#235
令和5年1月1日

昨年の元旦は嬉野の椎葉山荘で迎えました。
仕事をしない正月は初めてで、贅沢なものでした。

このページは女将が毎月更新して唐津のお土産話やとりとめもないおしゃべりをさせていただくページです。他の方の参加も歓迎です。バックナンバーもごらんください。
(2019年より、寄る年波で、年に数回の更新になりました。 取材や原稿、写真などを引き受けてくださるかたがあれば、いつでも更新いたします。お申し出をお待ちします。)
 


明けましておめでとうございます。
一年ぶりの更新になります。
安否確認のためにがんばって書いております。女将は少しボケたかな、なんて思いながら見てください。

もう以前のように、唐津の歴史を調べたり、すばらしい生き方をしている人を紹介したりは、難しくなりました。
アッシーくんが、免許証返納したので、取材のために市内を駆け回ることができません。
それで、昨年2022年のうちにコロナ鬱を吹き飛ばすため、バスや電車やひとの車で近場の小旅行をいくつか敢行いたしましたので、ご報告いたします。そういえば船にも乗ったわねえ。飛行機は・・・乗らなかった・・・
皆様の旅行の参考にはとうていなりませんが、同情心で読んでください。
本年が皆様にとって、安全な実りあるものでありますよう。


   1月1日
嬉野の大正屋椎葉山荘で迎えた新年は美しい日本晴れ。大正屋のご主人・山口夫妻とは長いおつきあいです。
   
  その日は鹿島に廻って祐徳稲荷に初詣。
高いところには脚がわるくて登れませんので、一番下からじっくりと拝みました。
商売繁盛! 家内安全!
夫婦円満はすでに卒業!
お賽銭は少しケチったかな。反省!
   
   2月
糸島の怡土(いと)城址にあそぶ。
怡土城は古代の山城で、高祖山の西斜面に築城された中国式山城です。吉備真備がかかわったと見られています。望楼跡や土塁がのこっていて、国の史跡に指定されています。8世紀の唐や新羅に対する政策で太宰府を防衛する目的だったようです。
キビノマキビ!高校の日本史で習ったんだけど、忘れました。日本史で学んだ桃太郎のキビダンゴは覚えています。
   
   そばにある高祖(たかす)神社にお参り。古い由緒ある神社です。4月には神楽があるそうで、行ってみたいものです。神社がすばらしかったんですが、写真がボケています。誰が写したんだ!
だから説明看板だけ。
   
   3月
佐賀の高伝寺にお参り。有名な梅はもう散ってしまっていて、境内は閑散としていました。ここは鍋島家の菩提寺。明治4年の廃藩置県の時に最後の佐賀藩主が鍋島藩の先祖と、元・主君であった龍造寺家の先祖の墓を各地より集めてまとめたので、ずらりと墓石が並んで壮観です。
鍋島藩と唐津藩の維新時の相克を思うと、胸の奥が騒がしかったです。
   
   知らなかったので、びっくりしました。ここに安子姫のお墓が移されていたなんて。
豊臣秀吉に嫌われて無念の死を遂げた松浦党の領袖・波多三河守親(はたみかわのかみちかし)=岸岳城主の、継室であった秀の前・安子の方は悲劇の奥方です。最初の夫を、父・龍造寺隆信に謀殺され、当時正室・円子姫のいた三河守に嫁がされたひとです。
そのため身を引いて出家した円子姫・心月尼も悲劇ですが、父の政略の犠牲になった安子の方も悲劇ですね。
ふたりの姫に祈りをささげました。
   
   4月
佐賀市のあけぼの旅館の音成夫妻とは長い間の仲よしです。。
一泊させていただいて、二次会に旅館のすぐ近くのすてきなバーに連れて行っていただき、音成氏のトレードマークである「だじゃれ」というか、「佐賀にわか」というか、の連発に笑い転げて楽しい夜を過ごしました。その1週間後に音成氏が急死なさるとは・・・・・・
人生は無常です。ご冥福をいのります。
写真両端がご夫妻です。
   
  神埼市千代田町の下村湖人生家へ廻って、私が以前に寄付した父の旧制中学の卒業写真と卒業証書を見ました。
父は明治39年の生まれで、旧制唐津中学を卒業しましたが、その時の校長が下村湖人先生だったのです。写真にも写っておられるし、卒業証書の校長名も「下村虎六郎」なのです。面白いのは、父の名前の上に「平民」と書いてあること。
「士族」でなくて、残念なような、明治の士族の苦労を思うと、よかったような。
   
   佐賀市の大隈重信の生家に行きました。早稲田の卒業生である主人は、88才にして初めて大隈生家を見たと大喜び。ああら、あちらに行く前に見れてよかったですね、とからかう私は、なんと意地悪。
   
   4月
阿蘇内牧温泉の「蘇山郷」さんに一泊。こちらのご夫妻とも旧交を温めて、贅沢な空間とお料理を満喫しました。度々の水害や地震にも負けずに、ますます発展されています。
与謝野鉄幹・晶子夫妻の泊まられたお部屋をみせていただいて、感激しました。
私も一首作ってみようかと5.7.5.7.7とひねってみたけど、出てくるのはどこかで聞いたことのある有名な歌ばかり。物覚えがいいのも困ったものだ。
   
   杖立に廻ります。
5月が近いので、鯉のぼりが何百と泳いでいました。
ここでも1泊。米屋別荘さん夫妻は、お子さんの学校の関係で時々はおあいします。ここも大雨の被害で、長い間休業して修復されました。りっぱになって、さてというときにはコロナが来て・・・・
人生はやっぱり無常です。
   
   小国町にある坂本善三美術館を訪ねました。「東洋の寡黙」と称される抽象画家です。建物は日本で唯一、畳敷きです。
始めて見ましたが、禅の境地のような画風で、心が澄み渡るようでした。
   
   
熊本城を何十年ぶりに訪問。城郭内が広くて、私の足では無理なので、隣の加藤清正神社から眺めることにしました。
        
   地震の被害がひどかったので、かなり修複は進んではいますが、まだまだだいぶかかりそうです。寄付を受けつけるところがあったので、ほんのお賽銭ていど。
        
   5月
先月にひき続き、熊本県を仕切り直し。八代からバスでこわいような山道をたどって、人吉に来ました。この路線の鉄道は、水害で大被害を受け、再開される見通しはないそうです。人吉旅館の女将・堀尾里美さんは、初対面でしたが、業界では有名な名物女将さんです。韓国から留学しておられた時にご主人と知り合って、日本旅館の女将になられました。見事に着物を着こなして、完璧な日本語で、地域の活性化にもおおいに尽しておられます。
この旅館も水害で一階全部が水をかぶって、長く休館してリノベーションし、やっとオープンされたところです。
泊った部屋の窓から見える球磨川が氾濫したとは信じられないほど、おだやかに流れていました。ヒムネセヨ(元気出して)と励ましてお別れしました
         
  人吉からまたバスで八代に戻り、新幹線で南下して出水市へ。有名な鶴のいる時期ではないので、古い武家屋敷を回るのに牛車に乗りました。前もって予約していたので、牛のちはるちゃんが待っていてくれました。この牛は、女優さんです。NHKの大河ドラマ二つに出演したそうです。どうりで、後ろにすわって、優雅に進むちはるちゃんの豊かなお尻を見ていると、まことに大女優の貫禄がありました。たった二人の客に(4人からしか予約できないので、4人分払いましたが)、牛の手綱を引くオジサン、一緒に乗ってガイドをするオジーサン、横について歩いて牛が道に落し物をしたときにすぐに片付ける係のオバサンと3人もついてくださって、小学校の前を通ると子供たちが手を振ってくれたりして、温かい町でした。
         
   長い間憧れていた天草には、出水から蔵之元港へタクシーで行き、フェリーで牛深港へ渡ります。知人に迎えに来てもらっていましたので、車であちこち連れて行ってもらいました。
潜伏キリシタンに関心があるので、世界遺産のこの地域をまわりたかったのです。大江教会はキリスト教解禁後、天草で最も早く作られた教会であり、現在の建物は昭和8年建立。美しい教会です。ここら一帯がユネスコの世界遺産です。
        
   﨑津教会は「海の天主堂」と呼ばれ、﨑津漁港を見下ろしています。
﨑津集落へは昔は海からしか行けなかったので、キリシタンが潜伏するのによい場所だったとか。この教会の位置は、禁教時に厳しい絵踏みが行われたところだったそうです。珍しい畳敷きの教会。昭和9年の再建。そのほかいろいろの歴史的な場所を案内してもらって、すばらしい天草旅行の余韻に浸りながら、平野屋さんという面白い民宿でびっくり仰天の刺身の大盤振る舞いを受け、翌日、長崎へ渡って帰ってきました。
        
   6月には唐津市呼子加部島の田島神社にお参りしたくらいで、どこへも行けませんでした。田島神社は宗像三女神を祀った由緒あるお宮です。境内には、佐用姫神社もあります。宗像三女神といえば、宗像神社が有名ですが、田島神社が古いのだそうです。韓国済州島に行ったとき、たまたま訪ねた三姓穴(サムソンヒョル)歴史館で、耽羅(タムナ)王国の由来を知りましたが、タムナの建国神話では、穴から生まれた3兄弟が、海の向こうから流れ着いた箱の中から3人の女性を発見し、それぞれが結婚して、済州島の3部族の祖となったそうです。海から来た3女性は宗像三女神だという説があるそうです。
田島神社に行くたびに、海を渡った3人の姫をおもいます。
        
   7月
写真左から、
主人の末弟(81歳)、その上の弟(82歳)、主人(88歳)、次の美人は知らない人(年齢不詳)、右端は末弟の妻(年齢秘密)。北海道から来たすぐ下の弟を歓迎して、兄弟3人がこの80年間で初めて2泊3日の旅行をしました。はあ、世紀の大旅行と言えるかも。末弟の車に5人乗りこんで、男3人がミツドモエでそっちの道じゃない、あっちだと喧嘩するのを私が後部座席から大岡裁きをしながら、逆走もせずになんとか行程をこなしました。宿に辿り着いたときは、私はヒロウコンパイ。1泊目は古湯温泉の大和屋さん。ご主人とは仲良しです。ああ、いい湯だな!
   
   佐世保にまわって、海軍記念館を見たり、パールシーリゾートで遊んだり。平戸、生月も見て、佐世保のはしっこの民宿に泊まる。ここでもイヤというほど刺身が出ました。食べきれない分は翌朝茶漬けにしてくださった。
部屋から九十九島のはしっこが見える。
兄弟3人そろってまた旅行できたらいいけどと思う。兄が二人いたけど、もう鬼籍に入られました。主人には妹も一人います。一緒に行ければよかったのに、と電話したら、いやよ、あんなやかましい人たち、ですって。
       
   その宿からほんの10分くらいで、日本本土最西端の岬があると聞きました。最○端が大好きな主人は大興奮で、この旅行に来た甲斐があったと騒ぐ。弟二人は別にどうでもよさそうだったけど、アニキに逆らうのもめんどくさいので、最西端に行き、カメラに納まりました。帰りにある人がポツリとつぶやく。「変だな、最西端だというのに、もっと西に島が見えたけどな。」 あのですね、本土最西端であって、日本最西端ではないんです。ちなみに日本最西端の島は与那国島です。私のケータイは何でも知ってるのよ。
        
  8月
呼子沖合いの加唐島に韓国人のお客を案内しました。
呼子からこの船、かから丸で渡ります。
17分で着きます。
        
  私は柱状節理がなぜか好きです。
七ツ釜もそうだし、韓国済州島でも七ツ釜とそっくりの景色をみました。
真っ黒に屹立する火山性の石柱を見ると、地球の力を感じて、胸が熱くなりませんか?
              
   百済25代王・武寧王がここで生まれました。そのことは日本書記に書いてあります。5-6世紀の百済中興の祖です。
加唐島のことは、何度かこのページに書きました。
         
   向島(むくしま)にも行こうとしたけど、船長さんが毅然として「コロナが島に入ると困るから断る」と乗船拒否。船長さんの責任感に打たれて、黙って引き下がりました。いつの日にか敗者復活戦をします。
        
   10月
由布院に蓄音器文楽を観に行くのに、友人夫妻を誘って、車にお世話になる。早めに家を出て、あちこち見学しながら行きました。
ここは玖珠町。豊後森藩の小さな城跡です。小さいとはいえ、だれかさんが迷子になったくらい広いです。
日本のアンデルセンと言われる久留島武彦の祖先の城です。歴史記念館のボランティアガイドのおじさんの熱弁がとても面白く、ここは、城を作れないので神社ということにして作ったんだそうです。お堀も石垣もありますが、天守閣はないです。
        
   由布院では「束の間」というユニークな、とてもセンスのあるお宿です。「上質な素朴」というコンセプトが館内いたるところで実感できます。3年前の蓄音器文楽で初めて来て、間で2年間はコロナのためにできなくて、3年ぶりの催しでした。大露天風呂がすばらしいです。青いお湯です。貸し切りの一軒家が何棟もあって、食事は前もって頼めば用意してもらえます。
        
   「蓄音器文楽」は、昭和初期にSPレコードに録音された義太夫・三味線の名人の演奏を蓄音機で再生し、現代の人形遣いがこれに合わせて上演する世紀を超えた文楽です。2台の100年を超えたアメリカのグラモフォンと、2セットのSPレコードを使って、途切れないように再生される名人の演奏は、深い、渋い声で、時に泣くように、時に怒るように、訴えかけてきます。昔のことばでわからないところもあるとはいえ、人形の動きで理解を補いつつ、1時間ちょっとの公演が夢のように過ぎました。
私達は今回2回目で、また2023年もと思っていますが、90近い主人が行けるかどうか・・
イヤ、ワタシひとりでも行くのだ。
       
   「伊賀越道中双六」の『沼津の段』の平作。
きれいな人形ばかり見ていた私が、このような老人の姿に魅せられたのは、自分のトシのせいでしょうね。生き別れの息子と出会って、息子の脇差しで自分の腹を刺した平作の演技に泣きました。
        
   翌朝はやまなみハイウエイに出て、ススキの原を見たり、自然の中で思いっきり深呼吸をしました。こんな休日に恵まれるとは、前世でどんないいことしたんでしょうね、ワタクシ。
        
  11月はけっこう忙しくて、遠出が無理。ワクチン接種のついでに呼子の小友(こども)港へ行きました。近いのに行ったことがなかったからです。沖の鷹島を見ると、まるでクジラ!
下の写真は令和4年の呼子くんちに初めて曳き回された親子クジラの親のほうです。和紙で出来ています。
鷹島と似てますでしょ?           
 
        
   小友は6月の祇園様で山笠をかついで海の中を練りまわる祭りが有名です。左の石つくりの像が、海を練る山笠のモニュメントです。これを担ぐのではございません。重いよ~。
ホンモノを一度見なくちゃ死んでも死にきれない。
       
   2022年の大晦日は、福岡県の宗像大社の近くのホテルで迎えました。
2023年こそは、トンネルを抜けて明るい世界になりますようにとお賽銭をはずんでお願いしました。
     
   さよなら、トラさん、ようこそ、ウサギさん。
皆様どうぞお元気でお過ごしください。
また、いつか、元気のあるときに更新します。それまで、待っててくださいネ。
   
 

今月もこのページを訪れてくださってありがとうございました。またお会いしましょう。
                              洋々閣 女将 大河内はるみ

   
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