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#1 御挨拶

#98
平成20年
5月

焼酎「桜島」黒 本坊酒造  


黒豚たずねて三千里
鹿児島旅行 2008年春





 今月のこのタイトル! 「黒豚たずねて三千里」とはまあ、あきれた。自分で決めたタイトルながら、おおげさな。第一、唐津から鹿児島まで、三千里もあるわけはないデショ。したがって、誇大広告ですわ。けれども、私の心象風景としては、今回の”黒豚を探せ”は、実行までに数か月をかけて苦労したミッション・インポシブルだったわけですから、ちょっと大げさなぐらいはなにとぞ御海容のほどを。
 
 
 というわけで、去る3月の25、26日に出かけた、一泊二日の黒豚旅行の顛末をお話ししますから、参考になさるなり、ブーと鼻で笑うなり、お好きにどうぞ。申し上げておきますが、この黒豚旅行はありふれたグルメの食いしんぼ旅行でなく、地球を救う、というか、絶滅危惧種を救う、というか、壮大なミッションなのですよ。
 
アジョシ
ホ チャンヒョン課長
 このミッションのヒーローは、一人のアジョシです。このアジョシ(韓国語でおじさんの意)は、韓国済州島のソギポ市から、姉妹都市交流として唐津市へ研修で半年間来ておられる、50代のアジョシです。
 そしてヒロインはあるアガシ(令嬢)で、韓国から誰か見えると、結局は毎回世話役をさせられてしまうはめになる釜山出身の韓国語教師です。このかたが、私が週一回行く韓国語教室の先生なのです。

 アガシ先生はアジョシに日本語を教えておられますが、その会話の中でアジョシが言うことにゃ、「黒豚に会いたい」と。それも、毎日、毎日、涙ながらに。なぜなら、アジョシはソギポ市役所では畜産課の課長さんなのです。済州島は農業の盛んなところで養豚業も韓国一だとか。でもそれは白豚のこと。済州島には古来より原産の島豚がいて、これは全身真っ黒だそうな。思うに、鹿児島県の南の島豚と同じかもね。 ところがこの済州島の黒豚は、飼うのもむつかしいし、採算が取れないのでやめる農家が多くて、このままだと絶滅の危機に瀕するのだとか。白豚が何十万頭も飼われているのに対して、黒豚は二万頭くらいしかいなくなっているのだそうで。何年か前
アガシ
ユン ミギョン先生
に鹿児島の黒豚を何十頭か済州島に持って行って増やす算段をしたのだけど、ある日豚舎に火事が起こって鹿児島の黒豚さんたち、全部焼け死んだんですって。なんとまあ。なまんだぶ。それいらい、済州島の黒豚は日に日に衰退の一途をたどっているのだそうです。私のウンチクを傾けると、頭数が少なくなってくると近親婚をくりかえすようになり、ますます弱くなってくるのですよ。

 アジョシは、白豚のためにはカナダやデンマーク、っていったかな?いろいろ外国へも行って勉強して来て成果を上げているのだけど、黒豚に関しては今のところ打つ手がない、それで、唐津は九州だから黒豚がいるはずだから勉強して来いと、市長特命を受けて張り切って来てみたらば、唐津には黒豚はおらんのであります。探せば、一頭くらいおるかもしらんけど、養豚業として黒豚をやっている人はいないのよ。

 がっかりしたアジョシが毎日「黒豚、くろぶた〜」と泣き言をいうもので、世話焼きのアガシ先生はとうとう、教室で生徒たち(つまり、私たち)に、「誰か黒豚はどこに行けば見られるか知らない?」と問いかけられたわけです。

 黙っていればいいものを、でしゃばりのアジュンマ(おばさん)が一人、「黒豚なら、そりゃあ、鹿児島が一番おいしいでしょ」と、知ったかぶり。もちろん、それはワタシですけど。
「鹿児島? そこ、なんとかして!」とアガシ先生。

 口はわざわいのもと。言い出した私に責任がかぶさってきました。「鹿児島に親戚はいないし・・・観光旅行で行って黒豚食べるのならなんとでもアレンジできるけど、鹿児島県のブランドで企業
チング社長
本坊治國氏
秘密のはずの黒豚視察なんて、どうしよう・・・誰かコネがないかな・・・ アッ、いた!」と、ひらめいて思いだしたのが、また、すごい大物。

 某大手澱粉会社の社長さんで、系列には焼酎メーカーも二つあり、テレビ局やその他いろいろグループ会社のある財界人です。飼料も作っておられる。そんなえらい人を私がなんで知ってるかって?嘘だろうって?ほんとだってば。
 そのかたとは幼馴染のチング(友人)でありまして、小学校、中学校、高校がいっしょだったのです。彼は大学が鹿児島で、結局鹿児島県人になってしまわれたのです。

 ある日、恐る恐るチング社長の本社に電話をかけてみました。会社がたくさんでどこにいらっしゃるかわからないし、私を覚えておられるかもわからないし、第一そんなにえらい人にこんなこと頼めるかしら・・・。
 「あの〜、唐津の洋々閣女将の、オオコウチと申しますが・・・」と取次ぎを頼むと、「オヤ、はるみさん?」といきなり名前を言ってくださった。「ヤッタ、覚えていてくださった!」 (やはり美人はトクだなあ。)
 「かくかくしかじか」とチング社長に訴えて、なかなかむつかしいだろうが当たって見ると言ってくださいました。そのあと部下を総動員して探してくださったようで、ほどなく、何とかしてあげると御返事をいただきましたのよ。持つべきものはオサナナジミですね。

オンマ
力久邦子さん
 それから約二か月もあと、やっと日程の都合がついて、アジョシとアガシとアジュンマともう一人、オンマ(お母さんの意味。私と同じクラスで韓国語をならっているかたで、アガシの唐津でのお母さん。心やさしい美人です)、計4名の黒豚視察団は3月25日朝、博多発のリレー特急つばめの車上の人となったのでした。リレー特急つばめは車体が黒いのですね。博多駅のホームで見たとたんにアジョシが「アッ、黒豚!」と騒ぐのですが、ほんに、ひょっとしたら、つばめに見せかけておいて実は黒豚を食べたくなるように意識下に働きかけるサブリミナル効果をねらった鹿児島県の陰謀かも。

チング社長、アジョシ、ミート社長
 博多ー鹿児島って、近いのね。新八代で乗り換えて、アジョシをそっちのけで女3人がペチャクチャやっているとすぐに着きました。12時半ごろ鹿児島中央駅に新幹線つばめは滑り込み、迎えに来てくださったチング社長の車で本社に案内され、そこにご足労願ってあった大手の黒豚ミート会社の社長さんに引き合わされました。このミート社長さんみずからが鹿児島市より南の養豚場に案内してくださるそうです。チング社長が一緒に来て下さるので、見学を認めてくださったようでした。アジョシには企業秘密を質問したらいけないと、アガシから強く言い渡してありましたが、そこはアジョシは必死ですからノートを取り出して何かと尋ねたがるわけです。幸い、ミート社長さんが太っ腹に笑ってくださって、さしさわりのない質問には答えて下さいました。

 そこで習ったことを下記に書きます。私は産業スパイとまちがわれないようにノートなんか取らずに頭に入れましたが、古いアタマなのでインプットが悪く、間違いが多いかも。お許しあれ。

 鹿児島の黒豚は島豚に西洋のバークシャ種を掛け合わせて改良を重ねたもので、口と4本の脚の先、シッポの先と、合計6か所が白いので、「六白」(ろっぱく)というのだそうな。優秀な種と
肥育中の黒豚
なった鹿児島黒豚の母豚(ぼとん)は一回に10頭から11頭の子を産み、出産後10日位で子を引き離され、その4、5日後にはまた発情し妊娠するのだそうです。自然な受胎と人工授精と半分半分くらい。妊娠期間は4か月だったっけ?記憶力が衰えました。
 子豚は8か月で110キロくらいにまで肥育され肉となる。母豚は3年くらいは生きて年に何回か出産し、その後ひき肉にされるそうです。もちろん、母豚として営業成績のよくない雌豚は3年をまたずにひき肉だそうで。つらいなあ。

 「かごしま黒豚」というブランドは、鹿児島県の畜産業界の死に物狂いの努力によって確立されてまだそう長くない若い産業ですが、やはり絶滅の危機に瀕した時代もあったのだそうです。白豚と比べて弱いそうで、餌にもずいぶんと研究を重ねた秘密がありそうです。ブランドとしての約束事は、肉にする何か月か前からはかならず毎日サツマイモをたべさせるのだとか。ブランドの「かごしま黒豚」は二十数軒の協議会メンバーだけに許された名前で、そのほかは「鹿児島県産黒豚」だそうです。

 
こだわりの農場の黒豚
ミート社長の会社の大掛かりな養豚場を、繁殖させるところと肥育するところと2か所見せてもらって別れを告げ、もう一軒、家族だけで小規模にこだわりの養豚をやっていらっしゃるかたの農場につれていっていただきました。こちらでは黒豚たちは囲いの中で自由に走り回り、農場主の哲学を承って、アジョシは感激のおももちでした。アジョシの本日の感想は、済州島の黒豚農家はまだ基本ができていない、子豚の数もそんなに多く産めないし、
80キロにもなるともう肉に脂がまわってまずくなる、ということ。それでは採算ベースにのらないということらしいです。一から始めなければいけないと気を引き締められたようでした。

 夕方まで黒豚視察をさせていただいて鹿児島市内に戻った私たちは、ホテルにチェックインしたのち、チング社長のご案内で、鹿児島JA直営店の黒豚料理店「華蓮」に行ったのでありますよ。
養豚場で元気に走り回る生後5、6日の子豚を見て、この子たちが8か月後には肉になると聞いた時には、「一生
蒸しシャブ(牛とチキンと黒豚と)
黒豚は食べない」と心に誓った私が、3時間後には湯気のたつ「蒸しシャブ」をパクパク食べて、チング社長の会社の、昨年総裁賞を取った焼酎「桜島・黒」に酔ったアジョシとアガシとオンマと4人で、「クロブタ、クロブタ!」と連呼しつつホテルに帰ったのには、桜島もさぞ呆れたでしょう。



 翌日は私たち4人で天文館を観光し、「白熊くん」発祥の地である本店で巨大なかき氷を食べて震えあがって、そのあと、有名なトンカツの店「六白」にいく予定をギブアップしてお昼頃の新幹線に乗りました。


私のおみやげは黒
白熊くんを食べる
豚ラーメン10箱。重たいのでアジョシに担いでもらいましたさ。

 さて、帰路、念願かなったアジョシは小躍りせんばかりに上機嫌。アガシとオンマは缶ビールを飲みながら、わたしは下戸なので黒豚のおつまみだけ食べながら唐津に凱旋したのです。

 それではみなさん、うらやましかったら、ご自分でも鹿児島に行ってください。生きてる黒豚はそう簡単には見せてもらえないけど、肉なら美味しそうな店がたくさんありましたよ。「黒豚横丁」という幟がいっぱいひらひらしていますよ。

 何年か先に済州島に行って、もし黒豚が増えていたら、うれしいですね。絶滅しないでいてくれるといいですね。
 ではまた来月。おつきあいありがとうございました。


  
今月もこのページにお越しくださって
ありがとうございました。
また来月もお待ちしています。


洋々閣 女将
   大河内はるみ


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