#145  2012年4月

このページは女将が毎月更新して唐津の土産話や折々の想いをお伝えします。
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女将ご挨拶#1


豊臣秀吉

こんにちは。
春が来ると唐津城にはサクラ、ツツジ、そしてフジが咲き誇ります。近くに住んでいてもなかなか登らないお城ですが、花の便りを聞くと気持ちが動きます。城山に登って、花を見、はるか昔のつわものどもの夢の跡をしのびたいものです。
今回は、以前に唐津藩主見聞録を書いていただいた河内野信恒さんに再登場いただいて、唐津の歴史のお話を伺います。
どうぞごゆっくりお読みください。



今も唐津に残る天下人の足跡
河内野信恒
※唐津んもんだより(唐津観光協会・http://www.karatsu-kankou.jp/)より加筆再編集



 かつて秀吉の野望がもと、全国の名だたる武将が勢揃いした大陸への前線基地、名護屋城。

当時の城の雄大さを偲ぶことができる名護屋城の石垣。
 “豊臣秀吉”、言わずと知れた天下統一を果たした戦国大名。この秀吉と唐津、あまり繋がりがないようですが、彼の晩年において唐津は切っても切れない関係にありました。
 秀吉は、朝鮮・明・天竺(インド)の支配を目指す際の前線基地として、大規模な築城を考えていました。小西行長と唐津藩初代藩主・寺沢広高の進言により「築城には、肥前国名護屋が最適」と判断した秀吉は、松浦党波多三河守親の家臣・名護屋越前守経述の居城だった垣添城を大改修することにより名護屋城を築かせました。

 築城は九州の諸大名を中心に“割普請(分担作業)”によって、わずか5ヶ月間で当時の大坂城に次ぐ巨大な城を完成させたといわれています。徳川家康、前田利家、石田三成、上杉景勝、伊達政宗など、日本史の教科書にもでてくる全国の主だった大名のほとんどが名護屋に集結し、城を中心とした半径約3km圏内に、120~130もの陣屋が築かれました。



唐津城で出土した金箔が張られた瓦片。
飾り瓦の「しゃちほこ」のひれの一部とみられる。
 1592年4月には秀吉も着陣し、最盛期には人口20~30万人にもなったといわれる名護屋城下、ここから10数万の兵が朝鮮へ渡り、激しい戦いが繰り広げられたといいます。わずか5ヶ月で誕生したこの巨大な軍事都市は、1598年秀吉が壮大な野望の半ばで死去し、日本軍が朝鮮から撤退を始めたため、6年余でその役目を終えることになります。 国の特別史跡に指定されている現在の名護屋城跡、その随所に残された石垣に当時の城の雄大さを偲ぶことができます。

 
 寺沢広高が築いた唐津城(1608年)の建築資材は、この名護屋城の解体資材を用いたといわれています。2009年にその通説を裏付ける瓦片が唐津城で出土しました。見つかった瓦片は約1000点、中でも金箔が張られた瓦片は秀吉の権力を示す貴重な史料とのこと。秀吉は、金箔瓦の使用を重要な軍事的拠点等に限定していたそうです。瓦片は、飾り瓦の「しゃちほこ」のひれの一部とみられ、表面に彫られた溝などに金箔が残っていました。金箔が張られた瓦片は、2011年の調査でも見つかっています。





                                                               

 他にも西寺町にある最後の唐津藩主小笠原氏の菩提寺、近松寺(きんしょうじ)の山門は名護屋城の門の一つを移築したといわれています。


名護屋城より移築したといわれる近松寺(きんしょうじ)の山門。
近松寺では、唐津藩主小笠原氏の資料館や人形浄瑠璃作家、近松門左衛門の墓なども見ることができる。


 また、新町の正圓寺(しょうえんじ)では名護屋城より“太閤の居間”を移築し、座敷に使っていたといわれていますが、現在は、その「釘隠し」(柱に打った釘の頭を隠す装飾金具)のみが残されています。。
 
      
正圓寺に伝わる“太閤の居間”に使われていたという豊臣秀吉の家紋を模した釘隠し。正圓寺も唐津城の築城に伴い、名護屋城下より現在の場所へ移ってきたといわれている。天保2年(1831)に書かれた正圓寺の古文書にも、太閤秀吉公より名護屋城の居間を譲り受けたことが記されている。

 お城以外にも名護屋城北部にある法光寺の“太閤秀吉お手植えの桜”は、伊達政宗が自国より持参した陸前塩釜(宮城県塩釜市)の八重桜を、秀吉が自らの手で植えたと言われています。樹齢400年を越える高さ約7m、幅約11mの巨木で、夜間にはライトアップされ4月初旬の満開時期は、観光バスも立ち寄る名所となっています。
伊達政宗が自国より持参した陸前塩釜の八重桜を、秀吉が自らの手で植えたと言われてる“太閤秀吉お手植えの桜”。





 




 いかがでしたか。唐津って、スミにおけないでしょう?たいした歴史があるのですよ。どうぞ法光寺の桜に会いにお出で下さい。河内野さんには、またいつか書いていただきます。お楽しみに。
また来月。



  今月もお越しくださってありがとうございました。
  また来月もお待ちしています。
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