世界文化遺産・マラッカへ
2012年2月の旅
大河内明彦
クアラルンプールのトランスナショナル・バス会社のホームページを見ると、KLIA(クアラルンプール国際空港)とマラッカ間のバス時刻表が出ている。インターネットで予約を受け付けるようなので出発前に何回か試したが、どうもうまくいかない。やむをえず宿泊の予約をしているKLIAのホテルにメールでバスの予約を頼んだが返事が来ない。
1月30日、ThaiAirで福岡発午前11時40分。その日の午後8時にKLIAに到着。その足でバス発着所に行ってみる。ここからマラッカ行きはすでに廃止になっていて、格安航空のLCCTからのみ出ているとのこと。
Concord Innのシャトルバスでホテルに到着、フロントでバス予約の仔細を問うが無視される。自分で解決するしかないと知る。
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トランスナショナルバス |
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1月31日
激しい雨の音に目が覚める。Cats and dogsというのはこういう雨を指すのかと、ふと学生時代に覚えた言葉を思い出す。6時のシャトルバスでKLIAに行き(15分)、LCCT行きのバスで移動(20分)。
トランスナショナルバスは7:30出発予定。乗車前に切符購入が必要だと言う事だが切符売り場に人が見当たらない。バス乗り場との間を4,5回往復する。結局8時にならないと職員が出勤しないという事で、バスの中でキップが買えた。早く言ってくれよなあ。 |
車窓から見える高速道路の両脇には油をとる為のヤシの木がずっと植えてあり、緑の間をすがすがしい気分でメラカ・セントラルに到着。2.5キロ離れた市内にはタクシーで行く(20分)。
観光第一歩をマラッカ観光のシンボルであるムラカキリスト教会のあるオランダ広場から始める。 |
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ムラカキリスト教会が正面に見える。 |
セント・ポールチャーチ |
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スタダイスには日本統治時代の資料や写真がある。資料館の裏口から出て1521年にポルトガル人が建てたセント・ポール・チャーチに行く。この丘からマラッカ海峡が見える。 |
登って来た反対側の階段を下りた所にサンチャゴ砦がある。1571年、オランダとの戦いに備えてポルトガル人によって造られたそうだ。 |
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サンチャゴ砦 |
スルタンパレス |
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砦に向かって右側を少し歩くとスルタンパレスの入り口がある。古宮を再現した木造の建物で、広い庭園には花が咲き誇り、人影もまばらでゆっくりした気分で過ごすには良い場所だ。 |
砦の左側にはムルデカ広場があり、独立宣言記念館がある。 |
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独立宣言記念館 |
海峡の夕日 |
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一旦ホテルで休憩し、マラッカ海峡に落ちる夕日を見ようと海岸の方へ行く。午後7時になっても陽が沈みそうにないのでセントポ-ルチャーチのある丘へ登ったところでスコールに会う。慌てて丘を駆け下り、濡れた姿のままメガモールの中の中華料理店に飛び込む。漢方料理で、初めて味わうものだった。
スコールは急に空が曇ったかと思うと激しく降ってくるがしばらくして止むようだ。これもまた一つの大切な思い出になるだろう。 |
2月1日 7:30am
やっと外が明るくなる。昨晩ホリデイインの側の桟橋から見た対岸の人工島まで歩いてみることにする。ここには海に浮かぶモスクがあり、建築中の建物がずらりと立ち並んでいる。島に渡る橋のたもとで引き返そうとしたところでハンガリーから来た青年に会い、一緒にモスクまで歩くことにした。建築中の建物群はどれもフェンスで入れないようにしてあって、近道のつもりで横切ると却って遠回りになった。 |
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建築中の建物群 |
フローティングモスク |
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漸くモスクに辿り着く。係の人は快く内部を見学させてくれた。生まれて初めて履物を脱いで入る経験をする。往復2時間以上かかって歩いて宿に戻り、チェックアウトして今夜の宿のあるチャイナタウンに移動。 |
チャイナタウンの正月は今年は1月23日に始まって15日間、つまり2月6日までである。町の入り口には龍の飾り付けがあり、街中に祝いの赤提灯が飾り付けてある。 |
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チャイナタウンの入り口 |
ムスリム・カンプン・クリムモスク |
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一つの道筋に中国寺院、インドヒンドゥ寺院、イスラム寺院が勢揃いしており、多民族国家としてのハーモニーを感じる。また、華人男性とマレー系女性との結婚によって生まれたババニョーニャ文化が継承されている。 |
その代表のBaba&Nyonya Heritage美術館の一角に泊ることにする。一階入り口はカフェもあり朝昼の食事を提供している。客室は二階に3室、三階に1室。二階に休憩室及びインターネットを使えるところがあり、共同トイレやシャワー室がある。 |
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ババニョーニャ美術館 |
私が泊った部屋 |
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私の部屋は三階で、幅60センチ、横に壁のない狭い階段を荷物を抱えて昇降する時にはスリルを味わった。建物は素晴らしく、オーナーはじめ従業員のみなさんが親切で笑顔が有り、不便さよりも泊めて貰ったことに感謝した。 |
2月2日。 マジェスティックホテルに移る。マレーシヤに来て急に不通になって困っていた携帯電話を、フロントの熊本出身の女性に電波調整してもらいやっとメールが通じた。それだけでもこのホテルにしてラッキーだったと感謝する。 |
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マジェスティックホテル |
籠に入ったティーポットとカップ |
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部屋に案内され、保温のために籠にいれてきた急須をとりだしてお茶を注いでもらう。客室でお茶をお注ぎするのは日本旅館では当たり前のことでも外国では珍しいのではないだろうか。 |
客室棟は2008年オープンの新築だそうだが古い建物のロービー棟に合わせてクラッシックに造られている。窓からはマラッカ河に取り囲まれるように佇む赤色トタン屋根のマレー村が見える。 |
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落ち着いた感じの客室 |
川の左側がマレー村 |
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ロビーで昼食を済ましてマレー村を散策する。夕方からは多くがレストランとして開店するのだろうが昼間は人の気配すら感じぬ静かな集落である。 |
夕食もホテルでとる。7時、ロビー2階のダイニングルームに行くが、客は私一人のみ。とたんにピアノ演奏が始まり、しかも食事が終わるまでずっと日本の曲であった。ピアニストのサマー・ファンさんと親しくなった。 |
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ファンさんと記念に撮影 |
セントラルステーション |
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2月3日
11時にチェックアウトし、タクシーを呼んで貰ってセントラルステーションに行く。
クアラルンプールに行くバス会社は色々で料金もまちまち。私が乗るトランスナショナル Niceは、23RMだが、一番高いのだそうだ。座席はリクライニング出来てゆったりして快適であった。クアラルンプールではさらに4日間いたが、その話は今回は割愛する。 |
マラッカに来て仏教、イスラム教、ヒンズー教という三つの宗教が夫々人々の生活に根付き社会に融和していることや、ババニョーニャ文化を見、またこの土地に長く使われてきたピジン系の英語の、変化したスペリング、発音に触れて、世の中、これでなければならぬというきまりはないのだなと、束縛から解放されたような気分でこの地をあとにした。マラッカの雨に打たれて私の頭が洗われたのかもしれない。 |