最近の若い人は曳山(ひきやま)とか鳳凰丸とか言う呼名ばかりなので、何かヤマを外から観ているような感じで先々少し心配な気が致しております。我々子供の頃からヤマを曳いているものにとっては、やはり曳山(ヤマ)と言わなければ他人からの借り物みたいで違和感もあり愛着も感じて参りません。
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唐津神祭行列図の中の鳳凰丸 |
さて、大石町のヤマは今年は多くの方々のご協力とご援助を頂きお蔭様で、1985年(昭和60年)以来29年振りに総塗替をさせて頂くようになりました。過去の塗替は弘化3年生誕より慶応3年、明治23年、大正10年、昭和7年、昭和36年、昭和60年と続き今回で7度目の塗替となります。町内で平成24年3月より発足致しました、塗替準備の機関であります〝保存修復審議委員会〝に提案する資料を作成しておりますと、皆さんから前のヤマの羽色含め制作当時に戻せないかと言う意見が、沢山出始めるようになりました。
その意見に基づき昔の写真を集め検討致しましたが、如何せん制作当時はカラー写真の技術がなく困り果てた処、羽部を剥いでいく修復作業の途中に、僅かながら昔の青色、紺色、黒、緑に蒔絵が施してあるのが出て来ました。同時に市重要民族資料の唐津神祭行列図(襖絵)のヤマを参考にさせて頂き、大胆に色付及び蒔絵の変更を決めた次第です。
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塗り替え完成の鳳凰丸 平成26年10月吉日 |
昨年11月より修復総塗替が始まり、今年10月お陰様で光眩ゆいばかりの羽色と蒔絵で、今にも〝鳳凰″の鳥が晩秋の澄み切った大空に舞い上がって行くような見事なヤマが出来上がりました。
皆さんは中々お気付きになられませんがヤマの後方に睨みを効かせている獅子(歯噛獅子)が飾られて居ります。その獅子も今回の塗替で眉色も変わり、鋭い眼付きとなり神祭時の道行をお守りする事と思いますので是非ご覧頂いて下さい。
又、ヤマは330個を超える付属金具が屋根及び欄干、船部の隅々まで施されており、ヤマを創るにあたり先人の太っ腹と意気込みが感じられます。
14台の中で大石町のヤマだけが、細長い眼であり他の 13ケ町のヤマの眼は全て丸く創られております。私は小さい頃より不思議な事に、まるでヤマから自分の心を見透かれているような、悲しい時は叱られている様な鋭い眼を感じ、又楽しい気持ちの時は微笑んでいるような眼に見えるのです。
昔、町民が武士に意気込みを観せる為、豪華絢爛のヤマを創ったと沢山の文献にも記されてありますが、私は、ただ武士に心意気を示し自慢しようとだけ思えば危険も伴わず、損傷する事のない不動の据ヤマを創れば永代まで修復少なく保存出来るものを、態々台車を付けリスクを覚悟してヤマを曳き廻す先人の願いは、ヤマを皆で曳く事により親睦を深め町内融和にとの願望が込められているものと痛感致しております。又、ヤマの船尾部及び肉襦袢、法被に丸い繋ぎ輪がある意味は輪を〝和”と酒落て、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」の名言に肖ったものかなと想像を巡らしております。
我々は先人の意思を遵守し、時代永劫に次世代の人々にヤマの素晴らしい伝統と文化を誤りなく、正しく伝承して行く事が最大の責務だと考えております。
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歯噛獅子before |
歯噛獅子after |
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昭和26年 中央の抱っこされてる男児が花島義博氏 |
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平成26年 総塗り替え完成時の大石町のみなさん |
中央 花島本部取締 |
次に島崎智孝さんが書いてくださいました、女性にスポットライトをあてた文章をお読みください。
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大石町のエビス様
曳山を守る町の人々は崇敬の念も篤い |
私は大石町の島崎智孝と申します。大石町に生れ育ちました。当町には、曳山(やま)に関する組織団体が3つあります。町内在住者で構成される「大若(おおわか)」に加えて、20歳から40歳までの若者組織である「鳳凰会(ほうおうかい)」、40歳以上で構成される「大具美(おおぐみ)」です。鳳凰会と大具美は町内・町外両方の人々で構成されています。私は鳳凰会を経て、現在は大若と大具美に所属しています。
今回こちらのウェブサイトに寄稿するにあたり「唐津くんちのページ」に掲載されている記事を読ませて頂きました。寄稿者には知り合いも多く、特に平成23年と25年の寄稿者は、外町保育園からの同級生で、成人してからもそれぞれの町の若者幹部として顔を合せることもしばしばありました。彼らの記事の内容は素晴らしいのですが、そういった旧知の間柄である二人が書いたと思うと、パソコンのモニタの前でひとりニヤニヤしてしまいました。
今回縁あって私が寄稿するにあたり、これまでの記事の視点とは違った所から唐津くんちを見て頂きたいと思いました。唐津くんちは様々なメディアで毎年取りあげられ、その豪華絢爛な造形美や、炊金饌玉なくんち料理がクローズアップされます。色々な神事や行事を経て本番を迎える様子や、曳き子が威勢よく掛け声を上げる姿をテレビやネットで見ることができます。皆さんがご覧の通り、曳き子が曳山に熱狂し酔いしれることが出来るのは、世の中が平穏無事であるお陰です。しかし、曳山の現場で熱狂し陶酔する男性を存在たらしめているのは、天下泰平だけではありません。
「くんちを支える女性たち」
ここで言う「くんちを支える女性たち」とは、曳山のある町に暮らし、それぞれのご家庭でくんち料理を出しお客様を接待されている女性のことです。彼女たちは、曳山のある町の妻であり母であり娘でありますが、夫や息子や父が曳山を曳く間は家にいて、やがて怒濤のようにお越しになるお客様をお迎えするべく準備に専念しなければなりません。もちろん我が家も例外ではありません。今回は、このような女性たちの話しをしていきたいと思います。
さて、今回のテーマでの寄稿にあたり、町内の女性の方々からお話を伺うべく、10の質問を含むアンケートを実施しました。20人あまりの方々にご協力を頂き、大変ありがたく感じています。以下にその質問と、どういう回答を得たか記していきたいと思います。その都度、私の私見も述べさせて頂きます。
【質問1】お名前を教えて下さい。
ここで具体的なお名前をあげることは控えさせて頂きます。
【質問2】ご結婚何年ですか?(既婚者のみ)
7年から50余年との回答を得ました。
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接待に追われる女性たち |
【質問3】くんちのお接待を始められて何年ですか?(先代からではなく、あなたが関わるようになってからです。)
5年から50余年との回答を得ました。多くの方が、結婚年数と同じ数字をあげておられ、嫁いだその年から、くんちの接待に関わっておられる方が多いということが分かります。
【質問4】我が家のくんち料理と言えばこれ、毎年これは出します、と言うものがあれば教えて下さい。
魚の煮つけ(アラ、タイなど)、刺し身、卵とじ(十種類の具材入り)、豆、牛のたたき、中華ちまき、雑煮、エビフライ、おでん、スペアリブの醤油煮、エビマヨ、うま煮、ソーメン、カレー、パスタ、テールシチュー、サンドイッチ、フルーツポンチ、唐揚げ、栗の渋皮煮、闘魂スープ、抹茶プリンなど多数の回答を得ました。「仕出しは頼まず、全部手作りです。」というお宅もありました。凄いです!
私も色々なお宅でご馳走になりますが、「名物料理」「自慢料理」があるお宅もあります。大変不義理なことですが、くんちの時に、つまり一年に一回しかご挨拶する機会がないお宅もあります。そのようなお宅にお邪魔し名物料理を頂く時に「あぁ、くんちやなぁ。」と感じます。
他にも、サーターアンダギー、大村寿司といった回答を得ました。唐津以外から嫁いで来られた奥様方の故郷の味を堪能することが出来るのも素晴らしいことです。
またある方は「父が生前よくアラ姿煮を裏庭で作っておりました。」と、亡くなられた父上との思い出を書いて頂きました。私も以前そのお姿をお見かけすることがあり、懐かしく思い出しました。大きなアラにお玉で煮汁を丁寧に何度も何度もかけながら「こいば食べに来ないかんばい!」と声をかけて頂いたことが思い出されます。
【質問5】くんちが近づく10月になると、どんなことを考えますか?また、どんな気分になりますか?ご自由にお書き下さい。または、例の中に近いものがあれば番号に○をつけて下さい。
(例)1. 今年はどんな料理を出そうか。
(例)2. 部屋のレイアウトはどうしようか。
(例)3. あー、また悩ましい季節がやって来た。
(例)4. あー、またワクワクする季節がやって来た。
(例)5. 今年も母子家庭月間が始まった。
最も多かった回答は「どんな料理を出そうか」と「また悩ましい季節がやってきた」でした。やはり料理に関することですね。あるいは「悩ましい」には、料理献立以外の悩みも含まれるのではと想像できます。
ところで、唐津くんちが近づく10月に男達は何をしているかみなさんご存知でしょうか。本番に向けての準備作業と伝統行事の挙行、曳き子の参加許可申請の対応、曳山囃子の練習をする学生への指導監督、曳山掃除、采配作りなどをこなしていきます。若者幹部や取締などの役職者は、曳山を持つ他町との会議や懇親会、神事への出席、公的機関との打ち合わせなどに忙殺されます。このように「真面目なお仕事」が山ほどあるなかで、それに伴ういわゆる飲み会の頻度が飛躍的に高まります。他町との懇親会や関係機関との交流は勿論大切なものですが、それ以外の、ただ飲みたいから直会だなんだと称して男達は酒を酌み交わすのです。その中で、曳山の話をたくさんしたり、綱の曳き方を先輩に教わったり、くんち本番中の割り当てられた仕事のやり方を話し合ったりします。時には意見が合わず、激しく口論したり、さらに過熱して互いにつかみかかることも無きにしもあらず。こんなことが10月中、週に複数回繰り返されるのです。「悩ましい季節がきた」「母子家庭月間が始まった」とは、そういういった実情を踏まえてのことでした。
さて話を本筋に戻します。他にも「大掃除しなきゃ!」「曳山の装束に不備がないか確認しなきゃ!」「何だか気忙しい。」「どんよりした気持ちと、少しのワクワク感。」「スーパーに買い物に行くと、曳山囃子が流れていて、それを聞くと急かされた気分になる。」「男衆の気分はだんだん上がっていくが、私はその逆。」などの回答を得ました。
くんち当日にあれだけの料理でもてなすには、奥様方の献身があってのことだと改めて感じさせられる回答が多かったです。我が家でも、外食したりテレビの料理番組を見たりする時に、「あ、これ、くんちの時に使えそうじゃない?」と母と妻がよく言っています。いつも頭のどこかに、くんちのことがあるんです。中には、精神的重圧がかかり心の底から楽しめない奥様もきっといると思います。男性はそういう奥様方のご苦労を踏まえ、お呼ばれしなきゃいけませんね。私も他人様のことを言えたものではないですが、曳山を曳く男性は奥様や母上に感謝しなければなりませんね。
【質問6】11月2から4日のくんち期間中は、曳山をゆっくり見る暇はありますか?該当するものの番号に○を付けて下さい。複数回答可。何かお書きになりたいことがあれば、ご自由にお書き下さい。
1.全くない
2.ほとんどない
3.少しある
4.余裕で14台見られる
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曳山巡行地図大石町付近 |
最も多かったのは「少しある」でした。巡行コースに大石町が入っているので、家の前を曳山が通る時は見ることが出来るとのことでした。しかし「ほとんどない」「全くない」の回答もあり、お客様が居られる時は手が放せないというのが実情なようです。
他に「せめて大手口辺りまで見に行きたいけど、見えない鎖で家に繋がっているから無理」「友人や親戚とゆっくり見たい」という回答も得ました。やはり唐津神社やお旅所に曳山を見に行くことは至難の業ですね。しかし、「2日は段取りよく準備が運べば大手口に見に行く。4日は夕方前に接待を終了し、曳山を展示場に収める時間に合せて大手口に行きます。」という回答もありました。一体どういうふうにすれば、こんなことが可能なのか詳しく伺いたいものです。
【質問7】男性は曳山を曳き、各所でお接待を受けます。しかし町内の女性は、家に居てお客様に対応しなければいけないことが多いと思います。それについてどう思いますか。ご自由にお書き下さい。または、該当するものの番号に○を付けて下さい。複数回答可。
1.大変不満だ
2.不満だが仕方ない
3.楽しい
4.男性がうらやましい
5.不満に思ったこともあるが、今は楽しんでいる。
最も多かったのは「不満だが仕方がない」でした。皆さん、とても正直に回答してくださっています。これに「楽しい」「男性がうらやましい」「不満に思ったこともあるが、今は楽しんでいる」が続きました。また以下のような回答も得ました。「私個人は接待や宴席は大好きなので、楽しくやっています。ただ後片づけは嫌いです。」「くんちでしか会えない友人や親戚がいるので、楽しみにしています」「毎年でなく一年置きくらいだと、もっと楽しめるかも」「羨ましいとも思うが、男性も色々と大変そうなので、互いの役割をこなしているのだと思います。」「不満に思ったことは一度もない。そんなものだと分かっているので。」など。
中でも印象深い回答がこの2つです。「女性に生まれ、曳山のある町に住んでいるからには、男性に輝いて曳山に携わってもらいたいし、支えてあげたい。」「曳山があるのは承知の上で嫁いだが、何年経ってもくんちの時期は気が重い。温暖化のせいか気温が高いので、料理が傷まないかとても気を遣います。後片づけを夜遅くまでするのが大変です。」
どちらも女性ならではの視点で書いてくださっており、どの女性にもこれと同じような2つの入り混じった感情があるのではと想像しています。
私がこのアンケートを町内で配っている時に、複数の奥様から同じことを聞きました。それは「人手不足」であるということです。我が家は、くんちの時は多くの親戚や知り合いが手伝いに来てくれますので、人手不足と聞いた時は少々驚きました。原因は色々あるようですが、特にくんち最終日の4日が平日の場合は深刻なようです。ご親戚や娘さんが居られたとしても、平日に仕事を休めないので、結局は自分だけで接待や後片づけをしなければならないことがあるのだとか。どうですか皆さん、これを聞いて「唐津くんちは無礼講だ」などと言い、軽々しくよそのお宅にお邪魔してお料理を頂くなんてことは出来ないと思いませんか。しかし、そのような事情をおくびにも出さず温かく受け入れてくださるのです。
【質問8】お客様をお迎えして、どういうところに喜びを感じますか。ご自由にお書き下さい。または、該当するものの番号に○を付けて下さい。複数回答可。
1.お料理を気に入って頂き、おいしかったと言って頂いた。
2.お部屋の装飾など、飾ってあるものについて褒めて頂いた。
3.ご主人のお知り合いが多く来て頂くことに、ご主人がたくさんの方々に慕われていることに誇りを感じる。
4.ご友人やご親戚が集まって楽しい。
5.お子さんやお孫さんが楽しそうにしているところ。
最も多かったのは「お料理を気に入って頂き、おいしかったと言って頂いた。」でした。やはり、あれだけ頭を悩ませ準備したお料理ですから、褒めて頂くと嬉しいのは当然ですね。次に「お子さんやお孫さんが楽しそうにしている。」が続きました。中には「しかし、くんち3日間は子どもたちが偉そうに横着なので腹が立つ」と付け加えて頂いた方もおられました。私もそうでしたが、学生の時は親の苦労などには一切無頓着で、無責任に浮かれてしまうものです。くんちの時は友達と曳山を曳いて、出店で色々買って、家に帰ればご馳走の山があって、ジュースも飲み放題。夜には遊び疲れて歯も磨かず寝てしまう。「偉そうで横着だ」と言われるのも当然です。しかしそう言いながらも、何かと世話を焼いてしまうお姿が目に浮かび、思わずニンマリしてしまいました。
他に「たまにしか会えない人、初めましての人、出会いと交流の場として楽しんでもらえるところに喜びを感じる。」「えんやえんやと掛け声をかけながら家に来て頂くのが楽しみ。」「友人の友人、親戚の親戚など、新しい出会いがあるところ。」といった回答も得ました。
また「来て頂いているお客様の分だけ、私たち家族がこれだけの人達と関わり支えてもらっていることを感じて、あり難いと思います。」とお答え頂いた方もおられました。なるほど、唐津くんちを通して、自分たちが他の色々な人々と関わり、支えられ生きていると実感しそれに感謝しているということですね。素晴らしいことです。
【質問9】今年平成26年に、鳳凰丸が総塗り替えされました。また10月12日には御披露目の為の披露宴が、町内の皆さんのご協力を得て執り行われました。綺麗になった鳳凰丸をご覧になった感想、披露宴で裏方としてお手伝いをされた感想をご自由にお書き下さい。
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2014年10月12日 |
「いつもくんちは個人宅での接待で、町内の女性の方々と一緒に何かをするというのは、大変でしたが楽しかった。男性同士は年中顔を合せて飲んでいるけど、奥さんは知らない人もいて、“○○の奥さんと娘さんよ〜”などと教えてもらい、互いに知り合えて良かった。」
「大石町の女性達が全員張り切って、お祝いに来てくださった方々をお迎えしました。そんな町内の女性たちの気持ちがとても嬉しかったです。」
「以前の鳳凰丸も良かったですが、彩りが増して、何よりピカピカ輝いて綺麗です。御披露目当日は曇天でしたので、晴天での鳳凰丸、そして宵曳山での鳳凰丸が楽しみです。」
「最初あまりのカラフルさに戸惑いましたが、綺麗になったので良かったです。」
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お披露目の手伝いに出た女性たち |
「息子が生まれた年から30年、感慨深いものがありました。孫と一緒に迎えられたことも良かったです。若妻さん達も楽しんで過ごせるよう、くんちのお接待の大変さも改善されたらよいと思います。」
「人前に出るのが苦手なので、御披露目のお手伝いに行くのは正直に言うと嫌でした。でも、行ってみたら思っていたよりも楽しい時間でした。」
「御披露目が行われた、今この時に生きていること、お手伝いできたこと、生涯忘れることは出来ません。ありがとうございます。」
「鳳凰丸を心から愛していた故人を思い、涙が止まりませんでした。披露宴に協力できたことを感謝しています。」
上記のような回答を得ました。修復が終わり、曳山展示場から大石町を経由して、ふるさと会館アルピノへと向かう道中、市民のみなさんからお祝いの言葉を頂きました。また、複数の他の曳山の町の方々から、様々なお祝いを頂きました。特にお祝いの品を頂いた、外町3町の材木町さん・魚屋町さん・水主町さん、木綿町さん、京町さんの皆さまにはいくらお礼を申し上げても感謝を伝えきれません。平野町さんにも、お祝いのお出迎えを頂き、感慨ひとしおでした。
昭和60年に前回の塗り替えが行われてから、およそ30年振りの修復事業でした。町内の女性達に、披露宴会場でお客様のお世話のお手伝いをして頂きました。中には、普段は曳山とあまりかかわりのないお宅の女性も参加して頂きました。上記のように、参加してくださった女性の皆さんは、概ね良かったという内容の回答をして頂きました。
これは私見ですが、曳山というもの自体に相当な価値があるのは自明の事実ですが、それを取り巻く人々の交流にこそ、また相当な価値があるのだと思います。つまり曳山を媒体にした交流です。各人で曳山に対する思い入れの違いや、はたまた曳山が嫌いだという人もいるでしょう。そういう違いこそあれ、曳山を通して30年に1度の祝宴に協力しあった。このような付加価値に曳山の真の価値があるように思えます。
【質問10】次に生まれ変わっても、また大石町に生まれたい・嫁ぎたいと思いますか。
1.はい
2.いいえ
3.どちらとも言えない
回答の比率は4:2:3でした。多くの方が「今度は男性として大石町に生まれたい。そして曳山を曳きたい。嫁ぐより大石町に生まれたい。」と書かれていました。「曳山をゆっくり見たいから、生まれ変わるなら曳山のない町がいい。」「大石町のことしか知らないので、今度は違う曳山の町に生まれたい。」「くんちがあるから秋の紅葉を見に行ったことがない。曳山ではなく山を見に旅行に行きたい。」という回答も得ました。
また「何歳になってもお客様を心からお迎え出来ますように、足腰を鍛えて頑張りたいと思います。」と書いておられる方もいました。まさに曳山のある町の女性の鑑!と思った人、たくさんいますよね?今回、大石町の約20名の女性の皆さんにご協力を頂きましたが、個人差はあれ、どの女性も男性を支えるためにご苦労なさっているということが改めて分かりました。そのような思いを抱えながらも、旦那さまやお子さんたちが曳山を曳く姿が楽しみだともおっしゃいます。色々な苦労をし、様々な不満を持ちながらも、結局は支えてくださっている女性の皆さんの忍耐には感嘆せざるを得ません。しかし「堪忍袋の緒が切れる」「仏の顔も三度まで」という諺もあります。男性は、表舞台で威勢よく掛け声をあげ、唐津くんちは素晴らしいですね、凄いですねとメディアに取りあげられ上機嫌で視聴していますが、このような面もあるのだということを心に刻みつけたいと思います。
確かに「曳山のある町の女性の鑑」のような女性がいらっしゃいますが、それはおおかた男性からの視点で見た場合の評価だと思うのです。前述の女性は、私も個人的にお話することもあるのですが、心の底から「お客様へのおもてなし」を愛しておられます。しかし、全ての女性がそうではないのです。料理に頭を振り絞り、体力的にもきついながらも、男性を支え、唐津くんちを支えてくださっていることを忘れてはいけなのでしょうか。とは言え、何かに遠慮したようなくんちは、くんちではありません。本番では、元気よく曳山を曳いて曳いて曳きまくりたいと思います!
最後まで読んでくださった皆さま、ありがとうございます。取材に協力してくださった、大石町の女性の皆さまにも、重ね重ねお礼を申し上げます。ありがとうございました。
平成26年10月22日
大石町 島崎 智孝
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お披露目の日に同級生ばかりで撮影 腰をかがめているのが筆者 |
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