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さて、物語は数年前に遡ります。
ある日、夢爺が宵待のお春を訪ねてきます。
「拙者はかくかくしかじかのものなれど、竹久夢二が大正7年に唐津に来て泊まった宿を探しておりまする。ちょっと、あんた、知らんかいな」
聞いてみれば、この夢爺とやらは、大牟田の人で九大工学部を出て会社に勤務、機械の設計などをしていたが、今は帰郷して大牟田にギャラリーADアートを開いているという変わった人。
宵待「知りませんねえ。夢二が唐津に来たんですか?へえ、そうでしたか。聞き捨てならんわいな。私も知りたい。教えて、教えて」
夢爺「一緒に探してくださいよ」
宵待「そうしましょう」
それから宵待は夢二が気になってたまらない。たまきさんや彦乃さんじゃないけれど、寝てもさめても夢二恋しや、ホーヤレホ。『夢二日記』(筑摩書房、昭和62年刊)も古書店に頼んで探してもらって読むと、唐津の部分は
大正7年8月12日「夜、唐津。
宿へかへると浄るりに合せた太棹が二階からきこえる。近松がすんだこの土地では特に感じが深い」
と、たったこれだけ。 う〜ん、これだけではねえ。宿を特定するには情報が足りない。
その時の夢二は愛する彦乃を京都の病床に残して次男・不二彦(明治44年5月1日生まれだから、このとき7歳)を連れて博多、唐津、島原、長崎を回っているのです。
宵待の頭には「博多屋」旅館の名が浮んだけれど、もう博多屋はないし、どう調べればいいものやら。2、3聞いてはみたものの、お手上げで、しばらく休憩。
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2年後にまた夢爺が現れる。今度は夢二が唐津で写したという写真3枚のコピーを持参。一つは鐘楼らしきもの(写真1)、もう一枚は唐津の城内地区によくある石垣の上に笹垣をめぐらせたもの(写真2)、もう一枚は石垣と古い家が写っている(写真3)。
この3枚の場所を特定したい、という。
宵待「鐘楼ねえ。どこかいな。いくつか知ってはいるけど、形が相当ちがうわねえ。町からあんまりはなれたところではおかしいし。私には分らないから、郷土史家の◯◯先生にお聞きになったら?」
ということで、夢爺は◯◯先生を訪ねることに。
結果は空振り。
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それからまた1、2年経った。その間夢爺の夢二研究は大分進み、柳川で「白秋と夢二」のイベントをやったり、夢二と青木繁のことや、夢二と近松のこと、また夢二と柳原白蓮のことなど大いに造詣が深まり、ついにこの度『夢二の旅』という著書までものされた(写真4)。 おめでたい。
けれどもまだ特定がすんでいないのが気がかりな夢爺は宵待をまた訪ねて、どうしても写真の場所を探してくれという。市役所ではわからんかった。郷土史家先生でもわからんかった。唐津市民よ、なんとかしてくれ〜。
宵待は古いことをよく知る唐津のオタク数人の名を挙げる。
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ある日、金田一少年より宵待にメール。夢爺が現れたよし。金田一少年は3枚のくだんの写真を見て、石垣の1枚を一目で特定。北城内の元栄徳屋旅館の角(現在は高取邸横の駐車場になっている)だった(写真5、6、7)。 さすが、慧眼の金田一少年。その後、少年は得意のブログと掲示板を駆使して情報提供を呼びかける。宿に関しては当時あった旅館名を調べ上げて、推理する。
第一候補は今はなき「博多屋」。その昔、森鴎外も泊まったし、五足の靴の面々も泊まった。何と言っても唐津駅前という立地条件のよさ。残念ながら数年前に解体された(写真8)。第二候補は今廃墟のようになっている「新岩井屋」(写真9)。 金田一少年はこの建物を保存したい気もあるようだが。
夢爺は、宿が洋々閣ではなかったかというが、当時まだ唐津町と満島村は合併していないし、交通の便を考えたら、アウト。二階から聞こえた太棹については、当時唐津の商家でも浄瑠璃は流行っていて、どこにも三味線はあったと、少年はお祖母様の記憶をよみがえらせつつ証言する。
掲示板にはすぐに若蘭さんから書き込みが来る。いつも金田一少年の掲示板に助け舟を送る常連客。
唐津尋常高等小学校(唐津市西城内にあって、かの辰野金吾博士の設計になる。残念ながら取り壊されて唐津市役所が建てられた。)の古い写真に鐘楼が写っているというもの(写真10、11)。で、これがピッタシカンカン(写真12)。夢爺の喜ぶまいことか。早速大牟田からやってきて金田一少年と再会。姫君のやっている大正ロマンのウナギ屋(写真13)で会食。姫君は若女将の仕事はほったらかしで夢爺の話に夢中になる。さもありなん、写真3の石垣の向うに写っていた家は、なんと、姫君が現在住んでいる家! 合縁奇縁、不思議な因縁。姫は大きな眸をさらに大きくして興奮状態。うなぎもビックリして身をくねらせていたとか。
かくして民の力で3枚中2枚を特定した金田一少年は、あと一枚の写真2の笹垣の場所が気になること、気になること。忙しい身を城内石垣めぐり。同じ石を探し出そうという計画。話を聞いた男爵もひとっ走り城内を写真を取ってまわる。若蘭さんも写真の向うにチラと見える藁屋根について物申す。横丁のご隠居は独断と偏見でここだ、あそこだと口を出す。隠密同心たちもモゾモゾと何か言いたそう。
宵待のお春はムズムズすれども身が重い。(身重ではなく、腰が重い) この夏の暑いのに、城内までもよう歩かん。金田一少年とチャット状態で話が段々それていく。探索の途中に関連して出てきた「金波楼」という旅館はどこか、また、「希望館」or「喜望館」というのもあったらしい。若蘭さんは早速明治大正時代の電話帳!をめくって金波楼と希望館を探し出すが、番地でみると、あれ、明治37年に建った高取邸の中になってしまって、謎が謎を呼ぶ(写真14)。夢二より先に西の浜に来た青木繁や、白秋、数年後にこのあたりに居た斉藤茂吉など、調べたいことが山ほど出るわ、出るわ。頭がこんがらがっちゃったよ〜。
情報があるようでないようで、さっぱり決め手がない。城内の郭内部分に藁屋根がどれほどあったか?金田一少年は郭内だと思うし、若蘭さんは藁屋根から見て下級武士の家なら、すこしはずれるのではないかと推理するし。ところがまた古い写真が出てきて、郭内にも藁屋根が結構あるんですな、これが(写真15)。で、若蘭さんも、迷い始めるし。
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そこでみなさん、私こと、宵待のお春は賞品を出すことにしました。石垣の特定に成功した先着1名様に洋々閣シャブシャブ券を差し上げます。1枚で2名様まで召し上がれます。メールに写真を添付して詳しい場所を書いて送ってください。すぐに確認して正しかったら、シャブシャブ券を送ります。同時に複数件情報があれば、1秒でもメールの受信時刻が早いほうが勝ちであります。また、夢二が泊まった宿の情報もお待ちします。こちらも特定したかたにシャブシャブ券。
その石垣が今でも残っているとは限らないけど、失われた時を求めるロマンにしばし浸るのも意味のないことではないでしょう?忙しすぎる現代に必要なこととはお思いでないかえ?
3枚の写真の場所が特定されたら、姫君と宵待のお春(写真16)は大正の着物を着てこのロマンな男たちと一緒に夢二が89年前に通った道を散歩するつもりなのです。さぞ見ものでしょうよ。一緒に歩きたい方は前もってメールを入れておいてください。日時をお知らせしますから。
「待てど暮らせど来ぬひとを」ってな事にはならないように、そこのひま人さん、協力してくださいな。
写真の大きいのや、やり取りの詳細を見たい方は、金田一少年のブログと掲示板 をごらんくださいませな。きっと、唐津がもっと好きにおなりですわよ。
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写真1 朝焼けか夕焼けに鐘楼 夢二撮影
ホタルのようなものは写真の古さのせい。
場所が特定された後に夕空だと判明。
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写真2 石垣、笹垣、藁屋根 夢二撮影
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写真3 石垣と民家 夢二撮影
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写真4 安達敏昭著 『夢二の旅』平成18年
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写真5 城内の駐車場の石垣
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写真6 写真3の石垣の部分拡大
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写真7 写真5の部分拡大
写真6と比べてみてください。
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写真8 今はない博多屋の玄関が写っている。
真中の小さい子が長じて金田一少年となる。
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写真9 壊れかけた「新岩井屋」
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写真10 唐津尋常高等小学校
大川校長銅像除幕式(昭和3年)
あれ、鐘楼に鐘がない!?
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写真11 同じ小学校 この写真のほうが古い?
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写真12 写真11の左上の鐘楼の拡大と
夢二の写真1の鐘楼部分の比較
仰角が多少違うのでそこを勘案して見てね。
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写真13 登録文化財になっているうなぎの竹屋
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写真14 大正6年の唐津町図
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写真15 城内地区に藁屋根がいくつも見える。
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写真16 宵待のお春
(アラー、洋々閣女将にそっくり!)
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