私の模型製作趣味について 岩崎慶次
私の信条は「人と人との出会いを大切に!!」である。それは私の人生で出会いが重要な要点になったからに他ならない。
最初は中学2年生の時に、同級生・井上俊一君(現・”染のいのうえ”代表者)との出会いから始まる。
昼休み、彼がナイフで木材を削って飛行機を作り出した。今で言う「ソリッドモデル」である。お世辞にも良い作品とは言えなかったが、私にはカルチャーショックであった。
その後、高校に進学して「航空フアン」等の雑誌を読むようになり、ソリッドモデルの専門誌「ソリッドモデルの作り方」野沢 正著・昭和31年2月5日、4版発行を購入する。高校のクラブ活動は生物部に入部する。生物に興味がある訳ではないが、1年上の先輩が、中学時代の天文部の部長だった為に、彼の勧めで入部した。2年に進学して、新入部員として入部して来たのが、私の人生の大半を送る事になった吉田鉄工所(現・ワイビーエム)の長男の吉田勝巳君である。彼は昆虫に興味が有り本当の生物部員として活躍するが、1方では飛行機模型製作にも興味が有り私と共通の趣味を持っていた。
私が3年生となった時に2年生の吉田君と期限1年間の約束で旅客機のソリッドモデルを作る約束をする。彼はパンナムのロッキード・コンステレーションで私は日本航空のダグラスDC-6Bであつた。1年後二人は見事な作品を完成させる事に。
やがて就職を考えての大学選びである。飛行機か船に興味のある仕事に進みたいが、頭の悪い自分には、九大等には行けるはずが無く、あることから、長崎造船短期大学の事を知り、推薦入学で合格した。
3年間の短大時代の最後の年に、学校が網場に移転した時に2人の同期生と同じ下宿で、就職先も大阪の佐野安ドックに入る事になる。この辺も縁であろう。私は船体構造の設計つまり船殻設計課の勤務となる。その間に船首、船尾、外板展開等の船の構造の設計を描ける様になっていた。
一方、高校時代の後輩の吉田勝巳君は大阪工業大学の機械科で勉学中。二人は時々、西成区の安いホルモン焼き屋でホルモンとビールで夕食をとる事も。
造船所で4年を過ぎた頃に故郷の両親が共に病気に係り入院した。3男の弟は高校3年生の1人生活となる。両親の願いには迷ったが、弟1人生活は、無理と考え、唐津に帰ることを検討。その時に、後輩の吉田君は自営業の鉄工所で専務取締役であつた。彼に唐津での就職先を相談したところ、「私の会社に来い!!」と言ってくれた。高校のクラブの先生に相談すると、「友人の会社では往往にして、意見が合わなくなって、決別する事もある。良く考える様に」と。
考えた上で吉田鉄工所に入社する事に。昭和41年7月の事である。この時、社員は約30数名であったが、吉田君のこの時の言葉が無かったら今の人生は無かったのである。
2年目には工場は松南町に新築移転し、私は工場長となり、設計も兼務していた。その当時は、社会が地すべり地帯の防災、ダムの建設、列島改造等の公共工事の全盛時代で、ボーリングマシン、機材は必要とされていた。社員はこの時130名台に増員していた。
1973年(昭和48年)本社工場が原の唐津鉄工団地に完成して益々の勢いであつた。1979年から1981年に掛けては、海外物件も出て来た。インドネシア、西アフリカ等にも出張する事も出てきた。
1982年製造部長の私に、社長の吉田勝之助氏より東京市場の開拓を命ぜられ、12月に蒲田宿舎所兼事務所の出発から、新橋事務所、芝大門と移転して行くのであるが、大変残念な事に、1986年3月に2代目社長の吉田勝之助氏が心筋梗塞で46歳の若さで他界した事である。
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クイーンエリザベスⅡ |
1988年東京支店は東京支社となり、初代支社長となった私は、その2年後の1990年には、東北地方の営業開拓の為に仙台に赴任する事に。1991年に一段落した時に休日の時間を過ごすために久方振りに模型船の製作を再開した。スタープリンセス、クイーンエリザベスⅡの2隻を、なんとか製作。
2年後は現地スタッフに仙台は任せて、再び東京勤務となり、新規部門の営業や若い社員の教育等で2009年7月まで東京に居る事に。その間に、「ふじ丸」「にっぽん丸」観測船「昭洋」「拓洋」、「飛鳥」「飛鳥Ⅱ」等の客船を製作しては、お世話になった人に渡したり、記念に渡したりしてきた。又、会社の製品の模型、縮尺:1/4-8を展示会用に製作したりして来た。
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会社の製品の模型 |
模型は全て「手作り」が原則の考えは最初から同じです。船舶で言えば、どうしても無理な部分、例えば、縮尺が1/100以上の、テスリ、ボラード、スクリュー等は専門店で購入の方法を取り、後は出来る限り手で作る事。
2009年8月から2010年3月まで年も69歳となった時点で(株)ワイビーエムを退職して今日に。お陰様で、いろいろの職場や、国内出張、海外出張等の経験と大勢の方との出会いを経験しました。感謝しています。
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