#6 平成12年9月  
古い家を守るということ
 ご覧の写真左は、洋々閣の大正時代のものです。そして、右下が、同じ建物で、現在屋根を修理中です。

 思えばいつもいつも、建物を守る事に追われて来ました。ためいきが出そうなお金が、修理のために費やされました。でも、それは、宿命なのでしょうね。「やーめた」って言えませんですもの。

 いくつかの棟の屋根の修理がだんだんに済んで、最後の一棟が、この建物です。白い漆喰でおさえおさえして長い間頑張ってきたのですが、ついに雨漏りがひどくなりました。黒いしっとりした瓦は、90年を経てもまだ角がキリッと立って、全然とけてなかったけど、もう昔のように赤土をしいて瓦を乗せる工法はやらなくなって、新しいやり方で軽い瓦が乗るらしいのです。寂しい思いがいたします。

 二十年ほど前に、主人の従兄弟のインテリアコーディネーター永井敬二氏の紹介で、建築家柿沼守利先生との出会いがありました。以来、辛苦困苦の家直し...。きっと古いお家では、どちらも同じ苦労をお持ちでしょう。

 幸いに柿沼先生は、「こんなもの、ぜ〜んぶ解いて新築しましょう」とはおっしゃらず、どこもここもガタのきている老人の身体をやさしく診てくださるお医者様のように、「ここんとこ、チョット湿布しましょうネ、ここは、切開して、病巣を取り除きます。あ、ここは、お注射しときましょ」って感じです。お蔭様で、随分建物が違ってきました。この分だと、まだあと百年は長生きできそうです。

 唐津市北城内にある国指定重要文化財「旧高取家住宅」は、もちろん、うちなんかと比べ物にならない立派な建物ですが、平成九年に市に寄贈されるまでは、ご当主は寿命が縮むような苦労をなさったのです。台風のときなど、唸り声を上げる建物と一緒に泣き叫びたいような気持ちでおられたに違いありません。同病相憐れむに似た友情で私はいつのまにか高取邸保存の動きにどっぷり浸かっておりました。おかげさまで平成十年に国の文化財に指定されましたので、やれやれと胸をなでおろしたことでした。

 洋々閣では、細々とではあっても、建物が自分で稼いでくれるわけですから、なおさら、延命をはからなければなりません。これから先もドクター柿沼の治療は続くことでしょう。
別ページに柿沼先生の文章を頂きました。ご覧下されば幸いです。

 古い家を守ることは、ただ単に建物を保持しているだけではなく、柿沼先生の文章にもありますが、谷崎潤一郎の言葉で言えば、「時代の垢」を持ちこたえて行く事であり、「時代の垢」を誰もが守って行く世の中になれば、時代のツケはむしろ次世代に廻さなくてもいいようになるような気がしてなりません。

 よそ様の旅館の立派な新築の建物をテレビで拝見したりしますと、うらやましい気持ちが胸の奥に湧いてきますが、そんなときは仏壇の前に座ります。なげしの上の薄暗がりから、私を睨む三つの遺影! おお、こわ。先代様、先々代様、初代様。ごめんなさい、弱気を出したりして。頑張ります。助けてください。なまんだぶ、チーン。

 そして私は、自分をなぐさめるとっておきの呪文をとなえます。「洋々閣は、家業であって、企業じゃない。この家を守るのが、私の役目。家訓その一、よくばるな」 それから私は涙をふいて(うそ)、立ちあがるのです。ちなみにこの家訓は、もともとなかったもので、その場その場で、先代様の写真が語りかけてくださるのです。とても良い家訓です。よくばるな、のほかには、あきらめるな、とか、うらやむな、とか、時々は、がんばるな、もう寝ろ、なんてのもあるんですから。皆様も、どうぞ試しに仏間に座って、ご先祖様の写真に相談してごらんなさいませ、きっと、答えてくださいます。
 
 洋々閣は家業としての旅館営業を、できることならこの先ずっと続けたいとは思うのですが、行く先の見えない時代の中で、迷子になるかもしれません。そのときはどうぞ、お客様が、助け舟を出してくださいませ。お願いいたします。
 
 では、また来月、月の美しい秋の夜に、おひまでしたら、お目にかからせてくださいませね。
柿沼守利 随想 「洋々閣雑感」 洋々閣 女将
   大河内はるみ

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