#4 平成12年7月  
虹の松原一揆
 
 
 皆さま、この写真の花が何の花かご存じですか。めっきり少なくなってしばらく見ませんでしたが、また東の浜にも西の浜にも再生してきたとニュースになった花です。 ヒントは、♪君イの名はと〜たずねし人あ〜り… 

 えっ? そんな歌、ご存じ無い? ガックリ! 世代の差を感じますねえ。
 この歌は、日本の全女性の紅涙をしぼったラジオドラマ『君の名は』の主題歌の一つで、「♪その人の名も知らず。今日砂山にただ一人来て、ハマヒルガオに訊いてみる」ってんですのよ。
いつ頃の話かって? それは、私が若いころですから、ほんのこの頃ですってば。

 さて、六月のある日、私は裏の浜へ散歩に出ました。 すぐ裏が東の浜海水浴場で、少し東へ歩くと虹の松原です。 いつ見ても、ほんとにこの景色は美しいと感動しながら、砂地を歩いていますと、足元に浜昼顔が広がっていました。(7月には花は終わっています

 口をついて出てきたのが、「♪....ハマ〜ヒ〜ルガオ〜にイーきいてエみるウ〜」...。ラジオでは、そこでナレーションがはいりました。「忘却とは忘れ去ることなり。 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」...だったっけ。

 そのとたん、です。 私の心の、【過去に戻る】のボタンがクリックされました。現れた画面は、「シャージ様」!
 私は駆け戻って、安養寺の山門にとびこみました。 安養寺は、洋々閣から100メートルほど東にある浄土宗のお寺で、善達司和尚様は郷土史家でいらっしゃいます。
 「和尚様、和尚様、私のホームページに、才治様のことを書いてくださいませ。」 和尚様は、冨田才治研究家なのです。 和尚様、ニッコリ笑って、「オー、ヨシ、ヨシ」と。

 二週間後、和尚様が原稿を下さいました。どんな写真をつけたらいいかも教えてくださいました。別ページを作りましたので、ご覧下さい。

 私のホームページごときを、どなたが見てくださっているのかわかりませんが、唐津のかたでしたら、どうぞ、「才治様」を思い出してください。 忘却のかなたから、呼び起こしてください。 もう4,5年前になりましょうか、作家の澤地久枝さんがお泊まりになって、松原一揆のことをお尋ねになり、その場で安養寺様へお連れした事がありました。 民衆の力についてとても興味がある、とおっしゃっていました。 いつか、虹の松原百姓一揆を取材したい、とも。 

 よその方でしたら、どうぞ、一度、虹の松原をお訪ねください。 そして、森林浴と、小鳥の声と浜風を十分に楽しんだあと、チラと、才治様を思ってください。 ついでに、松原内のゴミなど拾って、美化協力はいかがでしょう。 西の彼方の名護屋城の天守から、太閤殿下が遠眼鏡でのぞいて、「ホウ、ういやつじゃ。褒美をとらすぞ」と、マツボックリなんか下さったりして。 

 時は流れ、そのかみの一万五千の民衆がたてこもった松原内を、先日平成のアスリートたちがトライアスロンなる競技で駆けぬけました。 年老いた松の木たちも、砂地を踏みしめる力強い民の足音を思い出したのではないでしょうか。
『江戸時代 虹の松原百姓一揆』のページへ 洋々閣 女将
  大河内はるみ


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