#187
平成27年10月

ミディアンとゴリラのぬいぐるみ
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 虹のかなたに

ウガンダの少女・ミディアン


 2009年頃、私たちボランティアのグループは、友人の英国人イーデン・クエイルの呼びかけでRainbow Projectをやろうとしていました。このプロジェクトは、イーデンがウガンダで出会った一人の少女、シンパヤ・ミディアンを日本に招いて、日本を体験してもらうと同時に彼女の国の生活の現状を日本の子供たちに伝えてもらう目的でした。
 
 当時ミディアンは15歳、まだ小学校に行っていました。彼女の住むウガンダ、キソロ地区のムロラ村は、ルワンダとコンゴとの国境から数キロのところで、世界で唯一マウンテンゴリラが生息している地域です。
 
  ミディアンはとても頭のいい子で、イーデンから日本語を学んでよく勉強しました。家庭は極貧で、父は出稼ぎで留守、母が小作農、弟妹4人の面倒を見るのはミディアンでした。

 私たちはイーデンの指揮のもとに、募金をしたり、ミディアンが交流する学校をアレンジしたりして、大忙しでした。洋々閣では歓迎会をやって、ミディアンのスピーチを聞くことにしていました。準備は進み、渡航の費用も集まり、ホームステイ先なども決まって、あとは到着を待つだけになった時もたらされたニュースは、ビザがどうしてもおりないという悪い知らせでした。内政が混乱していた国ですからやむをえなかったのかも知れませんが、生まれて初めて村から出て外国に行く喜びに胸を膨らませていた少女はどんなに泣いたことでしょう。私たちもとても残念でした。

 そのあと、私はミディアンをなぐさめようと、ゴリラのぬいぐるみと牛肉の缶詰めを送りました。無事に届くかどうか半信半疑でしたが、長いことかかってゴリラはミディアンに届いたのです。お礼のことばと写真が送られてきたのは、ずっとあとでした。ぬいぐるみを生まれて初めてみたそうです。今も大切にもっているとのこと。

 その後、イーデンはミディアンを進学させるために奨学金をつのり、私も微力ながらお手伝いしています。時代は急速に変わり、今ではイーデンとフェイスブックでつながるミディアンに、今回エッセイを書いてもらいました。挫折したかに見えたRainbow Projectでしたが、立派に復活して、ミディアンは見事なレディに成長しています。どうぞ虹を越えようと頑張っているウガンダの少女の夢を応援してください。


 


こんにちは、大河内さん。また御挨拶できてうれしいです。私のウガンダでの生活のことをエッセイにしました。

 

        私の過去、現在と将来の夢. シンパヤ・ミディアン


ミディアンの過去の生活

 

私はウガンダの南西部のキソロ地区の出身です。私はムロラという村で生まれました。2003年にムキブグ小学校1年生に入学し、2009年に7年生を卒業しました。私はとても恵まれた生徒の一人で、セント・ガートルード・ヴォケーショナル スクールという名のすばらしい寄宿学校で学ぶ機会を得ました。

中学校に入る前の小学生の時は、私の生活は家でのたくさんの仕事に追われていました。毎日水を汲みに遠くまで通い、草刈りに行き、弟妹たちと母の衣服を洗い、毎日食事の支度をしました。

2013年にセントガートルード4年生を終了しました。