々閣は明治の中頃、唐津が石炭の積み出し港として大いに栄え始めた頃から、この地に暖簾を守っております。まだ唐津町と合併する前の満島村(みつしまむら)のここらあたりは、新築町と呼ばれておりました。その新築の建物群がもうほとんどなくなってしまったなかで、私どもは時代に取り残されたままに、古いタイプの旅館を続けております。
四代目当主である主人にもいろいろと迷いはありましたが、お客様の「守れ」というお言葉を支えとして、コンクリートにはいたしませんでした。
古さを生かした補修を模索しながら様々の出会いの中で現在の姿になりました。設備の点では、新築の近代的なファシリティにははるかに及びませんが、どうぞ、引継ぎ守る心をお汲みとりいただきまして、お許しくださいますようお願い申し上げます。
その分せめてお料理は豊富な海の幸を満喫していただきたいと、心をこめてあつらえさせていただきます。とりたてて何ということのない旅館でございますが、静かに日頃のおつかれを休めていただけましたら、幸いと存じます。
平成28年より息子の正康が旅館の仕事を引き継ぎました。洋々閣五代目としてどのような宿をつくっていくのか、まだ本人も模索中でございます。若女将も旅館に入り、見習いを始めました。お客様との出会いの中で成長していくことを願っておりますので、どうぞ末永くご贔屓を賜りますよう、お願い申し上げます。私ども夫婦もまだ完全引退というわけにはまいりませんようで、毎日仕事はいたしておりますので、どうぞお声をおかけくださいませ。
この女将のページには、今後色々な唐津のおみやげ話など、又、ユニークな唐津っ子などに登場してもらったりして、楽しいページになりますように努力いたしますので、時々覗いていただければうれしゅうございます。
お読みいただき、ありがとうございました。
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