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入口
和紙に手書きの室名です。(安上がり)
どうぞお入りやす。
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入ってすぐは控えの部屋で、4畳半です。
床の間つきです。向かって右は廊下で窓に面します。
窓は2階で通りに面しています。
左側の白い引き戸がお手洗いです。 |
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控えの間の床の扁額は淡路島在住の人間国宝・鶴澤友治お師匠さまが舞台で着られた肩衣をいただいたものです。額のガラスに部屋全体が映って、見にくいですね、ごめんなさい。どの角度から写しても、カメラを構えたおばあさんが写り込んでしまって、いい写真が撮れません。 |
肩衣の下の見台は、唐津市在住の浄瑠璃の鳴子大夫からいただきました。蒔絵の大変立派なもので、鳴子大夫のお師匠さんが娘義太夫を語っておられた時のものだそうで、内側には「宝」の一字が刻んであります。蒔絵は龍虎です。ひときわ存在感を放っていますでしょう。
台に乗せている浄瑠璃本は明治中期の『御所桜堀川夜討』です。台の傾斜をこちらがわに向ければ、せっかくの蒔絵が見えません。もともとお客からはこのように見えるのが当然ですから、やはりこちら向きに飾りましょう。本はのぞき込んでみてください。
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控室の床の間の左は作りつけのタンスです。100年たってもしっかりしています。 |
箪笥の上の 小さな袖珍屏風は、「文楽12月」と題した楽しいもので、手染め版画です。西海堂古書店様からいただきました。京都で作られたものです。 |
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その前の朱色の文箱(実は鰹節入れでした)の中身は、明治の中期ごろの浄瑠璃本。西海堂古書店さんに探していただいたもののうち、まだしも保存状態のいいもの、『忠臣蔵二度目清書』、『菅原伝授手習鑑』、『三日太平記』の三冊を入れています。紙魚よけに匂い袋を入れて。千代紙人形の「八百屋お七」さんもここに入れました。 |
同じく箪笥の上の人形は木目込みで、『新版歌祭文』(野崎村)のお染さんでしょう。「お染久松」の、おそめさん。中島きよ美氏の作です。恋を知り初めたばかりのあどけないお顔ですね。こんなお年で心中だなんて・・・。なんといたましや・・・・ |
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タンスの横の棚は、上からタバコ盆、蒔絵の文箱にはレターセットや絵葉書を入れていて、お客様に使っていただくものです。一番下は、館内のご案内やお飲物のリストなど。また、観光チラシや、パンフレットなども。案内のファイルは表紙を大島の古布でくるみ、そこに江戸時代の浄瑠璃本のコピーを貼りました。江戸期のものは、字がうんと小さくて、びっしりつまって、まったく読めませんが、『一谷嫩軍記』です。 |
私の亡き父が書斎に飾っていたタバコ盆を置いてみました。
キセルにタバコを詰めて火入れの中に入っている小さな炭火で火を吸いつけて、吸いがらは水の入っている竹筒に、ポンとたたいて入れるのです。芝居がかってるなあ。「ちょいと、お前さん」なんて。 |
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主室にどうぞ。
6畳です。
テレビや電話は、なくすわけにはいかず、しかたなく置いていますが、リモコンたちは雰囲気をなおさら壊すので、蒔絵の三つ引き箪笥の引出しに入れました。手前は紫檀のテーブルで、蔵から重い物をかつぎ出して、椿油を吸わせたら見違えるようにきれいになりました。やっぱり古いものはいいですね。 |
主室の床の間はこんな感じです。 |
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掛け軸は浄瑠璃関係のものをさがして骨董屋さんをまわったりネットで探したりしましたが探し出せなくて、友人の人形作家・中島きよ美氏に特別に頼んで描いていただきました。人形は『艶姿女舞衣』のお園さんだと思います。半七さんを偲んで、「今頃はどこにどうして・・・」と言ってるお園さん。
今日の花は鶴首に白の蛍袋を挿してみました。不実な夫を忍耐強く待ち続けるお園さんをイメージして。香炉は新しいものです。赤絵がきれいなのでこれにしました。台は黒壇のものではちょっと暗いので、黒みがかった赤の四方盆にしてみました。 |
縁側の椅子テーブルは洋式のものでしたのでクビにして、なにか似合うものがないかと家じゅうをさがして、以前結婚式があるときに使っていた漆の椅子を出してきました。
テーブルの代わりには桐の蒔絵の火鉢を使います。強化ガラスで天板を作ってもらいました。 |
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火鉢は灰を抜いて、古い着物の生地を敷き、蒔絵の櫛、笄、かんざし、はこせこを飾りつけました。明治から大正初めごろのものだと思います。私のコレクションです。江戸時代の町娘や年増女のイメージで並べてみました。浄瑠璃には、世話物だけでなく、武家の忠義ゆえの悲劇もありますので、侍を表すものを入れたくて、先代の宝物だった日本刀の鍔をひとつだけ借りました。矢立もひとつ。
巻物が一本はいっています。実は剣道の「神影流免許皆伝」の巻物を持っているのですが、大きいので諦めて「姫巻物」を入れました。中身は何も書いてありません。そのうち何か思いついたら書き込みましょう。 |
亡き母のたんすを捜索したら、なんと刀の鍔の模様が刺繍された袋帯が出てきました。おもわず叫びました。「母さん、ありがとう」。おそらく祖母のものかと。母が締めたのを見た記憶がありませんもの。もうこんな時代がかった帯を私が締めることもないでしょうから、切ってテーブルセンターと、掛けものを作って廊下の端にかけました。掛けものは私の七五三の時の赤い丸ぐけの帯締めを緒にして下げています。書いているのは女将からのご挨拶と、このお部屋の説明です。
掛けものの左は近松寺の写真です。 |
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掛けもののご挨拶です。 |
御あいさつの下には蒔絵のお膳を置いて、浄瑠璃の資料を乗せました。英文のものをいくつか置いています。お膳は大正期のものです。
主人は「飾り過ぎだ」と言いますが、私の勝手でしょう。お泊りになるお客様にはご迷惑かしら?
外国のかたに、少しでも「BUNRAKU」の愉しみがわかっていただけたらと願います。
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同じ廊下の反対側には細身の姿見を置いて、高さが必要なので桐の空き箱を利用して台にし、その台に大正初期の女児の振袖を解いてかぶせました。ちりめんの生地に、裾は綿が入っています。袖は無双どころか、三重になっていました。横の台のしたにちらっと見えるのはちり箱で、紙で蓋をつくり、千代紙を貼っています。お夏さん(お夏清十郎)のイメージです。
蒔絵か螺鈿の姫鏡台がほしいのですが、見つけられません。どなたかお持ちでしたら、お譲りくださいませんか。高価なものは困りますが。 |
衣装盆は、うちには何十もあるのですが、似合うものがなく、苦心惨憺、捨てようかと思っていたものを黒で塗装して、和紙と浄瑠璃本のページを貼ってクリヤラッカーでコーティングして派手なものが出来上がりました。もちろん、自分でやりましたよ。浄瑠璃は『加賀見山旧錦絵』です。
黄色に赤の縞の和紙は、「お鶴」さんや「お七」さんが着ているような着物の柄です。 |
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トイレの中には小さな額をかけました。
切り絵は『妹背山婦女庭訓』です。東京国立劇場で買ってきました。白く光る部分は額のガラスに外の光が映っているものです。 |