|
イ・スンシン(李舜臣日本語読みリ・シュンシン)は、豊臣秀吉の朝鮮出兵のときに亀甲船を作って日本軍を打ち負かした水軍の将軍で、いまだに韓国では愛される英雄ですが、その戦場となったヨスの海に、再建された亀甲船が係留され、近くの公園に将軍の像が威風堂々とそびえています。
その像は前からあったのですが、観光のため中心地に移設した金市長が、記念碑を読んで訳して下さっているところです。70代半ばと思えない若さです。日本語も堪能です。文学も詳しく、素敵な随筆を書かれます。 |
|
ヨスの湾に浮かぶいくつかの島々を結んで世界一のケーブルカーが完成しています。これも企画は金市長で、完成は次の市長の代になりましたが、韓国内で人気の観光地に躍り出ました。済州島に続いて二位に浮上したそうです。写真はケーブルカーの上で、高所恐怖症と戦いつつにこやかに笑っているワタクシです。 |
|
島を結ぶ橋も金市長が作りました。ケーブルカーから見下ろすと美しい姿です。 |
|
2012年当時のエクスポ会場が見えますが、このヨスの港湾地域にはホテルやレストランその他の娯楽施設が充実し、一大観光地となりました。この写真は私たちが泊まったホテルの窓からです。 |
|
金市長の道路計画で、新しいトンネルが完成し、交通の利便性が高まりました。 |
|
その夜は故・文貞寅(ムンジョンイン)氏の娘ソンウォンさんの自宅で手作りのお料理をいただき、ムン夫人イ・ジョンエさんと久しぶりになつかしい話をしました。
私が韓国語で、ジョンエさんが日本語で、半分通じて、あと半分はこころで通じて。 |
|
翌朝、円仏教のヨス教会で、ムン氏の法事がありました。丸9年経ち、10年目に入るこの日は、円仏教の教えでは輪廻の円が完結し、死者は新しい命を受けるそうです。遺族は今悲しみを乗り越えて新しい生命を送り出さなければいけません。ジョンエさんの涙ながらの夫を送り出すあいさつや、教務人様のお説教では私も涙が流れました。清らかなソプラノでの教えの歌もすばらしく、感動を受けました。教務人様は、この教会では女性でしたが、一生結婚なさらないそうです。
故人は日本をとても好きだったので、日本に生まれ変わるかも知れないとおっしゃいました。日本に生まれて来られたら私がちゃんとお世話しますよ、とジョンエさんに約束しました。 |
|
法事のあと、高速道路を2時間半かけてイクサン市に行きました。円仏教の本部のあるところで、ここの霊園にお墓があるのです。お墓に行く前に山芋料理の人気レストランに連れて行っていただきました。まことにおいしい料理で、山芋をいろいろに工夫してみた目も美しく、近年テレビなどで人気の店だそうです。 |
|
この写真の料理が全部山芋です。もっとたくさん揚げたり煮たり焼いたりすり下ろしたり、次々に出ました。辛くないので、ホッとしました。毎日辛いものばかりでしたから。夢中で食べて、写真を撮るのを忘れてしまいました。 |
|
それからお墓に参りました。
ゆるやかな山に囲まれ、広々として日当りのいい、美しい霊園です。 |
|
お香をたいたり、お酒をかけたりします。 |
|
左前の白い服がジョンエさん、2男2女の、皆素晴らしいお子さんたちです。
長女のソンウォンは特に父にそっくりの顔立ちと優秀な頭と豪快な性格を受け継いでいます。夫を助けていくつかの会社を経営しています。 |
|
|
|
イクサンのお墓参りのあと、ジョンエさんと長男夫婦が全州に連れて行ってくれました。ここの観光地はハノンマウル(ハノク=韓国式の家、 マウル=村、続けて発音するときはハノンマウルになります)で、一町内全部韓国式の家が立ち並んでいます。壮観です。ただし、全部が古い家でなく、新しい建設のようです。中に何百年かのものが点在します。 |
|
道は狭くて、車は通れません。こういうところを貸衣装に身をつつんで武士になった青年、キーセンに扮したムスメさんたち・・・王様の衣装は借りるのが高そう・・・。
あちこちの家の前で、ドラマの主人公になったつもりの写真撮影。でも自撮りの女の子なんか、かわいそうな気がしましたね。カレシがいないのが・・・。
私も内心、ファンジニの衣装なんか、ちょっと着てみても悪いこともないと思わないでもなかったのですが、誰も勧めないのですよね、なんでだろうねえ。で、諦めて、日本のおばあさんのままで、こういう道をたどりましたさ。フン。 |
|
その後、遅い高速列車に乗りました。不思議だったのはチョンジュからインチョンへの直行の高速列車の予約が満席だというので、コネでやっと取ってもらったのに、乗ってみると、この写真のように、誰も乗っていなかったのです。キツネにつままれたような・・・。
その日は空港内のホテルに泊まって、翌朝早い便で帰国しました。ただの物見遊山とちがって、今回はいろいろと印象深い旅でした。 |