#170
2014年5月

このページは女将が毎月更新して唐津のおみやげ話や
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通渡寺での献茶



 みなさん、こんにちは。
今回は、韓国の通度寺(トンドサ)での献茶式のおはなしです。
 私ども夫婦は4月に韓国へ旅行しました。今回は通度寺でのテンプルステイが目的です。お寺への申し込みは韓国の友人、カン・スギル先生がしてくださいました。その上、カン先生は、タイミングを合わせて通度寺への献茶式を企画して下さって、先生のお茶のお弟子さん、火曜日クラスの総勢17名のかたがたが釜山から1時間半の通度寺に集合してくださったのです。
 私にとっては初めて見る韓国茶道の作法で、数あるお手前の中の、寺院での献茶のやりかたを実践してくださったものです。

 カン先生は、日本で裏千家の茶道を学ばれ、30年も前に釜山に裏千家の支部を作られた方ですが、今は支部長は譲って、もっぱら御自分の考案された韓国茶道の普及にあたっておられます。海雲台のタルマジ(月見台)の高台のマンションを広く改造して素敵な茶室や瞑想室がありました。あちこちに飾ってある骨董品がすばらしく美しく、お寺の様な雰囲気の中で、カン先生考案の、高麗時代の衣服にヒントを得た独特のチマチョゴリが色彩もシックで、普通の韓服とはまた違った魅力がありました。
 生徒さん達がみなさん、上流の夫人がたで、話す言葉も発音のしかたも一味ちがう優雅さがありました。

 では、ご一緒に献茶式にお立会いください。


通度寺は慶尚南道梁山市(ヤンサン市)にあるお寺で、新羅の僧・慈蔵が646年に善徳女王の命で創建したものです。韓国三宝寺院のひとつ。五大叢林にも名を連ねています。
山号の霊鷲山は、寺の後背にそびえる霊鷲山からのもの。この門の中に広く伽藍が配置され、山に入っていくと十幾つもの庵があります。
私たちは、まず横道に入って山を登り、献茶をする庵に向かいました。
陽だまりのなかに、そっとたたずむ安養庵(アンヤンアム)が、今日の会場です。
周りの桜は満開を過ぎて、チラホラと散り掛かったところ。
まずご本尊の前に献花がされました。ポピーと白椿。
 高麗時代の衣服からカン先生が考案されたタボク(茶服)は、特許も取ってあって、だれでも作れるものではないそうです。お手前をする人はその上にアプチマ(エプロン)をかけます。二人の人が、アプチマをつけるのを手伝っています。
準備が整っていきます。背中の人は本日の献茶をする人。
 この庵の和尚様も時間になったらお出ましになりました。
   始まる前の静寂。
向かって右の方の台の向こう側に、チラッと見えるでしょうか、金色の鐘があって、初めや動作の区切りに静かに鳴らされます。式の間は一切無言ですから、この鐘の音で次の動きが始まるのです。
さあ、開始。
まず、お香が手渡され、そのお香は全員に配られて手をこすり合わせて清め、香りをかいで心を鎮めます。
次に白扇にのせた椿のはなびらを散華します。
ご仏前に撒かれたはなびら。
 献茶が本尊と脇に安置されているかずかずの仏像、仏画に供えられます。
そのあと、全員にお茶が注がれます。
 一服してから、瞑想にはいります。10分ほど静寂に包まれ、鳥の声だけが聞こえていました。鐘がなると目を開けます。
もう一服いただき、次は歩き瞑想です。静かに10分ほどその座をめぐります。
また鐘の音で終了。
仏前からお茶が下げられ、和尚様に渡されました。
そのあと、別のお手前がありました。真ん中に大きなポジャギをしいて、そこが茶席になります。中央に椿が2輪投げ入れられました。美しいものですね。
1名がお手前、3名が客ですが、お手前の人の横に座っている方はカン先生の高弟で、代講をしておられます。
手前の人のチマの広がりがきれいですね。
入れられた煎茶をこのようにいっせいにいただきます。
次に抹茶のお手前の準備がされました。
銀の茶器から銀のスプーンで抹茶がすくいだされます。
茶筅は立てずに、レストに寝かせます。
主人もお客に加えていただきました。小さな菓子器に4人分のお菓子。キャラメルくらいの大きさです。何のお菓子だったか、聞き損ねました。ちょっとやわらかめのモチ系統だったように見えました。
お手前が無事済んで安堵したお二人。
お茶事のあとは、いくつかの庵を見学させていただきました。1~2時間程度の距離にお住まいでも、庵まではなかなか普段は見られないそうで、みなさん大喜びでした。
   ある庵の前庭で、小さな池に太鼓橋がかかり、その上でじっと動かない若い男性を見ました。池には桜吹雪が散って、水が見えないくらい。いつもは、水が澄んでいて、橋が映って満月に見えるそうです。わたしも渡ってみたかったんですが、この人が動きそうになかったので、あきらめました。
夕方になってやっと通度寺の本殿にたどり着きました。
大雄殿はかなり古く、国宝です。
この本堂には、ご本尊の仏像がありません。なぜなら、正面に開けてある窓から外の戒壇を望み、その戒壇に創建者、慈蔵法師が中国から持ち帰った釈迦の舎利が安置されていて、それが本尊だからです。
暗くなりかけていた外へ急いで回って、戒壇の写真を撮りました。近くまではいけないようになっています。戒壇はあまり高くないので、提灯の陰でよく見えません。赤い提灯の一番上の列の右から7番目の上に、チラッと出ている石の先が、戒壇の塔の先端です。
釈迦生誕の日が新暦では5月6日に当たりますが、そのために各寺院では献灯の準備におおわらわです。
有名な壁画も夕やみがせまってよく見えませんでした。
午後6時半、梵鐘楼では鐘と大太鼓がたたかれます。この世の生きとし生けるものの供養のために、また、魚の形をした魚梆(ぎよほう)は水の中のすべての生き物のために打ち鳴らされます。
鐘と太鼓が済むと僧侶たちが本殿のほうへと歩いていかれます。
   国宝の大雄殿でなく、隣接の新しい本堂で、僧侶が80人ほども集まられて1時間程度の読経です。私たちもおまいりして一緒に礼拝をしました。
打ち上げの遅い夕食は寺近くの料理屋で。精進料理のような、草や、麺類の料理でした。皆さん、朝から長い時間なのに早く帰る人もなく、尋ねると、ご主人方は奥さまの趣味に理解があるそうです。まあ、なんとうらやましいこと。
食後はまた通度寺の門を入って、別の方向の山道をたどると、今夜の宿泊地、西鷲庵(ソジュクアム)です。霊鷲山の西のふもとのようです。
西鷲庵の本堂はこぶりながら新しいきれいなものでした。まだ開かれてから間もないようです。本来ならばこの時期にはこの通度寺ではテンプルステイを受けないのだそうですが、特別に許していただきました。夜の写真ですが、なんとか写っていますね。iPadでの撮影です。
私たちの泊まった部屋は、一番広いつくりのようでした。真新しく、便利でした。写真手前のほうには、広いシャワー室、トイレがあり、お湯も出ました。もったいないようなテンプルステイでした。何棟もの建物のひとつの奥のほうに当直の方がいらっしゃると聞きましたが、あとは何一つ物音がせず、風も吹かず、静寂そのものでした。
この寺で私たちは三大寺院(海印寺、松広寺)のテンプルステイをすべて終了しました。
まことに残念でならないのは、私の早とちりで明け方3時半の読経に出られなかったことです。前の日の夕方の読経が、本堂のほうで僧侶が皆さん集まられていたので、朝の読経もそちらであると勝手に思い込んでいました。本堂からこの庵までは車で送ってもらって10分ほどかかりましたし、夜明け前の暗い山道で案内図もないので、おそらく2時間かかってもたどり着けないだろうと思って、あきらめて朝寝していたのです。ところが、庵ごとにお勤めはあったようでした。
読経がすんでからこっそり西鷲庵の本堂に入って、仏様に遅刻のお詫びをしました。
ここにも天井いっぱいにプッチョニムオシンナル(お釈迦さまの生誕の日)の献灯が準備されていました。
 朝食はこの寺の近くに別荘を持っておられる方(カン先生のお弟子さん)が迎えに来てくださって、広いお庭のタンポポなどの摘み草料理を作ってくださいました。カン先生が教えておられる食事の作法などもおそわりました。箸の上げ下げも、日本の作法と微妙に違っていました。韓国でも新しいお作法は、汁気の多いものを食べるときは、日本と同じように、器を手に持ってもいいんだそうです。基本は日本のお作法で、それを韓国の料理や器、スジョ(箸と匙)の実情に合わせてアレンジしてあるようでした。

 こうして、私たちのトンドサの旅は終わりました。花吹雪の中の、美しい旅行を今回もさせていただきました。みなさん、ありがとうございました。

 また、来月お目にかかります。お元気で。
 




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