#80
 
平成18年11



このページは、色々な方にご協力いただいて、
唐津のおみやげ話をお伝えするページです。
バックナンバーもご覧頂ければ幸いです。


#1 御挨拶

おじゃがさん

唐津くんち雑記帳7
〜曳山まにあ・おじゃがの独り言〜 番外編
唐津くんちと曳山と私

by おじゃが




 みなさ〜ん、タイヘンよ〜。洋々閣のホームページに「曳山まにあ・おじゃが」さんの登場です。ゴジラが唐津湾に上陸したくらいのインパクトですよ。
 ヤマキチでくんち博士の吉冨寛さんから紹介してもらって、いつもくんちの掲示板に登場している「おじゃが」さんとお会いしましたら、思っていたよりうんとお若くて、まだ独身。優しい笑顔が印象的な青年でした。今回このページで唐津弁でアツく、くんちへの思いを語って頂きます。「番外編」と書いてあるのは、おじゃがさんのいつものページとは別、という意味でしょ。唐津弁がなつかしいかた、涙を流しながらお読みくださ〜い。唐津弁なんてさっぱりわからん、という方には、私が親切にも唐津弁辞典をつけました。参照しつつ声に出して読んでみると心は唐津の空に遊び、はるかにエンヤ、オイサの掛け声と、笛、鐘、太鼓の囃子が聞こえてきますよ。あれはそらみみ? それとも木枯らし? いえいえ、あなたの心象風景です。
では、楽しんでくれんねね〜。グリーンの文字が辞典ですよ。イラストはおじゃがさんの3歳から4歳時のお絵描き帳からお借りした曳山の絵です。3歳ですよ、すごいですね。センダンハフタバヨリカンバシ。併せてお楽しみください。

 

 皆さんこんにちは。私、ヤマを曳かないのに唐津くんちが大好きなおじゃがと申します。
何がどうなってしまったのかは判りませんが、日頃からくんちの話題でお付き合いのある今現在本当の意味での唐津最強のヤマキチさんから連絡がありまして「洋々閣の今年の唐津くんち特集の原稿を書きませんか?」との事。馬鹿な私はホイホイと安請け合いなんかするもんだから苦労しながら文章を書く羽目にあっております。






 

 自己紹介
HN:おじゃが 「独り言」連載中
昭和48年に西唐津で生まれ西唐津で育った純粋な西唐津っ子。
無駄に大きな身体で身長187cm体重0.1トンオーバー。
4歳の頃に坊主頭だったためにジャガイモ頭の『じゃが』とあだ名をつけられ小・中・高・専門学校、更に社会人になってもじゃがと呼ばれ続ける。
お陰で同級生で『じゃが』は知っていても本名は苗字だけすらも知らない奴らばかりと云う状態。
性格は何をやらせても凝り性のオタク体質。
マンガが好きでゲームが好きでお祭りが大好き。

皆さんオイんコツはご存知やろうかなしか知らんばってんがネットで唐津くんちコツ検索したらオイん名前のチラホラする事もあるごたる。お陰でコッチが知らん人でちゃオイんコツば知っとらす人の増えてから色んな人から声ば掛けらるぅごてなりました。そげんか時よぉ訊かるるコツに「ドコん町ば曳きよらすですか?」ちゅうとのあるとです。残念ながらオイはドコん町んヤマも曳いたことぁ無かとです。長か前振りやったばってんが、ヤマも曳かんでオイはなしこげんか事になってしもたか話ばしてみようかと思とります。


一番山 刀町 赤獅子
文字は「あかじしがきました」
オイんコツ オレの事
やろうか だろうか
なしか 何故か
知らんばってんが 知らないけど
・・・ん ・・・の
・・・ば ・・・を
ごたる ようである
人でちゃ 人でさえ
知っとらす 知っておられる
掛けらるぅごて 掛けられるように
そげんか時 そのような時
よぉ よく
曳きよらす 曳いておられる
ちゅうとの というのが
あるとです あるのです
無かとです 無いのです
こげんか事 このようなこと
おもとります 思っております






 オイとくんちが結びつくとは3歳くらいの話になるとです。
生まれも育ちも西唐津ばってんが小さか時からなんかなし曳山ば好きで好きでたまらん子供やったとです。当時のオイは昔あった縦長の絵葉書、今もある普通に見かける絵葉書、昔あったイラストの絵葉書の3種類の絵葉書ば手に持って近所の家に遊びにいって『裏の白か広告の無か!?』と尋ねては上がりこんで思いのままにヤマん絵ば一生懸命描きよりましたそやんか風に毎日ヤマん絵葉書ばっかい見てヤマん話ばっかい周りん人から教えて貰いよったってしょ。3歳ん時に既に14台のヤマん名前ば順番通りに言えるだけじゃ無ぅして各町内も完全に一致しとったって話は今でも親戚のオイちゃんとかに云われたりするとです。こげん憶えるとは町内の曳き子さんトコの子供さんでちゃ中々居らん思います。





小さか時 小さい時
なんかなし なんとはなく




描きよりました 描いておりました
そやんか風に そんな風に
ばっかい ばっかり
貰いよったってしょ 貰っておったのでしょう
のぅして なくて
オイちゃん おじちゃん
でちゃ でさえ
・・・て ・・・と


 ちょっと歳も上がって保育園児になってくると絵葉書からハタキに持ち替えました。なしハタキやろか?て思わす人居らすかもしれんばってんが・・・・・・当時のオイには必須のアイテムやったとです。単純に采配のつもりでエンヤエンヤ云うて家ん中ば走り回ったりブランコとかの上によじ登って高っかトコかいエンヤエンヤ叫んでハタキば振ったり・・・・・・・・・・・あとは色んな民芸品ば婆ちゃんから買うて貰いよったとです。大人ん親指くらいの大きさの木彫りのヤマ人形、小さかサイズの土人形、木彫りの獅子ヤマのコケシ、お土産の采配・・・・・・・・・普通ならヤマとは関係無か地区の子供はくんち本番からよぉ持って一月くらいしかくんち熱は持続せんとばってんがオイは一年中くんち好きやったですねぇ。

二番山 中町 青獅子

なし なぜ
やろか だろうか
思わす人 思われる人
居らす 居らっしゃる
たっかトコかい 高い所から





















 更に歳の上がって小学生の頃。西唐津小学校のオイは校区外って縛りのせいで保護者同伴じゃなからんとくんちはダメてなっとりました。しかしオイは親と一緒にくんちに行ったとは小学1年の時だけです。1年生ん時の11月3日、母親と一緒にバスに乗って大手口まで行きよったとです。そしたらバスん中に「ヤマの来よるけんがここまでしか行けません。」ってアナウンスの流れて坊主町の交差点の手前でバスは停まったとです。丁度坊主町んカドば義経の兜のお旅所ん方に曲がって行きよりました。オイは「あ!義経!!!」と叫んで何も考えんでバスかい飛び降りて独りで走っていってしもたとです。独りで満足のいくまでヤマば見てから当時母親と決めとった迷子になった時の合流場所に行ったとです。そしたら疲れ果てた母親が「もう二度と連れていかん・・・・・・」とボヤいとりました。そいけん2年生ん時からくんちは常に一人で行きよりました。時々同級生と一緒に行く事になってもヤマば追いかけ回して四六時中ヤマば見るオイに呆れて途中で別れる同級生続出やったとです
そして小学生ん頃て云うたら毎年最後はおんなじ・・・・・・・・・4日にゃ小遣いば使い果たしてバス賃すら残っとらんオイはヤマについて江川町まで歩いてくるとです。江川町まで来たら道の先に二タ子は見えとります。二タ子まで歩けば校区内で歩いて西唐津ん家まで帰れます。ところが・・・・・・・『江川町までヤマば見たら展示場に直すところば見らにゃ!』
またヤマば追いかけて展示場まで戻って江川町の扉の閉まるとば確認せにゃ動きださんやったとです。毎年そん後我に返って疲れた体ば引き摺ってぬてぬてと西唐津まで歩く羽目になりよりました。また、『そげんヤマば好きなら曳かるるごてしてやろうか?』て云うてくれる人もだいぶ居りました。

四番山 呉服町 源義経の兜
なからんと なければ








バスかい バスから
走っていってしもたとです 走って行ってしまったのです









直す しまう、納める
ところば ところを
見らにゃ みなければ

ぬてぬてと のろのろと
曳かるるごて 曳けるように














 しかし当時のオイは小児喘息の酷かけん体力の持たんけんて云うて断りよったとです。ばってんが結局3日〜4日と出発前から終了まで追いかけまわすオイは正直言うて体力に自信の無かて云う事はウソやったとです。ただ単にヤマば曳いたら一台のヤマしか見られんごてなってしまうのが嫌だったて云う理由が本音やったとです。今考えてみたら14台のうち半分くらいな曳けるチャンスのあったとに・・・・・・・と残念に思う事もあるとです。
酷かけん 酷いから




半分くらいな 半分くらいは



 その後も図書館に通って飯田一郎先生の本のコピーを読んだり古館正右衛門さんの『曳山のはなし』の余りの詳しさに涙しながら読んで勝手に心の師匠と崇めたり・・・・兎に角ハマってしもたら止まらんもんやっけんがありとあらゆる事ば見てみらにゃと日頃の巡幸コースで見た事の無か場所は無かし、初くんちも早朝のかぶかぶ獅子も毎年通いよります。遠征なんかも時間と金の許す範囲でついて回りよったし本番前の週末やら本番後も展示場の廻りば必ずチェックしてヤマん掃除ば見学してみたり・・・・・・・・ほんなごて書ききらんエピソードは山んごてあります。
そげんか訳で気がついたらどっぷりハマってくんちキチガイになっとりました。ここで普通なら『ヤマキチ』て単語の出てくるかては思います。
ばってんがオイはヤマキチに在らず。なしかて云うたらヤマキチて云うとは曳き子さんでヤマノボセじゃなからないかんとです。オイは曳き子さんじゃ無かけんヤマキチにゃなれません。そいやっけんが『曳山まにあ』として通しとるとです。
今年もくんちまで一月切りました。やっぱり今年もいたる所に出没するだろう私。
もしもこの文章を読んで頂いた方でしたら『読んだばい』て一声掛けて頂けると私も嬉しいです。

五番山 魚屋町 鯛






んもんやっけんが 止まらないものですから
見てみらにゃ 見てみないことには
ほんなごて 本当に
書ききらん 書ききれない
山んごて 山のように
出てくるかては 出てくるかとは
なしかて云うたら なぜかというと

なからないかん なければならない

そいやっけんが そうであるから


読んだばい 読んだよ









 おじゃがさん、ありがとうございました。こういうかたがいらっしゃるので、唐津くんちは続いていけるのですね。
終生ひとつのことに熱中できるって、すばらしいこと。これからもがんばってください。

 では、読んでくださった皆様、ありがとうございました。また来月。

  前回までの唐津くんち関係のページリストはこちらから。



今月もこのページにお越しくださって
ありがとうございました。
また来月もお待ちしています。


洋々閣 女将
   大河内はるみ


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