#186
平成27年9月
このページは女将が毎月更新して唐津のおみやげ話や
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420級 ヨット世界大会 in 唐津

  この7月に唐津の海で行われた420級ヨットの世界選手権大会の報告です。
420というのはヨットの長さのことだそうで、4メートル20センチのヨットです。2人乗りのディンギーで、オリンピック種目ではないものの、その前段階の若者が乗る艇だと聞きました。世界各国から300人以上のエントリーがあり、コーチや父兄、大会関係者を含めて600人の大きな大会でした。
唐津では昨年ももうひとつ小型の一人乗りの世界大会があり、2年連続で受け入れるために、いろいろな準備が必要でした。
今回は洋々閣でも4カ国50人以上を2週間引受け、そりゃあもう、タイヘンだったんですから。若者達が元気で、好き勝手をしますからねえ。靴のまま上がる、濡れた水着を畳の上に置く、電気のカサに干す、水着を着てフロに入るくせに、あがったら素っ裸にバスタオルだけ巻いて廊下をうろうろする、・・・・・ すれちがう日本人客は目のやり場に困る。注意しても笑って無視する。かわいい笑顔で、それ以上おこれなくなる・・・。17、8歳の健康な若い肢体は、男の子も女の子も、かがやくように美しく、のびやかで、叱るより見とれてしまいそう。
日本のオバアサンにとって、イタリアの子もスペインの子も同じように見えて、朝なんか、ボンジョルノとブエナスディアスを言い間違える始末。帰る頃になってようやく三分の二くらいの子の名前を言えるようになったけど、最後まで取り違える似た二人がいたりして、「ちがうったら」と抗議を受けることもあり。
この2週間の間に、男の子1人と女の子2人が誕生日を迎えました。小さなお祝いをして、皆で歌を歌いました。私はスペイン語とイタリア語でバースデイの歌を聞いたのは初めてでした。彼らもきっと日本での誕生日をいつまでも忘れずにいてくれるでしょう。
ではどうぞ、写真をお楽しみください。

 
   開会式前のハーバーは静かなものです。
   イタリアのアルベルトは大会関係者ですが、3年前に新婚旅行でうちに泊まったかたです。ことしも何日も泊って、すっかり私たちの家族です。
   大広間を朝食のビュッフェにしました。
   卵もハムも目の前で焼くので喜んで食べてくれました。
   420のセールはこういうの。これを丸めて、大きなカバン二つずつと一緒にかついで電車に乗ってくる。駅まで迎えに行くわたしたちも苦労しましたよ。
   艇を点検しているところ。
   選手は大会本部から自転車を借りるので、うちの駐車場をひとつ自転車専用にして、50台が並びました。
台風が途中で来たので、玄関の中にいれたら、出すときに土壁が傷ついてしまった。後悔先に立たず。
   トルコから選手2組とコーチ一人。イタリア・スペインに比べるとおとなしいです。
   イタリアからは何チームも参加。
   選手の母のボノリ夫人は英語が苦手で、イタリア語でまくしたてるから、ちょっと困った。でも最後は私と仲良しになりました。
  開会式でのフランスチームのパレード。
   イギリス。
   ドイツ。
   ギリシャには温かい声援が飛んでいた。
   日本チームが何といっても一番おとなしいですね。いいことでもあり、残念なようでもあり。
   開会式には高円の宮妃がお見えになりました。中央の挨拶をしているかた。恐れ多くて、前の方で写真撮れなかった。
   各国旗の下に並ぶ選手たち。
   イタリアチーム。
左から二番目のカミラは閉会式の朝に17歳の誕生日を迎え、クッキーを積み上げたバースデーケーキを仲間にもらった。
   スペインチームは20人の団体で、財布を無くすわ、自転車の鍵を無くすで、私を忙しくさせてくれた。
うち二人の女の子が私のためにフラメンコを踊ってくれて、アイパッドで動画を撮ったけど、ホームページにつけるにはどうしたらいいのか分からないので、省略します。
   前田國臣氏にいただいたスタート時の写真。
   同じく前田氏の写真。レース中。
   ウエルカム行事として、竹本鳴子社中による人形浄瑠璃があり、私はパワーポイントで作成した英語字幕を横で出しました。とても喜んでもらえた。
   女子の優勝はスペインのマルタとマリア組。マルタは2,3日前にうちで19歳の誕生日を迎え、メロンパンに仏さまのロウソクを立てて、お祝いをしました。マリアの両親は、サプライズでうちを予約してあり、朝食のときに顔を見たマリアが涙を流しました。娘の優勝を見に来た母親は腎臓の持病もちで、薬を多量に服みながら応援を続けていました。
   7月27日、イタリア組が帰る日、私は朝の4時から各部屋を起こしてまわって、ねぼけまなこの選手たちをひきつれて近くのホテルまで行きました。ここで各ホテルから集まってきて、5時に貸切バスで空港に。
   大型バスに荷物やセールが乗りきれなくて、バッグは座席前に置いて、乗客はその上に足をのせてすわることに。約束の人数を大幅に超えての便乗乗車、約束の出発時間を大幅に遅れる、などで、運転手さんはふきげんながら、なんとか5時半に出発。
私は家に戻ってヤレヤレと再度フトンにもぐりこんだとたん電話で「パスポートを忘れた、空港まで持ってきてくれ」と。ビアンカの泣き声に負けて、探しまわって、幸い見つかったのでタクシーで持って行きましたよ。1時間半かかって。
帰ってきたのが朝の8時半でした。
ほんとうの台風が3回も期間中に近付きましたが、その台風よりイタリア台風がもっとひどかった。
 
 
唐津ではこの20数年間に4回のヨット大会を受け入れています。私は宿としてだけでなく、言語サポートチームのボランテイアとして、期間中はメチャクチャいそがしいです。でも今回はこれが私にとっては最後の世界大会だと感じつつ、全力で走りぬけた気がしています。当分は唐津では開催がないでしょうし、次にある時には私は介護施設でうつらうつらしてるでしょうから。
420級ヨットの国際会長のニノ・シュメリ氏は、毎回うちにお泊りでしたが、右の写真のイスラエルのお守りをくださいました。手のひらの形に守護の目がついているもので、中にイスラエルの祈りのことばが書いてあります。これを家のどこかにかけておくと、家庭は守られ、幸運が来るそうです。ずっしりと重い銀のもので、私にとってはメダルです。
2015年の夏、わたしもまた、一人のメダリストだったのですね。
ありがとう、ヨット大会。



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来月もどうぞお立ちよりぅださい。


        洋々閣 女将 大河内はるみ