#62
平成17年5月



このページは、色々な方にご協力いただいて、
唐津のおみやげ話をお伝えするページです。
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#1 御挨拶

形見のピニョ

私の「韓流」事始

 みなさま、こんにちは。
 今月は、私の「韓流」事始でございます。
そこのアナタ、『冬のソナタ』のことだろう、と思ってるでしょ? ところがそうじゃないんですよね、これが。私の「韓流」は、もっとずっと古くて、「韓流」なんてことばは聞いたこともない時代に遡るのです。30年近く前になるでしょうか。

 そもそもの始まりは、唐津青年会議所と、韓国全羅南道の麗水市(ヨースー市)が姉妹締結をし、またロータリークラブが姉妹になり、結果的に両市が姉妹都市になったことから、民間の交流がとても盛んになったことに端を発します。韓国語勉強熱もかなり前からで、冬ソナのずっと前から韓国ドラマや映画をDVDやビデオで原語で見た、なんて人はざらにいました。唐津のバーやクラブには韓国の歌のカラオケ曲目がかなりありますよ。主人も韓国の歌のレパートリーは相当豊富です。”韓国歌謡のど自慢”なんてあれば、優勝するかも。ある雑誌の取材のお手伝いで、韓国の美空ひばりといわれるイ・ミジャさんにも会いましたし、チョー・ヨンピルさんともあっています。ちょっと古いなんて、いわないで。その古さを自慢しているのですから。
故キム・カンフン氏(左)と主人

 私がヨースーに行ったのは一度きりで、26年前のことです。主人の青年会議所での義兄弟になっていたキム・カンフン氏がまだ独身のままに亡くなったあとに、お母様に会いにいきました。お母様は息子に果たせなかった結婚式の夢を息子の義兄弟である私の主人でやりたいとおっしゃって、嫁に行った娘を呼び戻して一夜で私の花嫁衣裳のチマチョゴリを用意してくださって、結婚式らしいものをさせられました。私を抱いて背中をなでさすって、涙ながらに何かを語られました。私は何一つわからなかったけれども、死んだ息子の嫁を私に見ていらっしゃることだけは分かりましたので、一緒にオイオイと泣きました。お母様が私の顔をなでながらおっしゃったことは、私の顔が夢に見た息子の嫁と同じだというのであったと、あとで聞きました。嫁に譲るはずだった金のピニョ(かんざし)を、髪に挿してくださいました。私の韓流は、思えばそのときに始まったのかもしれませんね。
私の花嫁衣裳
左からキム氏妹、私、オモニ、私の主人


 次の日は主人の友人たちが主人をつれて男ばかりでどこかへ行ってしまって、その人たちの奥さん方3人が私を案内してくださることになり、お寺や遺跡などへ行きました。そのとき私は韓国語が一切わからず、相手の3人も日本語がわかられず、私をどうもてなしていいのか途方にくれておられたようでした。私も最初は、こんな状況に私たちを追い込んだ男達を恨めしくも思ったのですが、3人のうちのムン氏の奥様の服の胸元がなぜか濡れていてそれがお乳の匂いがするのにビックリし、ビックリしている私になんとか説明しようと身振り手振りのうちに、実はムン夫人は1週間前に出産したばかりなのに私をもてなすために赤ん坊を預けて出てきたのだということがわかって、おどろきが感動に変わり、ことばが通じなくても心は通じると信じて、とりあえず日本語でお礼をいい、英語を交えたりしながら、無手勝流の会話を展開しました。私が黙っているのが一番悪い、なんでもいいから声をださなくちゃ、と夢中でした。

ムン夫人(左)と私
 私がお寺の建物を指して「きれい、きれい」というと、3人とも「きれい、きれい」と言いました。4人の女たち(20代後半から30代前半)は、「きれい、きれい」を連発しながら、お互いの顔や、髪形や、景色や道端の花をほめあい、そのうち、すっかりうちとけたのです。夕方までには、私は、どの奥さんの子供はいくつといくつ、ソウルに家庭教師をつけてやっている、とか、この人の娘はピアノが上手とか、ダンスを習っている、とか、聞き出していました。私が「boy」というと「ナムジャ」、「girl」というと「ヨジャ」と教えてくれるといった按配でした。4人で手をつないで、歌などうたいながら山道を歩いたのです。たのしかった〜!

 夕食の時に合流した男性軍は、ほったらかされた女性軍がさぞ機嫌が悪いだろうと思っていたようなのですが、案に相違して4人とも上機嫌。私も恨みは忘れて、「ムンさんとこは赤ちゃんが生まれたばかりなのに来てくれたのよ」とかいうものですから、主人は半信半疑で男性軍に確かめ、その情報が正しいことがわかって、「お前はどうやってそれがわかったのだ」と、不思議そうでした。3人の奥様がたはご主人たちに、「日本の女性はいやな人だろうと思っていたけど、はるみさんはいい人だ」というようなことを言ったらしく、日本語の上手なムンさんが私にそう教えてくださいました。以後、ヨースーでの私の株はかなり高いようなのです。なぜそう思うかというと、その後ヨースーからJCの人たちが唐津に来られたときには、よくうちに挨拶に見えて、私に対して最高の敬意を表するおじぎをなさるからです。私自身がビックリです。

 その後長い間、唐津とヨースーは子供達のホームステイや、絵画展の交換など、次々に活発な民際交流を続け、多彩な面々が主人の友人リストに名を連ねます。私も、だれやらの好きな赤烏帽子で、韓国の文化や伝統に関心を持つようになりました。特にパンソリは好きで、『風の丘を越えて』という邦題のついている『西便制(ソピョンジェ)』は何度も見ましたし、人形劇で『沈清伝』も鎮西町名護屋で見ました。名護屋には、秀吉の出兵など日韓の関係にフォーカスを当てた名護屋城博物館があって、日韓の交流が特に盛んなのです。私たちは韓国関係のイベントがあるたびに駆けつけます。

 ところで「韓流」ということばは、新しいのでしょうか。『冬のソナタ』は韓流で、『風の丘を越えて』は、韓流ではないのでしょうか。どなたか教えてくださいませんか。「韓流」といわれる新しい韓国のドラマはみな同じようで、富豪の御曹司や令嬢、出生の秘密や、初恋、片思い、ライバル、交通事故、記憶喪失、失明、白血病、・・・整形美男・美女が大粒の涙をポロポロ流す、私ももらい泣きしながらも、自分であきれるという始末。
 その点、『大長今(テ・ジャングム)』(『宮廷女官 チャングムの誓い』)はいいですね。衣装や髪型、建物、何より料理。なんと美しい。何と豊か。木曜日10時には無理をしてでもテレビの前に座る、ということになりました。二十年このかた絶えて久しくなかった習慣です。いつも夜忙しいので、テレビを連続的に見るのはあきらめていたのです。

 
ヤン・ミギョンさん
先日主人は東京でのホテル・レストランショー(宿泊業界の見本市)に行って、思いがけずハンサングン役のヤン・ミギョンさんにお会いしたそうです。ミギョンさんはやっぱり上品できれいだった、とうれしそうでした。彼女は韓国食品の輸出促進大使として韓国料理を宣伝するためにいらしていたそうで、長い列に並んでサインをもらい、韓国語で二言三言お話して、冬虫夏草のご飯をおみやげに買ってきました。サインは主人の大事な宝物です。冬虫夏草ご飯は、もったいなくてまだ食べていません。

 そのチャングムのドラマの中で、チャングムがひそかに思いを寄せる(私もひそかに思いを寄せている)ミン・ジョンホという役人がいますが、チョンホとチャングムとの係わり合いの中で大切な役割を果たすことになる「ノリゲ」をごらんになりましたか。
 ノリゲはお守りのようなものらしく、正倉院に伝わる組み紐のように絹糸を色とりどりに組んで、チョゴリの結び目に下げたり、手提げの飾りや、柱の装飾にしたりするものです。紐だけでなく、玉(ギョク)(ヒスイとかメノウとか)や七宝、カパチ(ひょうたん)の飾りなどもついていて、チャングムのノリゲには父親の娘への気持ちで筆(かしこい子になるように)と小刀(野山で草花を取るのが好きなので)がついていましたでしょう。 日本にも、着物の付属品や、宗教的な衣装や道具、茶道では茶壷にかける淡路結びなどに美しい組み紐が伝わっていますよね。
 
 私は組み紐が好きで、この20年ほどノリゲを集めています。結構沢山持っていますよ。ダイヤモンドやルビーなどの宝石は一個もありませんが、ノリゲは幾つも持っているのです。アクセサリーとして自分で身につけることはまずありませんが、たまに手にとって眺めると、その美しさに魅了されます。深い悲しみや痛みをも編みこんだ情念のようなものを感じます。人の手によって創られたものだからでしょうか。

 今回、私のノリゲのいくつかを公開しますね。ほしい方には、差し上げま・・せん!ダメです!


何の面かご存知のかた、教えてください。

蓮の花の刺繍。

翡翠の勾玉つき。

七宝の飾りつき。

格調高い逸品。

私にそっくりな顔の刺繍。
 

 ノリゲについて、歴史とか、その名品とか、ご存知のかたは教えてください。李王朝何代のだれだれ姫さまのノリゲなんて、どこに行けば見れるのでしょうね。あこがれはふくらむばかりです。
 
 政治的にいえば日韓の関係にはむつかしいところがたくさんあります。私もためいきをつきながら新聞を読みます。胸が痛いです。でも私にとって韓国は、”外交上の隣国”ではなく、友人の多い、なつかしい、”隣町”なのです。佐賀県有田町在住の友人、ユ・ファジュン女史は、玄界(海)灘をはさんで一衣帯水の九州北部と韓国南部の人びとは”玄海人”として共に生きようと呼びかけています。

 この15年の間に私たちは3人の韓国青年をホームステイで引き受けました。その子たちは私たちの子供と同じです。韓国の長男はソ・ジャンウォン、次男はキム・デヨン、そして長女はキム・ウンジュンです。中でもテヨンは10年ほどいて、うちから大学も大学院も行きました。結婚するときには父親がいないので主人が父として列席しました。3人とも親思いの良い子達です。みな結婚していて、チャンウォンとウンジュンには子供がいます。
この子供たちが大きくなる頃には、日韓の関係は”玄海人”になっているでしょうか。見届けたいと思うのです。

チャンウォンと私たち  テヨンの結婚式で父親役の主人 ウンジュン

 今回も読んでいただいて、カムサハムニダ。また来月。
 アンニョン !
 さ、チャングムが始まる。テレビ、テレビ!




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ありがとうございました。
また来月もお待ちしています。


洋々閣 女将
   大河内はるみ


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