#212 平成29年11月

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唐津のお土産話やとりとめもない
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みなさま、こんにちは。
11月号は例年のように唐津くんちの特集で、「わが町の曳山自慢」です。
今回は、魚屋町の元曳子多久島修さんに書いていただきました。
鯛ヤマは、子供たちや外国人に一番人気のヤマです。かわいらしいですもんね。

では、多久島さんのヤマ自慢をお楽しみください。

 




『曳山自慢 五番曳山 魚屋町「鯛」』 

元魚屋町曳子 多久島修

 



       
 

 

 

 

 

現在、唐津市内に於いて観光業に携わり日々「唐津くんち」を発信しております

多久島と申します。

本来でしたら曳山組織に籍を置かれた皆様にお書き頂くべきページかと思われますが

御縁が有ってペンを取らせて頂く事となりました。

どうか、素人の戯言とお許し頂ければ幸いです。

 

 

1:「魚屋町について」

 

 

 

佐賀県内外に於いても、その町を表す町名として一般的な「その町で栄えていた物産」がそのまま町名になっているパターンであり、古文書を紐解いてみても、魚屋町には文字通り魚屋さんが軒を並べていたのは事実であるようです。

町田川と堀に囲まれた地理的な恩恵を活かし、港や河川で捕れた魚を積んだ小舟が町内の鮮魚店に荷を卸していたであろう事は想像に難くありません。 

読み方は「うおやまち」が標準語読みですが、刀町さんが「かたんまち」紺屋町さんが「こーやまち」と呼ばれる様に、「いおんまち」と呼ばれると、より唐津感が出て宜しいような気が致します。

 

 



 

現在、曳山を持つ材木町・魚屋町・大石町・水主町が俗に「外町四ヶ町」と呼ばれております。

札ノ辻橋に有った、内町と外町を分ける札所を越えた「外町」の絆は今も続いており、四ヶ町での親睦会等が執り行われる事も有ります。

平成15年の魚屋町曳山総塗替修復の御披露目において、展示場に戻ってきた鯛山を出迎えてくれた外町の皆さんには目頭が熱くなる思いでした。 

 

 





2:「鯛について」
 

 

魚としての鯛は、食べて良し・見た目良し・縁起良しという宴席に欠かせない存在として古くから日本人に親しまれてきた存在です。

実は唐津には「神功皇后伝説の鮎」や「呼子中尾家の鯨」など、水産物で曳山の題材になりそうな物が幾つか有るのですが、やはり古事記の海幸彦・山幸彦の時代から親しまれている鯛の魅力は魚屋町の人々を魅了していたのだなと思う次第です。

今現在、くんち料理の代表格と言えばやはり巨大な「アラの煮付け」なのですが、魚屋町の矜持としてでしょうか、町内では「大鯛の煮付け」をテーブルの真ん中に据える家々が多いような気が致します。 

 

 

3:「鯛山の特徴と構造」

 

 

さて、いよいよ五番曳山「鯛」。通称「鯛山(たいやま)」についてのお話です。

幼稚園・保育園で先生から「はーい!おくんちの曳山をお絵描きしましょう~!」と言われた時、その子が14ケ町いずれかの関係者で無かった場合は、鯛山が描かれる確率が非常に高いのではないかと思われます(^^;)。 

そんな子ども達が、ある日突然、描き慣れた鯛山を捨てて兜や獅子や龍を描き始めたら、我々はそれを「思春期」と呼ぶわけです(´∀`)

 

 

※形状について※

その鯛山お絵描き。実は実際に大人が描いてみると非常に難しい事に気付きます。

豪華な舟形山や複雑な兜山に比べて単純な筈の鯛山。なぜ描くのが難しいのか?

それは、本体の形状が実に巧妙な『三次曲面』で構成されているからです。

簡単に説明すると、

 正面から見ると「三角形」  真横から見ると「菱型」  後方から見ると「楕円形」

 という全く違う三つの形状が一つの纏まったフォルムになったのが鯛山という事実。
本来、鯛という魚は平たい体をしております。これを曳山にデザインする為に先達が知恵を絞り、見応えのある姿へと大胆なデフォルメを施して生まれた姿なのです。

 

 

※可動構造について※

 

私、仕事上、曳山展示場でお客様に14台の曳山の説明をする事が頻繁にございます。その折、鯛山の説明の時にまず「この曳山、扉が開いて真っ直ぐ下がったらどうなります?」とお客様に逆質問を致します。改めて鯛山を凝視したお客様は「あ、尻尾がぶつかる!」と、そのままでは展示場の外に出られない事に気が付かれます。

乾漆造りの曳山として5番目に製作された鯛山はそれまでで最も全高が高く作られました。製作当時の弘化2年(1845)には、まだ唐津城下に大手門が残っていた為、全体を大きく作りつつも、門をくぐる為の工夫として「本体そのものが前後に揺れる」、「パーツを折り畳める」という可動構造が生み出されたのでしょう。 

この折り畳める尻尾は、廃城令によって大手門が無くなった後も、明治期以降に張り渡された電線をかいくぐる為に再び役に立つ事となるのです。

 

 

※性別について※

 

実は性別を持つ曳山が有るのを御存じでしょうか。獅子舞を模った赤獅子・青獅子・金獅子は一本ツノ(青獅子・金獅子は二股の一本ツノ)ですのでオスと考えられます。(雌は二本ツノ)

口の開閉で「阿と吽」に分かれる聖獣は、口の開いた阿形である亀・飛龍・珠取獅子・七宝丸がオスの特徴を持っています。そして鳳と凰(オスと雌)の合体した姿である鳳凰丸が雌雄同体。

では、鯛山はどちらなのでしょう。

実を言うと、外見で雌雄が分かる部分が鯛山には存在します。それは「おでこ」です。

成熟したオスの鯛はおでこの部分が張出し、鼻の上にコブが出てきます。それを踏まえて鯛山の顔を見ると、一目瞭然ですね(^^)。鯛山は立派なオスの鯛でした。 

 

 

4:「鯛山の外部出動」

 

 

もう40年近く前になります。昭和54(1979)2月、鯛山は唐津曳山で初の試みとなる海外出動の為、フランスはニースに旅立ちました。 

出動自体は大成功で、現地のフランスっ子達を熱狂させたと聞き及んでおりますが、何せヨーロッパとの文化の違いで、数々のトラブルに苦労したともお聞きしました。

以降、2度の海外出動を含む7回の出動をこなしてきた鯛山ですが、上にも書いた可動部分の多い曳山ですので、尾ビレや胸ビレを支える部分の損傷が帰って来る度に酷くなっておりました。 

 






今年、その部分の補修と共に
47年ぶりに台車を新調した鯛山。

磨き直され輝きを増した本体と大正時代の資料に基づいて一回り大きく復刻した新台車。

ユネスコ無形文化遺産登録を記念する今年、是非ご覧になって頂ければ幸いです。 

 

 

 

 

以上、本当に取り留めのない話に終始してしまいましたが、以上の事柄を踏まえた上で今年のおくんちをお楽しみ頂けると、今までと少しだけ視点が変わるかもしれません。

今年もおくんちが無事に楽しく曳き収められる事をこの場から祈念させて頂き、文章の締めとさせて頂きます。駄文長文、失礼いたしました。

 

 

 多久島さん、ありがとうございました。
今年のおくんちには洋々閣にお泊りになって曳山を見に出かけられるお客様にクイズを出しましょう。
「5番ヤマの鯛はオスでしょうか、メスでしょうか?よく見て来てくださいね」って。ヒントは云わずに。
さて、何人のお客様が当てられるでしょうか。たのしみです。当たった方にはごほうびに鯛焼一個進呈しようかな。

 私は鯛ヤマの写真を見ると必ず鯛焼をたべたくなります。焼き立てがもちろんいちばんですが、少し冷えたら、トースターでもう一度カリッと焼き直します。しっぽのはじっこあたりがちょっと焦げたりすると、まことに香ばしくてえもいわれぬ味わいですなあ。あんこがアツアツで、舌がヤケドしたりして。ハフハフ云いながら食べますさ。あら、チーンしたらだめよ。へたすると、固くなって食べられなくなる。 ホレ、また、鯛焼食べたくなってきた。どなたか、買ってきて~。

 鯛焼は毎日毎日鉄板の上で焼かれてイヤになってるんですから、海に逃げ出したような魚屋町の鯛ヤマを泳がせながら唐津の街を巡行するイナセな鯛組のおニイさんたち、今年も御苦労さまです。今年はまた特にピッカピカの鯛ですね。どうぞいつまでも元気な美しい鯛でありますように。



 
今月もこのページを訪れてくださってありがとうございました。またお会いしましょう。
                             
洋々閣 女将 大河内はるみ

 

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