#132
   2011年3月

    

    #1 御挨拶
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諏訪神社の釣り灯篭



唐津市浜崎の諏訪神社
諏訪姫伝説― 


 春が来ましたので、私も久しぶりに唐津のご案内をしてみようと思い立ち、今回は浜崎の諏訪神社をお訪ねしました。浜崎はつい数年前までは唐津市の隣町(佐賀県東松浦郡浜玉町)でした。今は合併で唐津市に含まれています。虹の松原をはさんで東側(福岡寄り)が浜崎で、西側が唐津市東唐津、すなわち、洋々閣のあるところです。洋々閣を出て東に向かい、5キロの虹の松原を数分で走り抜けたところから道を右にそれて新しいバイパスに入るとすぐ左にこんもりと茂る杜がみえます。そこが浜崎・諏訪神社です。隈本次義宮司様は高校の同窓で、お訪ねしたときに丁度おいでになって、久しぶりにご挨拶しました。許可を頂きましたので、諏訪神社のご案内をここにさせていただきます。この神社は「諏訪姫伝説」のために私が行きたかったところです。あまりに近いので、かえって後回しになってしまって、今頃書きます。おたのしみいただければうれしいです。







        諏訪神社由来
御祭神
  建御名方命
  天照大神
  諏訪前命
  延歴三年甲子十月二十七日御鎮座。宣化天皇の御代大伴狭手彦、新羅征伐戦勝祈願のため勧請せり。

特別由緒
   昔本朝鷹狩りを知らず。韓人斎来此の地に鷹を持ち来りて朝廷に献らんと請う。勅使諏訪の前、此の松浦の社頭にて鷹を受け取り諏訪大神の愛を給う所となる。或る時神鷹三本松と言える畠の中にて蝮の害にあう。大神怒り給い此の地より蝮を拂い除け給う。諏訪の前は責任を感じ自害し、郷人その徳を慕い合祀す。 斎来も此の地に客死す。末社に祭れり。 田畠に胡麻、小豆、麻 を作れり。故に此の地に此の三つを作らず。古来より社前に詣り神砂を乞いて蝮除の護符とす。

諏訪神社正面参道。
道路がこの参道の向かって左に平行に走っていますので、道路から見るとこの写真が正面ではありません。この写真の手前に鳥居があり、くぐったところから撮った写真です。
上の「特別由緒」にあるように、ここでいただく「お神砂(すな)」は蝮除けになると信じられています。蝮は、単にヘビの蝮でなく、種々の病気や害をなすものの意味になっています。
境内の案内図をご覧ください。


拡大写真
境内に祀ってある夫婦岩。55年ほど前に近くの野田という部落で「女岩」が夜毎にすすり泣くといわれ、先代宮司と村人が相談の上、諏訪神社に前からあった「男岩」に嫁入りさせ、その後鳴き声はきこえなくなったという話しである。「道祖神」として祀られ、その後、「縁結び」「夫婦円満」「子授け」の神として参詣者が後を絶たない。
御神苑の説明
 説明文拡大
広い御神苑。築山が諏訪姫を埋葬した古墳であると伝わっている。
諏訪姫とは、大和朝廷で身分の高い大矢田連(おおやだのむらじ)の娘で、百済から献上される鷹を受け取り、当時まだ日本には伝わっていなかった鷹匠の技術を修得するために勅使としてはるばる下って来た姫君で、百済人の鷹使い・斎来と身分の違いを超えて恋仲になったものの、大切な鷹を蝮に殺され責任を取って自害しこの地に埋葬された姫である。


現在の庭園は明治4年の造園。
堂々たる拝殿の右横からの写真。後ろの銅葺きの屋根が本殿。
文政10年に寄進された狛犬に弓がたてかけてあった。どなたが稽古をしておられるのか、聞きそこねた。そういえば、的も立っていた。
男岩・女岩の社の横のやぶつばきの下に、何かが祀ってあった。自然に落ちた椿の花か、まるでお供えのように水に浮かんでいた。
御神苑の前を右に行くと鳥居があり、扁額は「末社」となっている。おやしろは4つ並んでいる。
信心深い私は、全部拝みます。
向かって右から
天満宮
稲荷神社
道祖神
伊勢皇大神宮
末社の近くには藤棚。
また藤の時期にきてみたい。
桜もさぞうつくしかろうというたたずまいを見せる。見事な庭園である。
よく見ると、桜が芽吹きかかっていた。(2月20日)
境内では毎月第三日曜日に「盆栽の会」が行われているが、ちょうど説明があっていた。
この日は浜崎の商工会のみなさんの新年(旧正月)のお祓いの日だったようで、隈本宮司様が御講話中だった。ちょっと失礼して横から一枚、パチリ。
日本の社寺建築の屋根の曲線の優美さにはいつも魅かれるが、こちらはまた、ことのほか美しい。
祇園社参道前の説明文。
この祇園様に奉納する毎年7月の「浜崎祇園際」は、年ごとに造り変えられる見事な山笠と家ごとの椀飯振舞が有名である。

平成22年の子供山
何日もかかって作る山笠がくんちが済んだらすぐ解体されるそうで、もったいないような気もする。
子供山は1台で、大人の山は3台出る。山は裏から見ても見所の多い力作そろいだ。
開き始めた梅の枝に、おみくじが花のように結びつけられ、参道の奥に朱色の祇園社が見える。
隈本次義宮司様
拝殿には欄干手前の一対の鷹と中央の玉串奉奠台の後ろの鷹が他の神社には見られない独特の雰囲気を醸し出している。諏訪姫が神鷹を蝮に殺され責任を取って自害したのち神格化され諏訪前命(すわのまえのみこと)となってこの社に祀られてから、鷹匠の百済人・斎来は帰国命令にしたがわずこの地にとどまり諏訪姫の陵を守って数十年後に没した。
斎来の魂の鷹の飛翔が神前を警護しているようだ。
本殿の後ろには二つの小さいおやしろ。
奥の大きい方が「鷹社」、手前が「斎来社」。
ここでも斎来が背後から諏訪姫を守っている。この石の社は、韓国式だろうか。三河内の釜山神社でみた高麗ばばの社と似ているようにも思う。高麗ばばの方が屋根の反りがもっと急だったようだが。どなたか教えてください。
諏訪神社入り口の右横には宮司さんのお宅がある。神砂などのお守りはこちらでいただける。みなさん、佐賀県の鳥「カチガラス」の棲むこの鎮守の森で、受験にも、人生にも「勝つ」お守りをぜひどうぞ。

 いかがでしたか、浜崎諏訪神社詣では。
けえらん
唐津はいつも申し上げますが、朝鮮半島に近いので古来より往来の多いところです。それゆえに残る伝説も韓国とのかかわりが多いのです。万葉集にも歌われた松浦佐用姫は有名ですが、その同じ時期に、同じく大伴の狭手彦とのかかわりのある諏訪神社に、もう一人の悲劇の姫君がおられたのですね。今から1500年も前の唐津の海は佐用姫や諏訪姫の涙をたたえた瑠璃色だったのではないでしょうか。今日も、浜崎の海岸にはトビが舞っています。もう鷹はいないけれども、私にはトビがタカに見えます。空をみあげながら、道路を横切って、「けえらん」というお菓子を買って帰りました。浜崎名物のユニークなもち菓子です。おいしいんですってば。
それでは皆様、さようなら。また来月おあいしましょう。



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また来月もお待ちしています。



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