#5 平成12年8月  
槿の季節に ―韓国と唐津―
むくげの咲く頃となりました。 暑さに負けずにお元気でお過ごしでしょうか。

ムグンファは、韓国の国の花。無窮花と書くそうです。無窮....無限、永遠...。「松樹千年終ニ是朽チヌ、槿花一日自ラ栄ヲ為ス」というのを習った事がありました。どういう意味でしたっけ。どなたか教えてください。
私は若い頃は花笠むくげが好きだったけど、今は底紅か、白の一重が好き。去年50センチほどの底紅を鉢から地に移しておいたら、この夏もう2メートルほどに伸びて花もいっぱいつけています。

私、いつもこの頃になると思うのですが、鎮西町の名護屋城跡に、夏になるとむくげが一杯咲くとすばらしいのじゃないでしょうか。
博物館へのアプローチや、城跡の適当な個所にむくげがたくさん咲いていたら、訪れる韓国の方たちへの何よりの「歓迎看板」になりましょう。道路脇に植樹されたのを少し見かけたように思いますが、今年は花をたくさんつけているでしょうか。

唐津には「さくらの会」というのがあって、市民運動で河畔公園に桜の植樹を続けています。もうずいぶん増えてきました。名護屋に「むくげの会」とでもいうのがあって観光客や近くの人達がむくげを一本植えてくだされば、または、一本分の寄付をくだされば、どんなにいいでしょう。そんな運動があっていれば、教えてください。飛んで行きますから。着物を質に入れてでも3本くらい寄付したいなあ。

鎮西町に車で入っていくと、標識に韓国文字がめだちます。韓国との不幸な歴史の上に立つ鎮西町の方々が、日韓の新しい関係を模索して、名護屋城博物館を盛りたて、常に日韓交流のプロジェクトにチャレンジしておられる姿を拝見して、かげながら声援しています。いくつかのプログラムには私も参加しました。いつも何か胸に迫るものがあります。鎮西町の公民館かどこかでイスもなく床に座って見た人形劇の「沈清伝」が今も忘れられません。初めて聞いたパンソリの、のどを絞る声が耳に蘇るようです。

名護屋城の本丸跡に立ちますと、眼下に玄界灘が広がります。この海を幾万もの軍勢が押し渡ったと思うと、胸の痛みを覚えます。現在の名護屋城周辺の事情に対していろいろの問題提起もあったと記憶しています。批判もあってしかるべきでしょうが、できたら先にこの土地の人々の努力に目をむけていただきたいと願うものです。

その本丸で、毎年夏に薪能が行われます。これは、秀吉が陣中にて演能した史実に基づくものだそうですが、本丸に特設舞台をかけて、大変大掛かりなものです。
みはるかす水平線にまさに日が沈もうとするころ、薪に火が入れられて、静かに演目が始まるとき、時は後戻りして四百年の昔に返ったようでありながら、あきらかに違った意味が神々しいシテの姿から立ちあがってきます。
秀吉の能は、陣中のなぐさめであり、戦意の鼓舞であったかもしれませんが、今、大槻文蔵師が、多久島利之師が、斎藤信隆師が、全身全霊で舞われるものは、鎮魂の祈りと私には思えるのです。

今年の薪能は7月の30日でした。近づく台風6号の強風の中で決行されました。私は残念ながら行けませんでしたが、いつも大槻先生や茂山千作先生にお会いしていますので、風の中に立たれるお姿が目に浮かぶようでした。

唐津は韓国の全羅南道の麗水(ヨースー)市、済州島の西帰浦(ソギポ)市と、姉妹締結をしています。
特にヨースーとは、市と市に先立ち、市民サイドで交流が盛んになって、結果的に姉妹都市になったものです。青年会議所を中心にロータリークラブや少年の船など大変熱心な交流があって、子どもたちのホームステイや受け入れなど、ずいぶん活発に行われています。新しい日韓関係は国と国とよりも民と民とに先に始まっています。

私どもでも、ずいぶん長い間兄弟付き合いをしている友人がたくさんありますが、その中のお一人、文貞寅(ムンジョンイン)氏は、薬局経営の傍ら永い間麗水文化院の院長として歴史や文化の研究に関わられ、語学も独学で日本語、英語、さらに中国語と、その探求心はとどまることを知りません。

今回、文先生にお願いして、唐津と麗水のことを書いていただきました。別ページをお楽しみください。
文先生のホームページも訪れてください。メールを出されるときは、英語にしてください。日本語はお上手ですが、文字化けするそうです。

では、また来月お目にかかれますように。 夏風邪と食あたりにお気をつけて。   
文貞寅先生の随想 「国際交流 ねぐら(塒) 洋々閣 女将
  大河内はるみ


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