#218 平成30年5月

キングストントリオが歌ったベトナム反戦歌
「花はどこへ行った」は世界中で大流行した。


Where have all the flowers gone,
long time passing?
Where have all the flowers gone,
long time ago?
Where have all the flowers gone?
Young girls have picked them everyone.
Oh, when will they ever learn?
Oh, when will they ever learn?
このページは女将が毎月更新して
唐津のお土産話やとりとめもない
おしゃべりをさせていただくページです。
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America on my mind  
~50年前のアメリカ旅行記 その1~
みなさま、こんにちは。
5月のさわやかな季節にあわないような古い記憶ですが、夫、大河内明彦(84歳)が終活と称してこの3月に自分のフェイスブックに50年前のアメリカ旅行記をアップしました。
私も彼も、昨日のことはわからなくなりつつあっても、昔のことはよく覚えているものですね。
何日も続けて、古いポジのフィルムを選び出して写真屋さんに持って行って焼いてもらってそれを取り込んで少しずつ作業していました。よく頑張りましたねえ、ご主人さま。
それで、その記事と写真をシェア(とかいう言葉があるらしく)させてもらって今月と来月の2回に分けてこのページに掲載いたします。残念ながら2,3か所写真紛失のために抜かしたところがあるようですが、まことにぜいたくな貧乏旅行記をお楽しみいただけると幸いです。結婚前だったので、私は行っておりません。一緒だったら、さぞ苦労したでしょうね、わたくしが。
では、出発!


 
  
 50年前のアメリカ旅行記  洋々閣 館主 大河内明彦
               
 最近は2、3日前の出来事すら忘れていますが、50年前のアメリカ旅行は青春の思い出として、今でも心に残っています。
 30代の自分に戻って1968年の旅行の想い出を披露したいと思うので、お閑な方はお付き合いください。
”TomDooley”や”Where have all the flowers gone” で世界のfolk song ブームの先駆けとなったキングストントリオのボブ・シェーン は一ヶ月違いの兄貴分です。彼の両親と親しくしていた関係で親しくなりました。ボブは、現在は元気とは言えませんがPhoenix で生活してるそうです。 写真は1968年、ゴールデンゲイト橋を渡ったサウサリートにキングストントリオが経営しているトライデンというクラブを訪ねた時の写真です。
 
   
   
1968年5月、羽田空港からパンアメリカン航空でハワイに向け旅発つ。当時日航機内オペレーターは振袖に着替えてサービスするのが売りだったので、若くて美人のstewardess を期待していたが、おばさんばかりでガッカリ。しかし良く考えてみると一旦事故が起きるとこの様なベテランでなければと、自分を納得させた。当時日本人は海外へ持ち出し金額は500 ドル。1ドル360円。100日を手持ち金18万円で貧乏旅行をするのである。各地の友人を訪ねてまわる予定だ。周遊の飛行機券は、前払いしてある。
100日の旅が始まる。ホノルル国際空港では、飛行機のタラップを降りるとアロハ美人が歓迎のレイを掛けてくれた。空港内ではShoen夫妻(Kingston Trio のボブの両親)や知人の迎えをうける。
 
   
                      
1968年6月5日
デンバーではボールターにあるコロラド州立大学から出発して3日間に亘りロッキー山脈国立公園を案内して貰う。
Loveland passは標高3654mで富士山と余り変わらない高さだ。解禁になったばかりのハイウェイの両サイドには私の背丈より高く雪が残っていたのが今でも印象に残っています。
 
   
   
   
   
 
1968年6月
シカゴの印象は美人が多い街だったということだ。丁度卒業式の日で方々で若いお嬢さん方を見かけた。燻んだ建物もミシガン湖畔の思い出も霞んでしまった。
 
   
   
   
   
 
ケンタッキーのレキシントンからフォートノックスまで友人が自分の飛行機で送ってくれた。当時の日本人の生活からは考えられないアメリカ人の生活に驚いた。犬を連れた写真の後ろに見える建物がジェイムスポンドのゴールドフィンガーに出てくる陸軍基地内の金塊保管庫です。
 
   
   

1968年7月
NYでは、マンハッタン島の最南部にあるニューヨーク、アメリカン両証券取引所から始まって、中心部の1950年代モダン建築の先駆けとなったシーグラムビルや樹木を取り入れたフォードビルなどの建物を詳しく説明して頂き、セントラルパークの北にあるメトロポリタン美術館の分館のクロイスターまで丸一日かけて案内して貰った。ハドソン川に落ちる夕陽の美しさが未だに脳裏に残っている。
 
   
   
   
   
   
   
 
皆さん Paul Revere をご存知ですか。
ボストンの観光バスに乗るといたるところで彼の名前が出てきます。無知な私はポールリビアは誰ですかとガイドさんに尋ねた。彼は独立戦争の英雄で、"Redcoat is coming!" とイギリス軍の来るのを知らせたんだそうです。今は多くの日本人がボストンを訪問され知らない人はないと思いますが、50年前彼の名前を耳にしたことのある人は自分の周囲誰も居なかった。彼が作った木製の義歯が州庁舎の貴賓室に保管してあるのを特別に見せて貰った。彼はシルバースミスだと聞いたのになぜ木製?
 
   
   
   
   
 

7月4日の独立記念日を挟んでボストンには一週間滞在した。ホームステイの家族と殆ど毎日チャールス川からボストン湾に船出した。途中水位を調整する水門を通過するのも初めての経験だった。
 
   
   


アナポリス 1968年7月
ロバートケネディの殺害は私がデンバーに居た時だった。ワシントンに着いた時には彼の墓は既にJ F ケネディの墓の横に仮埋葬されていた。スミソニアン博物館ではアポロで運ばれて来た月の石の展示に人が集まっていた。ワシントンでは歩きまわって写真は沢山撮ったのだが現在一枚も探せない。
アナポリスは海軍兵学校がある所だ。友人の中にはこの学校の卒業生が沢山いる。学校に古い日本石塔があり、桜とあわせて日本との繋がりを感じた。
 
   
   
   
 
WilliamsburgはVirginia州Norfolkから西北30マイル位の所にある日本で言う明治村みたいな所で由緒ある古い建物群の中で南北戦争時代の生活様式で暮らしている集落だ。
1975年9月天皇陛下が皇太子時代に美智子様と渡米なさった時この町に2泊され一躍有名になった所だが現在はどうなのか良くわからない。
 
   
   
   
 

Fort Sumter はチャールストン沖の小島の要塞である。
南北戦争の端緒となった戦いの火蓋が切られた場所だ。独立戦争の英雄であるSumter 将軍に因んで名づけられた島だ。Charleston の港から船で30分。友人のお陰で珍しい場所に行けて感謝してるが、彼の家で食べた大西洋で取れた車海老の味と量が忘れられない。
 
   
   
   
   
 
Stone Mountain Park in Atlanta. July 1968
アトランタ東郊にあるストーンマウンテンは高さ250mの世界最大の花崗岩の一枚岩である。頂上まではロープウェイでも行ける。途中には南北戦争の南軍司令官、将軍3名のレリーフがある。周囲は遊園地になっている。
南部にはSouthern hospitality という言葉がある。南部に入って感じたのは、親切さが九州の田舎の人々よりもっと純粋で深く、滞在中感動の連続でした。
 
   
   
   

Mosspoint, Mississippi. July 1968
北米大陸は広大で、土地によって樹木の分布が異なる。1969年封切りの”Midnight Cowboy” で、主人公がTexasからNY へバスで移動中、車窓からの風景が変化して行く。映画のSpanish Mossの風景を見ながら前年の南部への旅を懐かしく思い出したものだ。
Mosspointはメキシコ湾に面した小さく綺麗な街だが2005年のHurricane Katrinaで市の大半が水に浸かったそうだ。
 
   
   
 


たくさんの写真を見ていただきました。ありがとうございました。これで半分は越えましたが、来月号に続きをアップします。ご迷惑でなかったら見てみてください。
今月もこのページを訪れてくださってありがとうございました。またお会いしましょう。
                             
洋々閣 女将 大河内はるみ
   
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