洋々閣雑感 | |||||||
updated: 1 September 2000 | |||||||
柿沼守利 Kakinuma Schri Profile 1943年東京生まれ。1967年より建築家白井晟一に師事。 親和銀行本店第3期工事、虚白庵(白井自邸)、 松濤美術館、雲伴居(遺作)などを担当。 83年師の逝去により翌年独立。 主な作品に西有田チャイナオンザ・パーク、銀座清月堂ビル、 光圓寺(福岡)、洋々閣改修、 宗像、福岡市内、下関、長崎県内で住宅を手掛ける。 |
|||||||
「われわれの先祖はいつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。もし、日本座敷をひとつの陰翳に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり床の間は最も濃い部分である。私は数奇を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光と蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。落懸のうしろや、花活の周囲や、違い棚の下などを填めている闇を眺めて、それが何でもない蔭であることを知りながらもそこの空気だけがシーンと沈み切っているような、永劫不変の閑寂がその暗がりを領しているような感銘を受ける。」と断ずるのは谷崎潤一郎であるが洋々閣ではその陰翳をいたるところで感じとることができる。 私が20年に及ぶ改修工事に際して常に心掛けて来たことは先ず、そこにある陰翳を守り、100余年に亘る時代の垢―経年変化によって齎された素材の微妙な風合い―のついたこの建物の風情をいかに残すかという点であった。 1981年、洋々閣主人の従兄弟である福岡のデザイナー永井敬二氏から部分改修の相談を受けた時には建物全体にかなりの積年劣化が見て取れた。以来、氏と共に年間の予算に応じた工事を断続的に、しかも営業をしながら進めて来ているが今以て未完である。近年、我が国に於いては年月を経た木造建築が急速に減少するなか、洋々閣のような由緒ある建物が一段と貴重な存在となって来ていることを思うと、今後の改修において近代設備の充足もさることながら、ここにある時代の垢との調和を図ることに一層専心して行きたいと考えている。程よい暗さを伴った静けさ、廊下を歩む軋み音、窓外に聴く潮騒、松籟などは、永きに亘って培われた宿のもてなしと共に訪う者のこころを和ませてくれる筈である。 |
|||||||