#219 平成30年6月


キングストン トリオ唐津公演
1969年10月8日
このページは女将が毎月更新して
唐津のお土産話やとりとめもない
おしゃべりをさせていただくページです。
他の方の参加も歓迎です。
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Where have all the flowers gone?
~50年前のアメリカ旅行記 その2~

このページの5月号で懲りずにまた来てくださったかたに、心よりお礼もうしあげます。
この旅行は夫の若き日の(といっても、30代の主人がまだ独身時代)鮮烈な記憶として、生涯忘れ得ないもののようですが、忙しい私はゆっくり話を聞いたこともなかったのです。遅まきながら今からでも一緒に行ったつもりでこの記憶を大河内家の文化遺産としようと思います。
では、続きをご覧ください。 



 
SanAntonio & CorpusCristi in July 1968.
NewOrleans から当時大統領だったJohnson氏のRanchがあるHouston経由でSanAntonioに到着。10日間滞在。 ここではHemisphere ‘68(万博)が催されていてBob Dylanの公演も聴けた。 日本コーナーで日本貿易振興機構(JETRO)のお二人に会って二ヵ月ぶりに日本語を話した。 彼らにアメリカでの印象を尋ねるとSanAntonioから210キロ南に位置する白砂が長く続くCopusChristiが一番印象深かったとの事だった。



 
   
   
SanAntonio & NuevoLaredo in July 1968.
アメリカとの国境にあるNuevoLaredoはSanAntonio から230kmの所にある。メキシコ語の出来る友人の運転で一直線の長い道路を南下する。道路脇のサボテンの種類が変化する様が楽しめた。国境検問所から少し離れた街の中に円形の高塀で囲まれた歓楽街があった。囲いの中の交通手段は馬車だ。英語は全く通じない。土産としてponcho(一枚75cent)30枚購入。当時、綿製品のアメリカ本土への持ち込みは禁じられていたが、通過外国人として通関させて貰った。

 
   
   
   
Scottsdale in August 1968.
Phoenix で観光バスに乗りScottsdale を見てまわる。今となってはどの建物がFrank Lloyd Wright の設計か特定出来ないが、所謂彼の言うThe Prairie Style とは写真にある建物のようなものを指すのではないかと思います。
 
   
   
   
 
Grand Canyon on August 6,1968
アメリカ都市間の移動は、日本で既に飛行機の周遊代金は支払っているので日付を報告すれば問題ないが、毎日の行動は支出が限られているので懐具合と相談しなければならない。
Flagstaff から Grand Canyon に行くのに、普通のバスにしようかと迷ったがランチ付き一日観光バスを思い切って利用することにした。
 
   
   
   
   コロラドの月
Moonlight on the river Colorado
How I wish that I were there with you
As I sit and find each lonely, lonely shadow
Takes me back to days that we once knew

We were to wed in harvest time you said
That's why I'm longing for you
When it's moonlight on the Colorado
I wonder if you're waiting for me too

LasVegas in August 1968.
飛行機でLasVegas には暗くなって到着した。生憎Taxi運転手のストライキでホテルに行くにはバスに乗るしかない。 薄暗いbus stopに日本人が三人立って待っておられた。懐かしさにこちらから話しかけた。一頻り喋った後で、年輩の方から名刺を頂いた。中村歌右衛門と書いてある。六代目は公演が終わる毎に気晴らしにSanFranciscoに来て、そこで空手道場を開いている私の唐津中学校の先輩に世話になるんだとか。世間の狭さを感じた。誘われたが一緒の賭け事は遠慮した。
 
   
   

LosAngeles in August 1968
LAには延10日間位居た。
Hollywood も Beverly Hills も Anaheim も行ったのだが誰に連れて行って貰ったか思い出せない。Griffith Park だったか、公衆便所で蓋の無い大便器が仕切り無しでずらりと10個あまり並んでいるのを見て、躊躇した気がする。
 
   
 、ボブ・シェーンに  
   
   
   
 
Los Angels in August 1968
Greyhound でSanDiego に行く途中NewPort Beach とLaguna Beachで下車して海岸線を楽しんだ。季節の所為かもしれないけど西海岸が東海岸より明るくて気持ちまで陽気になったようだ。
 
   
   
   
 
San Diego in August 1968.
SanDiego は大きな海軍基地でもある。佐世保に駐在していたDr.Monroeが退役してSanDiegoに戻られる日に合わせて、彼の家族に会いに行った。氏には1967年1年間、唐津JCの英会話の先生として毎週末唐津に来て頂いた。言葉だけでなく物の見方考え方について私の人生に影響を与えたひとりである。
アメリカに来て友人宅での最初の日の歓迎会は、決まってバーベキューステーキだった。日本ではアメリカのステーキは大きいばかりという先入観があったがどこでも肉は美味かった。特にGeorgia州Milledgeville のClub Houseでご馳走になったヒレステーキの味は生涯忘れ得ぬものだった。
 
   
   
   
 
The last day of my trip to USA in 1968.
SanDiegoからLosAngels までGreyhound Busで戻り、数日滞在してSanFranciscoへ飛ぶ。米本土最後の日をSausalitoで遊ぶ。Bob Shane (Kingston Trio)の好意でヘリコプターで国際空港まで飛ぶ。上空から小さくなって行くSausalitoやBay Bridge,市街のビル群を空中撮影する。
当時、東京サンフランシスコ間はHonolulu 経由なのでWaikikiのMr. and Mrs. Shoen(Bob Shaneの両親)宅に一泊する。
日本を出発して丁度100日。当時一日5ドルの予算でこの様な贅沢な旅をした日本人は私以外いないと思っている。私を迎え入れて下さった多くの方々に心から感謝して、これら多くのHospitality に報いるべく、この50年,我が家にお泊まりいただいたInboundの方々にも心掛けて来た。今後もずっと続けて行くつもりだ。
 
   
   
   
   
  ボブ・シェーンと
故・アーサー&マーガレット・シェ-ンに感謝。

 
     
       おつきあいありがとうございました。  大河内明彦



 
いかがでしたでしょうか。写真が古く、変色していてお見苦しかったと思います。お許しください。
これらの写真の中では若かった夫の姿も50年後にはすっかり変わって、自分のことは棚に上げて、「花はどこへ行った」と口ずさむ私であります。
130枚の写真につきあっていただき、本当にありがとうございました。お疲れ様でした。また来月。



今月もこのページを訪れてくださってありがとうございました。またお会いしましょう。
                             
洋々閣 女将 大河内はるみ
   
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