唐津天満宮のウマ

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#1 御挨拶
迎 春

#22 平成14年 正月

    
唐津天満宮の「おんじゃおんじゃ
  みなさま、明けましておめでとうございます。
昨年は大変な年でございました。不安や恐怖で、胸をいためられたことでございましょう。
今年はなんとかおだやかな年になってもらいたいものでございます。唐津天満宮の伝統神事、「おんじゃおんじゃ」で、邪を祓っていただきましょう。
今月のこのページは、唐津天満宮の宮司様、八島弘直様にお出ましいただき、神事の由来を語っていただきます。
まず、唐津市船宮の古老(故)持永源治様のお書きになったものと、井出保著『唐津城 寺沢御代記』から抜書きで、唐津天満宮のご紹介を致します。

唐津天満宮は唐津藩初代の城主となった寺沢志摩守広高が築城の際、満島山(今の舞鶴公園)に祀っていた神社で、
「春来ればなほ類ひなき梅の花」 慶長十一年九月 願主 広高 という発願の歌が残っている。(「けふ立初めて見に来ぬるかな」 元和六年 十月 願主 広高)
天和五年(1619年)現在の天神山に移転、鎮座祭が行われている。広高、堅高の二代にわたって、崇敬の念篤く、毎年米七石を寄進し、和歌や連歌を奉納しているが、寺沢堅高は江戸藩邸で自ら命を絶ち、嗣子なく、寺沢家十二万三千石は断絶している。恒例の祭礼や神前連歌会は長く続いていたと言われている。特に九月の祭礼の折りには奉納相撲が行われ、大正初期まで続いた。また明治期までは、大相撲も行われ、明治四十年には、「常陸山」「梅ケ谷」の両横綱の興業があり、後の世までの語り草であった。藩政時代の天満宮の参道筋は、大石町、魚屋町など、藩を支えた豪商の町で、明治中頃は寄席「舞鶴」もあったほどの栄えた街並であった。
第二次大戦頃までは、正月七日の鬼すべと同時に「ウソ替え」もあっていた。鬼すべ、「おんじゃおんじゃ」は、現在まで守り継がれて郷土の名物となり、故郷を離れた人にとっては忘れ難い思い出となっている祭で、いつまでも続いてほしいものである。




 

おんじゃおんじゃ

唐津天満宮
  宮司  八島 弘直
 
 毎年松の内のあける正月七日の朝、七草粥を口にするとその日は「おんじゃおんじゃ」が待っている。
 町の老若男女がこの火にあたり、その燃え残りの松を家に持ち帰る。長い年月言い伝えられている「おんじゃおんじゃ」の火に当たると、病気をしない、商売繁昌とか、松の焼けた枝を屋根にあげておくと火事にならないという江戸時代から続く勇壮な新春の祭典として親しまれている。この祭は、正月の間各家庭の玄関に飾られて、年末に煤払いをして新春を迎えた各家々に、悪霊達(鬼)の侵入を防いでくれた松飾りの門松、〆縄、また一年間家庭を守ってくれた古い神符等を、生松の木を何本も組み設けられた八畳真四角の櫓の中に北向きの入り口から人々が持ちこみ、山の如く積み上げる。

 一方午後六時「火取り式」で神殿の御神火を孟宗竹の長さ1メートルの松明(たいまつ)に移し、この6本の松明を先頭にして長さ10メートル、直径1メートルの青竹を束ねた大松明を30名の火消し装束姿の消防団員が担ぎ、市内に残っている悪霊を火で追い込め乍ら早鐘を打ち鳴らし「オンジャオンジャ」(鬼だ、鬼だ)と勇ましく掛け声をかけながら境内の松の櫓へ追いこんでくる

 勿論市内を巡る時は、火は孟宗竹のほうだけについていて、大松明に火がつけられるのは、神社付近で点火される。境内には所狭しとこの大松明の帰りを待ちかねた群集の間をぬって、寒風の中を勇壮に神殿を三周した後、やぐらの中に威勢よく突っ込むと、火は忽ち中の〆縄や門松と共に寒空の中に火柱を上げる。或る程度燃えると大松明をワイヤー入りの縄で四方に張りながら垂直に立てると生竹のはじける音や回りの群集の拍手や歓声で祭は最高潮となる。天を焦がす炎はパチパチと威勢よく寒空に10メートル以上に舞い上がり、近郊からも駆けつけた人垣を照らし、この火にあたろうとする人々、燃え残りの木を取ろうとする人々でもみくちゃである。

 そもそもこの松明は「手火(タビ)まつ」といい、手に取る火であったのは「日本書紀」にも記され、ニ、三寸の短いものであった。柳田国男著の「昔の火」に詳しく述べてあるが、紙燭等では間に合わない、夜通し歩く人や山に入って狩をする者は背中に籠を負い、沢山の「手火まつ」を入れて歩いたというし、この「オンジャオンジャ」のタイマツはその中でも神にかかわる手に持つ火でなく、肩にかつぐところの最も大きなタビマツになろう。
 夜の深さ、神秘の中で火を焚き、神を招いて地上の悪霊を焼き払う火祭でもある。
 この風習は「ドンド」・「ホンゲンキョ」・「左義長」とか呼ばれ、全国各地で正月の〆縄や松飾りを焼き、この火に強い呪力を認めて一切の不浄を焼き払うとか、この火で焼いた餅を食べると病気にかからないというものと共通の火でもある。


 いかがでしたか?お正月ですから、神様のお話もいいものですね。
折角唐津天満宮をご紹介しましたので、参詣にお出でになれないかたのために、少し境内をご案内いたしましょう。


樹齢300年のしだれ公孫樹
樹齢100年になろうとする藤
新しくなった絵馬掛けに
合格祈願をどうぞ。
祭神はもちろん、天神様ですから。
その昔、天満宮の境内の、
唐津城が見える一角に、
刀鍛冶がおったそうな。
境内に残る刀鍛冶の碑
唐津藩の豪商、常安九右衛門が
大宰府と唐津の天満宮に寄進した灯篭で
もとは銅だったそうです。
天神様のウシ→
ウマと並んで、とてものどか。
少しいたんでいますが、
美しい有田焼の灯篭です。
どうぞ、いつまでも、ご神前に
みあかしを灯してください。


菅公一千年祭の碑
明治35年の建立
境内の一部に外町保育園があり、
子供たちの声が響きます。
天神様も御喜びでしょう。
  最後に、八島宮司様からのメッセージです。
孔子様にお弟子が「この世で何が一番大切ですか」と訊ねたら、孔子様は「思いやりのこころです」とこたえられました。
どうぞみなさんも、思いやりのこころをもって、一日一日を大事に過ごしてください。
宮司様、ありがとうございました。
お読みいただいた皆様、どうぞお大事に、この一年をご無事で。
またお会いいたしましょう。



洋々閣 女将
     大河内はるみ


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