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#237
令和7年1月1日 |
はらはらと黄の冬ばらの崩れ去る
かりそめならぬことの如くに ~窪田空穂~
チャールストン |
このページは女将が唐津のお土産話やとりとめもないおしゃべりをさせていただくページです。他の方の参加も歓迎です。バックナンバーもごらんください。
(2019年より、寄る年波で、年に数回の更新になりました。 取材や原稿、写真などを引き受けてくださるかたがあれば、いつでも更新いたします。お申し出をお待ちします。) |
明けましておめでとうございます。
本年もまたこのようにお年賀を申しあげることができますこと、うれしく、有難く、お付き合いくださる方々に心より御礼申し上げます。
新年早々から恐縮ですが、実は、昨年は、私どもには、悲しい年となりました。大切な人々を次々と失いました。今だに信じられない思いを引きずりながら、なんとか悲しみを胸に埋めて、自分たちのペースを取り戻しつつあります。
健康状態は、90歳の主人が眼を、80歳の私が難聴をと、日常に少なからぬ不便をきたしながらも、年相応に生きておりますので、どうぞご安心ください。でも、もし、今のうちに会っておこうと思ってくださる方がいらっしゃいましたら、どうぞ今年のうちに会いに来てください。2人とも記憶があやしくなりつつあります。どなたでしたっけ、と言わなくて済む内にお会いできますことを願っております。
さて、一年に一回しか更新できなくなったこのページに、今回は何を書こうかと悩みましたが、もはや郷土史などの知ったかぶりの種も尽きましたし、海外旅行もあきらめ、唐津のいいところ紹介さえも、
脚の弱い私は取材に出向けません。思い出話などはたくさんありますが、まわりの方のプライバシーを考えると、勝手には書けません。
それで、ごまかしに、「私の幸せ探し」について書こうと思います。もし、自分は幸せではないと思っていらっしゃる方がありましたら、どうぞお読みくださって、一緒に幸せを探しましょう。
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私の幸せ探し
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ずいぶん前に、 ある韓国ドラマで見たことですが、大変な目にあってショックから言葉がでなくなり、うつ病になった人に医者がこう言います。「毎日、日記を書きなさい。そして必ず五つずつ今日あった有難いこと、幸せなことを書きなさい。」
その人は、いいことなんか一つもないと思っていたけれども、書かなきゃいけないので何かないかと考えます。探せば少しずつありがたいこと、良かったことが見つかり始めました。幸せ探しが段々上手になっていくのです。こういうことも、ありがたいことだ、これもうれしいことだ、と。
それから私も五つとはいわないまでも、一つでも二つでも探してみようと思いました。日記は書いておりません、心の中で探しているだけです。それでもだんだん上達してきて、今では一日のうちに続々と小さな幸せが見つかります。
たとえば。
今日はお天気がよくて、青空がきれいだな、浮かんでいる雲も真っ白でふわふわ。雨なら雨で、木々や草たちがうれしそう。
庭にもう水仙が芽吹いた。夏に枯れかけたバラが、切り戻しておいたら、復活して、きれいな花が咲いた。チャールストンというバラで、咲き初めは黄色、だんだん真紅になります。
名前は知らないけど、小さい赤い鳥が庭に飛んできた。カチガラスも2羽います。カラスにやられないように気を付けてね。
今朝はゴミ収集の車にぎりぎり間に合った。セーフ! ちょっとだけだけど走れた!自分の脚に、アリガトウ。
朝ごはんのお味噌汁がうまく出来て(まぐれ)、しみじみとおいしかった。日本に生まれてよかったなあ。大根の千六本と薄あげ。
夕食には総菜屋さんで買ってきた酢豚を、上等の唐津焼に盛りつけてだしたら、旨いと言って、お前が作ったのか、という。もちろんです、とすまして返事。だまされてくれて、ありがたい。
中学高校で同級だった男性が故郷の唐津を訪ねて来て、うちに寄ってくれた。お互いにハゲと白髪で、2時間ほどなつかしい話をしました。それで思い出して、「A君はステキだったよね」とか「B子はいじわるなやつだった」なんて、はしゃいでしゃべりました。でもA君は亡くなっていた。そうなのね、悲しいね。かっこよかったのにね。65年も前のトモダチ。
今夜はテレビであのドラマがある。楽しみ~!韓国ドラマをみながら、セリフを一緒にしゃべってみます。だいぶ上手になりましたよ。時には、次にいうセリフを先に言えるほど。おかげさまで、韓国人のお客様とお話しできますし、ほめてもらうと、もう、うれしい!
病気は次々にバラエティに富んだコレクションを誇りますが、いつも運よく軽快しました。脚と耳はうまくいきませんが、なんのこれしき。
主人の方は、体はたいした病気はなくて、脚力も私よりずっとあるのですが、なんせ目がねえ。左目はほぼ失明状態、右目もだんだん見えなくなってきていて、そのストレスがきついようです。しょっちゅうワイングラスを割っています。でも癇癪を起こさないでいてくれるので、ありがたい。
頭の中の脳みその方は二人とも賞味期限がとっくに切れてます。会話がいつもすれちがい。言った、言わない、お前に渡した、いやもらってない、で毎日けんか。でも、喧嘩すると、なんとか言い返して相手をやっつけようと考えるので、脳血流がよくなり、認知症予防には口げんかが一番というのが私の医学的見地です。今日も張り切ってケンカしよう。今日はいい具合にやっつけたというのも、私の幸せのひとつですね。
でも、なんと言っても、朝一番の幸せは、「今日も主人が起きてくれた」ということ。こんなにありがたいことはありません。友人の中に、突然に不幸に見舞われた人が何人かいます。予期して、心の準備をして迎える別れは、悲しくても納得がいくものですから、受け入れるほかありません。けれども運命の不意打ちは、容認しがたいものであって、それは乗り越えるのがむつかしいことでしょう。
周りの同年代の友人たちが次々に去って、ますます寂しくなっていきますが、小さな幸せに目を向けて、毎日を心おだやかに生きて行きたいものです。
年頭から縁起でもないことを書いて、申し訳ありません。私の正直な新年所感ですのでお許しください。
どうぞ皆様にも本年が幸せに満ちた年でありますようにお祈りいたします。
御元気でおすごしください。転ばないように、風邪を引かないように、お互いに気をつけましょう。
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