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蒙古襲来 その時、唐津は ―松浦党のこと― |
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秋が深まってまいりました。さわやかな中にも、神風が吹いたりして、蒙古襲来の時期って、この頃だったのでしょうね。唐津は肥前国松浦の地、松浦党の本拠地の一つです。NHKで時宗さんががんばっていますが、ここでは前にこのページに執筆していただいた郷土史家の善達司和尚様に、もう一度ご登場いただきまして、蒙古襲来時のこの土地のお話をしていただきます。 秋の夜長に、小さな歴史紀行をおたのしみください。
善和尚様、ありがとうございました。前に書いていただいた「虹の松原一揆」のことをお読みになりたいかたは、こちらからどうぞ。 このご文章をいただいてから、久しぶりに石志(旧鬼塚村、現在は唐津市)へ行ってみました。石志は、主人の義理の叔父、故大河内嘉市(旧姓 太田)の在所です。まだなんとか元気だったころ、一日、甥や姪が集って、叔父を霧差山(きりさしやま)へかつぎあげました。脚が弱っていた叔父の書き散らしの詠草に、 古里の霧差山に今一度登らむ日のためさする細脚 という歌を見付けたからです。霧差山の上でお弁当を広げ、秋の一日を満喫しました。それからまもなく叔父は入院して、ふたたび霧差山に登る事はなかったのです。
霧差山、なんとやさしい響きでしょう。ふもとには、豊かな田園が広がります。やはり叔父の歌に、 さ霧立つ霧差山の麓辺に鍬音ひびく田にも畑にも という、誇らしげに古里を詠いあげたものがあります。きっと、叔父だけでなく、石志の人々の共通の思いだと感じます。この田園はその昔、石志兼が守り育てたものだったのですね。 ここに立って、黄金に実り始めた稲穂を見て、さわさわと通りぬける秋の風を聴いたとき、なんとも言えぬ胸騒ぎと悲しみを感じました。「蒙古軍が攻めてくる・・・」 時代を超えてそんな錯覚に襲われたのは、先日来のアメリカのテロのニュースで、戦争の勃発をおそれているからでしょうか。どうぞ、この美しい田園がいつまでも踏みにじられずに残りますように、石志兼の気持ちになって、祈ります。 こがねなす稲穂を照らす秋の陽の光あまねく村は幸おう (大河内嘉市) それでは、皆様、また来月のゲストをお楽しみに。ごきげんよう。 |
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