小島祭君と父・惣一氏 |
このページは、色々な方にご協力いただいて、
唐津のおみやげ話をお伝えするページです。
バックナンバーもご覧頂ければ幸いです。
#1 御挨拶
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#56
平成16年11月
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新潟県中越地震の被災者のみなさまに心からお見舞い申し上げます。
どうぞがんばってください。
一日も早く立ち直られますようにお祈りいたします。
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やっぱり、唐津くんちがいちばん
祭のまつり
―唐津くんち雑記帳(その5)―
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皆様、また11月になりました。
11月号となるとやっぱり唐津くんちを書かねばならぬと、あれこれ考えておりましたところ、幸いすてきな書き手を見つけました。今回の執筆者は小島 祭(まつり)君(15歳)です。名前からして、すごいでしょう?父親の小島惣一氏(陶芸家、膝芸家、笛師、礼法指南、茶道教授ほか)によると、唐津くんちの祭りもさることながら、神を祀る、人を奉る、そういう意味を含めてのまつりという命名だそうです。唐津くんちフリークのことを曳山(ヤマ)キチといいますが、ヤマキチ惣チャンの息子は赤ん坊のときから「親に似たガメンコ」と父親がうれしそうに言うように、まさしく、ヤマキチであります。
では、祭君のまつりをおたのしみください。 |
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祭のまつり 小島 祭
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ぼく達唐津っ子にとっては秋祭くんちが一番のたのしみです。一年中くんちだ、くんちだと言っている曳山キチもたくさんいます。おくんちは、又、ふるさとをはなれている人達も一年に一度の帰郷の時です。まるでお正月みたいに友人と再会をたのしんでいます。静かな町唐津が賑やかになる時でもあります。
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祭(2歳)と父 |
ぼくのおくんちと言えば、父が大の曳山キチで、曳山の漆の修理や曳山囃子の先生をしていたことで、ぼくは生まれた年(七ヶ月)から父にダッコされて、六番山大石町鳳凰丸にのりました。少し歩くようになったら、父の生徒のお兄さん達から手を引いてもらったり、曳山が走り出すとダッコして走ってもらったりして、お兄さんや父の友人の子供達と、曳山引
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父の腹にくくりつけられて鳳凰丸に乗る |
きを楽しんでいます。妹の祝(とき)も、小学校4年生のころまでは一緒に曳山引きをしていましたが、女の子は中学生になると引けなくなるので諦めましたが、中学一年になっても時々私も曳山引きをしたいと寂しそうです。
父は曳山のない町外の子供達や、曳山が好きでも引けない人達のため、新しい十五番目の曳山を作るのが夢で、お兄さん達と楽しそうに会話をします。そのために日本画や彫刻や漆や笛などなどの学問をしたんだよと言います。祭も好きなことを見つけて学問して、十五番目の曳山を制作する時はお兄さん達と手伝いなさいと言います。 まだ友達と曳山を引いてはしゃいでいるのが多いですから、まず太鼓や鉦や笛から始めようと思ってはいます。でも学生もやることが多いから困ります。
とくにおくんちが近ずいて、曳山のある町内のお囃子が始まると、そわそわしてなかなか落ち着きません。
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両親と祭 妹は母のおなかの中 |
勉強も放り出して囃子を聞きに行ったりしてます。後で考えると一番楽しい時なのかもわかりません。
くんちが来て2日の宵曳山になるとワクワクして友達と走りまわってます。今年はボクも少し体が大きくなったので、父の特別製の江戸腹・パッチを譲り受けます。いろんな所に赤糸で(刺し子)模様が有ります。それを着て”キメ”てみようと思っています。
唐津のおくんちは三月倒れに無礼講と言われていて、知
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左から2番目 妹の祝(とき) |
り合いのお家へご馳走をいただきに行きます。父のお供でお兄さん達や遠くのお客様達を案内して知り合いのお家へ行くと、その家のお客様がたくさん来ていらしゃって、挨拶をして入っていくと、「まってました」と声がかかります。おくんちの囃子を聞くことを楽しみに毎年来てる人達です。どこの家でもご馳走をたくさん作ってあります。ぼく達のグループは
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真ん中で笛を吹く祭 カッコいい〜。 |
まず礼儀正しくすること、あとあとのお客様のことを考えて少しずつ料理をいただくこと、そしてお礼とお祝いに曳山囃子をして失礼するようにしています。言葉使いや態度が悪いと注意されます。ボクは中学生になってからは友人と行動することが多くなっていますが、色んなところで「祭君も一緒に来なさいね」と声をかけてもらいうれしいです。毎年行く家ではまるで親戚のようにみなさんでお話をされます。これもおくんちのすごいとこだと思います。
曳山引きではしゃいでいると2日、3日、4日と祭りはすぐすんでしまいます。4日の夜などは曳山の通ったわだちが
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くんちに招かれて横笛を吹く父 |
残る道をみんな寂しそうに見ながら家に帰ります。祭りが終わっても4〜5日は耳の奥でおくんちの曳山囃子や太鼓の音、笛、掛け声がいつまでも聞こえています。それでみんなが思うことは、早く来年のおくんちが待ち遠しいと思うのです。
ぼく達の町唐津におくんちがあるから、人と人が知り合って仲良くしたり、曳山引きの友達が出来たり、色々なことに興味を持ったりできるのだと思います。くんちの終わった後、いつもお兄さん達、友達と今年から笛や太鼓の練習をぜったいにしようと思うのですが・・・。
秋風が吹いてくると祭りが近ずいて来ます。唐津っ子のぼくにとってはやっぱり、やっぱり、くんちが一番楽しいでぇ〜す。
2004年10月13日 小島祭 |
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祭君、ありがとう。私も祭りの後の寂しさはよくわかります。涙が出そう・・・。子供達が、どんな思いで唐津くんちに関わっているか、そして、子供達こそが、真のくんちの担い手なのだと、再認識させられる祭君の作文でした。この子たちがいるかぎり、唐津はいい町であり続けるだろうとうれしく思います。
さて、例年ご好評の「唐津くんち評論家」佐藤隆介先生の佐賀新聞のエッセイが今年も10月末の紙面に出ましたので、お許しを得て転載させていただきます。
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くんちが済めば唐津には「びったれ脅し」の寒風が吹き始めます。しまりの悪い〆サバのようなグズグズの私にはこたえますよ〜。皆様もお大事に。来月またお会いしましょう。
11月12日 追記
山曳くも囃すも縁やえんやかな
という句を高橋睦郎先生からいただきました。「エンヤ、エンヤ」と、一緒に叫んでくださってましたもの。ご披露までに。
友人の山内薬局、吉冨寛さんが「勝手に唐津くんちリンク集」をアップされています。これぞまさしく、唐津くんち、って感じの勢ぞろいです。おひまなかたはどうぞごゆっくり。
http://ww21.tiki.ne.jp/~yamauti/kuntilink.htm
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今月もこのページにお越しくださって
ありがとうございました。
また来月もお待ちしています。 |
洋々閣 女将
大河内はるみ
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