#129
2010年12月

このページは、色々な方にご協力いただいて、
唐津のおみやげ話をお伝えするページです。
バックナンバーもご覧頂ければ幸いです。


    #1 御挨拶



韓国の古きを訪ねて

 みなさま、こんにちは。今月はまた大河内明彦の旅行フォトジャーナルです。
94歳と88歳を抱えて身動きの取れない私のホームページ作りに協力して、あちこち一人で取材旅行してくださるご主人様に感謝しつつ原稿を入力し、写真を編集している私です。ありがたいような悔しいような。
 主人は韓国には年に4、5回は行きますが、このたびの韓国はまたことさら感激が多かったようで、自発的に原稿をくれました。どんな出会いがあったか、どんな感激があったか、どうぞお読みくださいませ。

 

韓国の古きを訪ねて
2010年10月の旅
大河内明彦


 韓国は何十回も訪れたが、いまだ行ってないところがたくさんあり、多くの韓国の友人たちにお願いしてそういうところを選んで案内してもらった。高速道路の発達が著しく、ほうぼう短時間で訪ねることが出来るようになったのはありがたいことである。

10月15日
奉元寺(ポンウォンサ)

ソウルの西大門区にあり、太古宗の総本山である。889年に延世大学の地に建てたのを1748年現在の場所に移したそうだ。コリアトラベルの李漢錫社長に連れて行ってもらい、住職・石麟哲師に案内していただいた。石住職は写真家でもあり、彼の作品の素晴らしい蓮の花の写真がほうぼうに飾られていた。また、この寺は「霊山斎」という重要無形文化財の儀式がおこなわれるのでも有名である。ぜひ一度拝見したいものだ。
大雄殿
冥府殿

石麟哲師と李社長

10月16日
修徳寺(ストクサ)

忠清南道、徳祟山の南に599年創建された寺である。1308年建築の大雄殿は国宝であり、現存する韓国最古の木造建築の一つである。一般的に尼寺と誤解されているようだが、男性の僧侶の禅宗の修業道場である。
境内から見る景色が素晴らしい。案内所には韓国に18年住んでいるという小川さんという日本人がいて、色々な説明を聞かせて下さる。
この日は私の韓国人の「息子」金大榮の運転で「唐津(タンジン)」の実家に寄り大榮の家族と会ってから、一緒にこの寺に来た。
山菜専門食堂の前で金大榮家族と
修徳寺一柱門
大雄殿側面

境内から見る周囲の景色

開心寺(ケシムサ)

修徳寺で大榮の家族と別れ、大榮と二人で象王山にある開心寺に行く。駐車場から一柱門までは大した距離ではないが、そこまで朝市のように路地に椎茸などの作物を並べて売っている。門からは石段を上って行くのだが、大雨の被害か、こわれた石段を苦労しながら登らねばならない。やがて長方形の池の所に来ると一本の木が架けられ、それを渡って寺に入るという仕組みになっている。開心寺は654年創建、1350年に重建されたと云うことだ。ゆがんだ自然木をそのままに使った建物が印象的だった。
門前の市場
彼岸と現世を隔てる池とそこに架かる橋
梵鐘閣
自然木の建物
尋劒堂は現在修理中

梵鐘閣と本堂

公州(コンジュ)

徳山温泉でゆっくりしようと思っていたが、公州のチングたちから何回もケイタイに催促の電話があり、いったんタンジンへ戻ってそこから高速に乗り公州に向かった。『日本書紀』によれば百済の第二十五代武寧王が日本の唐津の加唐島で生まれたということで、武寧王陵のある公州市と唐津市の交流が盛んである。この夜も遅くまで盛り上がり、宋錫麟公州市観光振興協会長の自宅に二晩お世話になった。
宴会のあと、公州市のみなさんと

宋会長宅の朝食
奥様はソウルで料理を教えておられる

10月17日
東鶴寺(トンハクサ)

公州は今年「大百済祭」という大きな祭りで沸いていた。私はひと月前の開会式には無理だったので、今日の閉会式に来たのだ。閉会式は夕方からなのでそれまで宋会長の車で郊外に案内してもらう。東鶴寺は統一新羅時代724年に創建された、尼僧が仏教を学ぶ為の寺である。駐車場から本殿まではかなりの道のりだが、色づき始めた木々の間を歩くとすがすがしい気持ちになる。日曜日のせいか登山客でにぎわっている。渓流に沿って食堂が並んでいる。参拝客や登山客が帰りにピンデトックをつまみにマッコリを呑むのが習わしだとか。
山門
渓谷沿いの寺への道
大雄殿前で宋会長と
研修所へ入る尼僧たち

周囲の山々を見る

永平寺(ヨンピョンサ)
蓮飯が食べたいという私の希望があって、この寺に案内された。永平寺は歴史は浅いが九節草(岩菊)が山一面に植えてあり、丁度満開の季節で、寺内でククスの振る舞いもあり、参拝客が多いのに驚いた。赤飯を蓮の葉で包んだ蓮飯と、初めて頂く白蓮の花と九節草をつけこんだ冷茶をごちそうになった。この寺ではテンプルステイもされていて、自家製のテンジャン、カンジャンも販売している。
蓮飯
周りの蓮の葉をちぎってご飯を包んで食べる
蓮花茶を囲んで住職光源幻惺師と
味噌や醤油のオンギ(甕

九節草が山いっぱい

本殿
九節草花祭りの最中だ

大百済祭(テペクチェチェ)閉会式

開会式は扶余で、閉会式は公州でと一カ月に及んだ大百済祭の閉会式を見ようと特設会場に行く。式は型通りだったが、たくさんのビニールの風船が気球のように灯油の熱で空高く飛んで行く様は初めて見る光景で面白かった。韓国には古くからそのようなものがあったと聞いて、感心させられた。
特設会場
舞台
錦江の橋の上のイルミネーション

川面に映る人形提灯

10月18日
蔚山(ウルサン)オンギEXPOと良洞(ヤンドン)
ソウルから崔二變夫妻が東公州高速道路料金所で私を拾って、蔚山に行く。「蔚山オンギEXPO」に参加して作成のプレゼンテーションをしている中里隆さんがこの日は休日だというので良洞を見学することにした。良洞は安東河回村(アンドンハフェマウル)とともにユネスコの世界遺産になったところであり、村は電柱もなく古い家々が保存の為、補修がなされていた。村の一本の道を挟んで孫氏と李氏に二分されているとのことである。私たちはとある李家に招かれて、昨日永平寺で味わったと同じ蓮花茶を同じような大きな器からくんで貰って御馳走になった。
オンギEXPO会場入り口
実演中の中里隆
良洞
李家の主(左から3番目)
中里隆(右から3番目)
崔夫妻(両脇)

李家の物置き
300年くらいの建物

10月19日
西生浦倭城(ソセンポウェソン)

崔夫妻の計らいで蔚山郡にある倭城を見学することにした。西生浦倭城は1593年加藤清正の指揮で築かれた日本式の城である。海抜133mの山頂に本城を築き、城壁の外側には二重、三重の堀を回し、城郭内部の広さは46,000坪で、韓国南海岸の各地に散在する倭城の中で最大の規模だとされている。壬辰倭乱の直後から1895年までの約300年間は朝鮮水軍の兵営として使われていたということである。頂上には見張りの人がいて、飲み水を差し出してくれた。
倭城全景
石垣
頂上

倭城から見る東海

聞慶(ムンギョン)
大邱(テグ)郊外の朴龍海氏宅で崔夫妻と別れ、午後3時から朴夫妻の案内で聞慶に行く。朝鮮窯第八代金榮植さんの父上時代まで使ったとされる古い窯を見せてもらう。小林東吾氏がこの窯で10年間仕事をしていたそうだが、窯の周辺は破片が散っていて、そのいくつかを頂戴した。金さんは日韓交流招待作家として2年前に佐賀県武雄に来られたとかで、彼の作品の井戸茶碗で奥さんにお茶をたてて貰った。山に囲まれている聞慶では6時にもなるともう真っ暗だ。帰路聞慶窯を訪ねたが当主の千漢鳳氏は京都の展示会に行って留守だった。大邱に8時過ぎに戻り朴氏の家に泊めてもらう。

先代まで使われていた古窯
朝鮮窯八代金榮植さんと
左は足踏み式の土を砕く杵
八代目夫人が抹茶をたててくださる

10月20日
安東(アンドン)

朝8時、朴夫妻の車で安東に向け出発。安東美術館での張テムク氏、申泰洙氏の絵画展に寄る。展示会の最中にもかかわらず、先輩である朴氏の命令でこのお二人が河回村を案内して下さる。安東の出身で安東を題材に描いている申さんに安東の見所を見せて頂く。
河回村がよく見えると言う芙蓉臺に向かう。洛東江を眼下に見る崖淵の岩の間を小枝に掴まりながら、一軒の屋敷にたどり着いた。私は、もやに包まれた河回村を見物しながらスリルを楽しんだけれど、朴さんはこんな冒険は二度とごめんだと文句を言っていたようだ。ヘルメット姿が良く似合ったこの家の主人はねずみ退治のためにオンドルに火を焚いていたところだった。主人の勧めで入った客室からの景色は独特の安らぎを感じさせてくれた。帰路は山道を通って戻ったが、途中チュルプルコンノリ(縄花火)の仕掛けの先端のある所を通る。この芙蓉臺は、『ファンジニ』で鶴の舞を踊るシーンを撮ったところだそうだ。
安東美術館で
右から朴さん、張さん、私、申さん
芙蓉台への入り口
私たちは左の門から入って崖の小道を選んだ
松の木の右が崖の小道入口
もやがかかった水面に映る河回村
頂上までは崖の小道を15分ほど歩く
左側は絶壁
やっと辿り着いた頂上には柳氏一族らしきお屋敷がある

客間から河回村を見る

次に訪ねたのが屏山書院。1613年、柳成龍(リュシオンは彼の13代目に当たるそうだ。)の学問所で前面に屏風の如き切り立った山を見る閑静かつ重厚な素晴らしい建物である。
立教堂から晩対楼と屏山を見る
晩対楼と西棟

復礼門
朴夫妻(両脇)、申さん、私

 韓国は率先して古いものの維持と新しい街作りの両方を使い分けながら観光立国を意識している気がする。高速道路の発達も国土面積に比して世界一だとか。しかもそこを走る車からは緑の山や平地ばかりで、人家をあまり見かけない。底力のある国だとうならされる。
このたびの旅でまたもや韓国人の懐の深さ、暖かさを身体全体で味わったように思う。帰って来てまたすぐに行きたくなる国、それが韓国だ。私の韓国病はもはやぬきさしならぬ膏肓に入っているのだろう。


 

 いかがでしたか、主人の一味ちがう韓国旅行は。友人のおかげでほんとにいい目に会えますね。私もチャンスが訪れたら絶対一人で韓国に行かせてもらいます。皆様が証人ですよ!

 ではまた来月。来年は景気が少しは良くなるといいですね。いいお年をお迎え下さい。

今月もこのページにお越しくださって
ありがとうございました。
また来月もお待ちしています。


洋々閣 女将
   大河内はるみ


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