下村湖人校長官舎に関する聞き取りメモ
◎宮島伝兵衛様 96歳 旧制唐津中卒。鶴城同窓会会長を永くされた。
「下村校長の官舎はおぼえていない。校長によりいろいろちがっていたと思う。決まった官舎はなかった。○○校長の時は家が見つからないというので、うちの家を一つ提供しておった。麻生さんのうちも貸しておられた。無償であった」
◎一力安子様 94歳 東京在住 古館九一氏の末娘で、実家は東城内、舞鶴荘から濠を隔てた向かい側の広大な敷地であった。九一氏は、杵島炭鉱の大番頭であり、高取家(本家、新家)に最も近い関係にあった。
「湖人先生のお宅は、新家の路地を入ったところと聞いてたわよ。槇の木が路地の両側に生い茂って昼でも暗くてこわかった。小さい時で、あまり奥までは入っていない。路地はお濠の横の道から西にはいるのだけど、まっすぐでなく、ちょっと左にそれていた。入口の幅は、そうねえ。2メートルくらいじゃないかしら」
◎高取本家当主様 85歳 現在の重要文化財旧高取家住宅で若い時から過ごされた。
「湖人先生が新家の裏にいらしたの?知らなかった。お濠端の路地を入った奥に、九電に変わる前は、新家の執事さんの住んでおられた古い家があったけど、もしかしてそこかもね。子供時代の記憶だけど、お役にたつかしら」
◎竹尾啓助様 73歳 唐津市北城内在住 舞鶴荘とは目と鼻の先。 父君は竹尾彦己氏(故人)で、湖人先生の教え子。
「父から聞いた話。湖人先生は舞鶴荘の裏側に住んでおられた。朝、父が唐津中学に登校のおりによく見かけたが、ユカタ姿で路地から出てこられて、お濠に向かって○○○をされていた」
◎山村家未亡人 80歳 東京在住
「山村家の土地(舞鶴荘の南西側で、背中合わせに接している)に義理の姉・故・古田政子さん(お茶の先生で、現在カフェ エルスターになっている土地に住んでおられた。)が家を建てたのは、戦後のことです。それまでは、裏(北側、舞鶴荘と隣接)は、畑地であって、小さな小屋があって、戦後改装して学校の先生に貸してはいたが、それ以前は家はなかったはず」
◎仁部四郎様 85歳 唐津東高に永く奉職され鶴城同窓会のことも長くかかわられた。
「大名小路の官舎以前は、歴代の校長官舎はわからないんですよ。どういうわけか、学校側に全く記録がありません。そうですか、下村校長は高取新家の西側ですか。鶴城同窓会館の有った場所はまさしく西側で隣接してますが、自分が知っている限りでは同窓会は代表・竹尾彦己氏の名義で佐賀県モーターボート競走会から土地と、選手宿舎であったコンクリートの建物を買ったんです。競走会の前はわかりません」
*モーターボート競走会は高取家新家からこの土地を購入して選手宿舎を建て、高取家は草場栄喜氏から購入、栄喜氏は草場見節氏から相続していることが法務局で判明。大河内調べ)
◎故・宮島伝次郎様
宮島醤油のホームページに会長コラムというシリーズの素晴らしい記事があり、中で下村湖人に触れた回が2回ある。そこで校長官舎の入口に言及しておられる。このことは後でもう一度くわしく述べる。
◎佐賀県教育委員会
「県立唐津中学、高校の校長官舎に関しての大正時代の記録はまったくなし。一番古い記録として、大名小路の校長宿舎は佐賀県育英会が学校に無償で貸していたが昭和41年に県が購入。その前の記録はない。平成3年に立て替えて現在は教職員用住宅となっている。
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