#58
平成17年1月



このページは、色々な方にご協力いただいて、
唐津のおみやげ話をお伝えするページです。
バックナンバーもご覧頂ければ幸いです。


#1 御挨拶




 円相 仙崖和尚筆
「これ食ふて茶のめ」
宇宙をサラリと饅頭に見立てて。



世界中みんなで丸くなろう。年の初めに祈りましょう。

テリー ウェルチのサンクチュアリ




 みなさま、明けまして・・・、おめでたくないかたが、たくさんいらっしゃると思います。昨年の世相を表す漢字は「災」になりましたものね。 なんとか元気をだしていただきたいと、心から念じております。祈りの気持ちを込めて、今回はテリー ウェルチのサンクチュアリをご紹介します。

 テリー ウェルチは、35年ほど前に日本に初めて来たとき、洋々閣を訪ねてきて、そのまま何ヶ月かいました。庭の松の間で毎朝プロ級のバイオリンを弾いたり、浜辺を散策したり、夜は主人の仲間たちに英会話を教えたりして過ごしました。その後、風の又三郎みたいに去っていきましたが、松籟とバイオリンとで会話していて何か感じることがあったのでしょう。日本の名園などにターゲットを絞って勉強し、そのうち「ジャパニーズ ガーデン アーキテクト」としてアメリカの北西部で有名になりました。東洋の書画の蒐集家としてもミュージアムを一つ準備しているほどの力量です。彼のコンセプトは西洋の哲学に東洋の神秘を加味したようなものだと、私には感じられます。彼のジャパニーズガーデンは、決して、一年中鯉のぼりが泳いでいるチャチな「もどき」でなく、陰陽などを考慮しての本格的なものです。でありながら、やはり植生や石などの風土の違いからか、どこか日本国内の庭園とはちがう感じがします。モネの睡蓮みたいです。

 毎年のように友人達を案内して洋々閣へ戻ってくるテリーは、わたくしの最愛のおとうと。今回、お正月号のこのページに、彼の聖域のことを書いてもらうように頼みました。ウェルチ サンクチュアリはワシントン州、シアトルの近くWoodinvilleにあります。 
 テリーと私の祈りがお苦しみのみなさまの心に届きますように。



 

        ウェルチ サンクチュアリ by t.r.welch

 私は1971年に洋々閣で暮らしたことがあります。大河内氏の友人などに英会話を教えていました。そのころ私は日本の文化に興味を持ち、特に日本庭園に惹かれました。1972年にアメリカに帰ってから、日本庭園の美を追求する仕事を始めました。盆栽のコレクションも始め、今では100以上の種類があります。1975年には父とともに田舎のほうに30エーカーの土地を購入しました。18世紀の英国の”自然主義的”な庭園に日本の庭園美の要素を取り込む目的でした。
 後に1993年になって月見台を作っているころ、私にひとつの発見がありました。それは、この地域に何千年にもわたって住み続けてきた先住民族の「スノカルミエ」という名前が「月の子供達」という意味だったということです。 それ以降、私は私の庭にスノカルミエの神話も取り入れ始めました。庭園は24エーカーの森林とクラスUの湿地帯の中ほどにあります。ビーバーが流れをせき止めて作った二つの池がありますが、たまたまビーバーはスノカルミエのトーテムだったのです。
 私のサンクチュアリには、禅ガーデン(石庭)、月見台、ビーバーの門(二本の彫刻の杉柱)、森を抜ける散歩道、月の門をくぐるとスノカルミエの人々を追想する山庭、そして土塀で囲んだ盆栽ガーデンがあります。

 それではひとつずつご案内しましょう。





Terry Welch

 THE ZEN GARDEN(禅ガーデン)

  30年以上前、私が洋々閣にいたころ、私は庭の美しさに打たれていました。松が好きで、植木屋さんたちがていねいに芽摘みをしているのを飽きもせず眺めていました。そのころはこの庭が唐津の名勝「虹の松原」と呼応しているとは気が付きませんでした。日本の多くの禅庭は、地理的な特別の関連性を取り込みます。それで、私が石庭を作ったとき、ワシントン州西部の二つの山脈、カスケイドとオリンピックを意識しました。砂利の部分は水で、ピュジェットサウンドを意味します。もっと広い意味で捉えると、この景色は宇宙から見た惑星・地球の姿です。私達は、陰と陽という二つの極である 山と水を持つ惑星なのです。


Zen Garden

 TSUKIMI (moon-viewing temple)月見台

月を崇める神殿を作るための建物を探していたときに、私はジャワ東部のクドゥスで精巧な木製の祭壇を見つけました。100年以上も前のもので、チーク材でした。私はそれを利用できるようにするために屋根とベランダをとりつけました。設置した場所は、湿地帯に深く入ったところで、月見のためだけでなく、野生の生き物の観察には完璧な場所となりました。 その突端から、ビーバーや、牛蛙、ジャコウネズミ、カワウソ、青鷺、鷲、梟、ミサゴ、トンボ、各種の雁や、鳴鳥たちが見れます。その建物へのアプロ−チには、茶庭の”露地”の概念を取り入れました。露地は、茶室にいたるまでの経路を踏み石で形成し、茶室につくまでゆっくり歩いていくうちに、雑念を払い、静かな境地になるというものです。




Roji and Tsukimi

 THE BEAVER GATE(ビーバーの門)

 スノカルミエの人々がトーテム(守護動物)としたのはビーバーでした。1940年代にこの山で行われた最後の開発からしばらく後に、ビーバーたちは流れをせき止めて小さな湖を二つ作りました。スノカルミエの人々はビーバーはもっとも人間に近い動物だと考えていました。なぜならビーバーは人間と同じことを三つするからです。まず、交通手段が水であること。スノカルミエは杉を刳りぬいた丸木舟でスノカルミエ川を移動します。 次に人間もビーバーも、丸木で作る住居に住みます。そして、両方とも、建築資材として木を伐ります。ここに今も棲むビーバーたちに敬意を表して、私は「ビーバー門」を建てました。それはアメリカ先住民ではない有名な彫刻家Duane Pascoが彫ったトーテムポールです。




Beaver Gate

 THE PLUNGE POOL: Tribute to the Snoqualmie people
(スノカルミエの人々に献じるプール).

 私はこの庭をスノカルミエに献じたわけですが、スノカルミエ川のここから20マイルほど離れたところに世界でも有数の滝の一つがあります。私は滝への道に中国の比喩として「月の門」を作りました。くぐってすぐ右側には日本を現す楓があります。この楓はもともと私の祖父が1946年の叔母の結婚の日にプレゼントしたもので、叔母の死後、いとこたちが私にくれたのです。 しばらく行くと、プールがあります。それは太平洋を意味します。そして遠くにスノカルミエのふるさとの滝がみえるのです。この庭を空から見ると、スノカルミエ族は太平洋を越えて自分達のルーツであるアジアの祖先を視ていたことを意味し、さらに、すべての人は「月の門」をくぐるだけでなく、その相似形であり宇宙の統一を意味する「円相」の中に入ることにより一つに結ばれることを示唆するものです。


Plunge Pool



Moon Gate

 THE BONSAI GARDEN (盆栽ガーデン)

 私の住居の近くには土塀で囲んだ盆栽ガーデンがあり、100種以上の木があります。私は30年以上前に盆栽を集めだし、園芸の世界に入りました。盆栽をそばに置くことにより、手入れの仕方を覚えてきました。気に入った並べ方で台の上に置いたりしているうちに、設計する庭園のデザインに昇華していきました。盆栽は私の子供達であり、そして子供が親の死後も生きていくように、この盆栽も私の死後も生きるでしょう。私はすでに30鉢以上もの、今は亡き人々によって愛された盆栽を受けついでいます。
私がサンクチュアリに暮らしてきてわかったことがあります。
それは、人は所有するのではない、守るのだ、ということです。わたしたちの所有物であるものは、この世に何一つないのです。もっとも良い守り手になれるかどうか、すべては私たち自身にかかっているのです。




Bonsai Garden



ウェルチ サンクチュアリの美しいたたずまいをごらんください。




洋々閣の庭についてのテリーのエッセイもお読みください。

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ありがとうございました。
また来月もお待ちしています。


洋々閣 女将
   大河内はるみ


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