1 はじめに
20世紀の終わりころから世界はグローバル化が一気に進み、様々な国の旅行者・食品・言語・情報などが一同に茶の間に押しかけるようになりました。近くのスーパーマーケットでも、20年前までは見たこともなかったような果物が並んでいます。社会は低成長の時代となって久しいのですが、日本は世界のグローバル化の中で恩恵を受けている国の一つであるといわれています。
日本は資源に乏しく、海外と貿易をすることによって発展してきたことは、ここで改めて話す必要はないくらいかと思います。同時に、遠くギリシャで起こっているような経済危機がそのまま日本にも押しかけ、一見関わりがないような唐津のような地方都市の景気や雇用に重大な影響を与えるようになりました。
今回は、このようなことについて視点を変えて考えてみたいと思います。
2 多様化する世界
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from National Geographic Magazine |
人類は「社会的な動物」であるといわれていますが、他のどの種の動物も持っていない極めて高度な社会構造をもっています。この人類の直接の祖先は10万年前に登場して、ヨーロッパにおいてネアンデルタール人と共存して、ネアンデルタール人が3万年前に原因不明の絶滅をしてからは、人類は種としては単一種となってしまいました。
単一種というのはもろくて絶滅のリスクが大きく実際、人類はいくつかの危機を乗り越えてきたと考えられます。例えば氷河時代の終りには、人類の存続の一つの危機でした。氷河時代の終焉とともに自然環境が大きく変わり、気候変動によりマンモスやナウマンゾウなどの大型動物が絶滅して、人類を取り巻く環境は激変しました。この温暖化は、人にとって必ずしも福音だけではありませんでした。なぜなら数万年来続けられてきた旧石器時代の生活スタイルが維持できなくなってしまったからです。
この時、人類が氷河時代の動物とともに滅亡しなかった理由のひとつは、人類は環境の変化に適応するために、狩猟・採集を中心にした社会のシステムに加えて、新たに植物の管理栽培や動物の飼育といった多様な技術を獲得したからではなかったかと考えています。人類のあるグループは植物の管理栽培を発展させ、農耕を生み出しやがて原始国家へと発展させていきました。また、あるグループは動物の飼育技術を改良して牧畜を生み出し、遊牧騎馬民族国家への基礎を築きました。
また、あるグループは、管理栽培と狩猟・漁撈・採集を組み合わせることにより、一層自然の恵みを受ける方法を編み出しています。
このように、人類は単一種という弱点を補うために驚くべきことを実施しました。それは単純な狩猟・採集という社会システムを分化して、社会を多様化させた事でした。これは「鶏と卵」の話と似ていますが、多様化に成功したからこそ生存を続けて今日の繁栄を生み出したといえると思えるのです。
旧石器時代の人類は、ナウマンゾウやオオツノシカを追って、移動を繰り返していました。この時期の人々にとつて、個々に交流する範囲は極めて限定的でしたが、生活手段や生活水準にたいした差はなく均一化した文化が広範に広がっていました。しかし、人類が新たに獲得した「多様性」は、人種や言語・民族・文化をより複雑なものにしました。
この話を旧約聖書風に話せば「バベルの塔」の人類の分散の物語となります。そして、様々な人種・言語・文化・文明は、誕生と死を繰り返しながら勢力を拡大していきました。
3 循環型の社会
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クリ、ドングリ |
日本列島に暮らす縄文人は林に入りドングリなどの木の実・球根を採集して、高度な技術で加工したり貯蔵したりしました。また、罠をしかけたり弓矢などを持ち森林の中を素早く移動し、シカ・イノシシなどを仕留めた優れた狩人でもあり、貝を採集し網で魚を取ったり、外洋に出ては小さな丸木船を巧みに操り、銛でサメやイルカを追ったりしていた優れた漁師でもありました。
また、最近の研究では、集落の周辺では大豆やアズキなどの栽培を行い、栗林などを管理していた様子も次第に明らかとなり、縄文時代後期にはアワ・ヒエ・稲などの栽培もすでに一部始まっていたことが指摘されています。
縄文文化は、天然資源の一層の活用と管理栽培とを複合させた文化でした。
植物の管理栽培と動物の飼育という技術は、土器や石器の文化圏とかに細分化される文化圏を越えて、広範囲に存在した人類が共有する文化でした。
日本列島は南北に細長く地形も複雑であり、3,000メートルを超える山脈、黒潮・対馬暖流・親潮・複雑な沿岸流、梅雨や豪雪など地域により異なる気候、火山活動・地震・台風などの自然災害、世界にもまれな多様な環境を持っています。このことは日本列島内で地域的な文化を形成させました。これが日本社会の中で地域文化として、姿を変えながら今日まで伝わってきています。
縄文文化は多様な環境の中で、きめ細かく自然の恵みを受ける方法を編み出した文化であり、地域と時代によりさまざまに分化した複雑な構造をもっていいます。このように地域的に細分化された文化は、縄文文化の大きな特色の一つです。
縄文人たちが造り出した世界は、城郭都市などを生み出した中国などの国々からみれば後進的で停滞社会ともみられたかもしれません。しかし、実際には高度な循環型社会を構築していました。縄文社会にも争いがあり、厳しい自然との闘いや生存競争もあったでしょうが、現在の私たちが抱える「破壊的」な規模のものはなく、エネルギーや資源の危機も現代社会が抱えているような深刻なものではありませんでした。
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弥生時代を復元した吉野ヶ里遺跡(佐賀県) |
縄文人は自然と共存することで生きてきましたが、弥生時代以降は、自然と競争しながら生き始めたということです。これは農耕社会のもつ「拡大性」と関係があり、富と権力を蓄え続けるという縄文社会にはない特質をもっていました。日本においても、弥生時代以降は農耕社会が定着して、河川の流れを変えることとか、山林を切り開いて開拓するという方法を選択するようになりました。
世界ではさらに農耕社会は農耕国家を生み、商業国家や軍事国家へと成長していきます。富の獲得は商品と資源、情報・金融の支配へと拡大して、結果として「富の平等の配分」「資源の乱費」「競争社会」「管理社会」という負の要素を孕みつつ現在の繁栄を維持してきました。
4 均一化する現代社会の中で
過去の歴史において農耕社会は統合と分裂を繰り返しながら、最終的には多様化した世界を政治的に経済的な統合を目指しています。統合の合言葉は「グローバル化」「国際化」です。そしてより「経済的」で「効率化」した未来像が描かれています。世界では現在、グローバル化が叫ばれ、経済的な統合が進んでいます。これは農耕社会から生まれ、成長を続けた社会が今後存続し続けるための重要な手段となりますが、それがこれからの人類の選択枝の総てではないと思います。
ここでお断りしておきますが、現代の文化水準を落として、縄文時代にもどろうと言っているのではありません。人類が多様化により、存続してきたということを認めて、それぞれの国・民族の文化・伝統に優劣をつけずに、固有にもつ文化・習慣を相互に尊重する必要があるということが話したいのです。人類のもつ「多様性」が必要であることをお話したいのです。
農耕・牧畜・採集・狩猟・漁労への社会の文化は単一種となった人類が、バトンを他の人類の種にわたすことができなくなった以上、私たちは私たちの種を守っていかなければなりません。
人類は存続のために、結果として多様な社会・文化が生み出しましたことを先に話しました。世界のグローバル化は必要なことですが、「グローバル化」の名のもとに世界を「均一化」するのは、問題が多いと考えます。
「均一化」した社会は、「資源の枯渇」「人口の爆発的な増加」「地球規模の温暖化」など急激な環境変化に、柔軟に対応しきれないのではないかと考えます。たしかに、20年後、50年後のことを考えれば、今の枠組みでもかまわないかもしれないかもしれませんが、1000年後はどうでしょうか。途方もない未来のように見えますが、人類10万年の歴史のわずかに先のことです。
では私たちに今、何ができるのでしょうか。どうせ何もできないなんて初めから考えないでください。
「世界のグローバル化」は決して「世界を均一にする」ということではなく、「世界の統合」は「世界の同化」とは違うということから考え始めるのはどうでしょうか。多様なライフスタイルの中で、様々な国の異なる習慣を持つ人々との共存が、私たちの今後の世界を考えるヒントになるかも
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統合の中でも個性を守るのは
「サラダボウル」といわれる多様化の文化 |
しれません。
また、地域の文化を堅固に維持していくのも、ひとつの方法になるかもしれません。
日本も世界も「均一性」を過度に求めるべきではないと思います。
違うということの「価値」を再認識し、多様な生き方の中で、異なる才能を認めることから、始めていくのはどうでしょうか。考えはそれぞれ別々でいいと考えます。何よりも「多様化」こそが、人類の編み出した英知なのですから。
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