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宵山準備中 |
中町は、唐津市の中心部に位置し かつては、朝市なども並び生鮮食料品を中心に“唐津の台所”として栄えてきました。
その町内が、1番曳山・赤獅子(刀町)に遅れること5年、文政7年(1824)に唐津神社へ奉納したのが青獅子です。
青獅子は、ひいき目に見たら耳も立って凛々く思えるのですが、他の13台の曳山と比べたら小ぶりで軽く、色彩も地味で目立たない曳山だと思います。
実際、もし私が何の知識も無く並んだだけの曳山を見て「どれが カッコいい?」と尋ねられれば多分 他の曳山を選ぶでしょう。
しかし、 中町に住むからにはそう言う訳には行きません。
唐津くんち前は勿論のこと 一年中、中正会(中町の若者会)や町内の先輩方と酒を酌み交わしながらいろんな話をしたものです。
「曳山を何故作ったんだろう?」 「小さいなら小さいなりに、軽いなら軽いなりにその特徴を生かした青獅子らしい曳き方があるはずだ。」等など いろんな議論を重ねてきた結果「青獅子を中心に囃子、曳子、カジ棒が一体となってまるで一つ
の意志を持っているような曳山を目指そう」との結論に達しました。
いかに青獅子に我々の魂を入れ込むか、いかに躍動させるかが勝負です。
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吹き出し |
唐津くんちは、11月2日の宵山で始まります。
11月 2日、早朝から夕方にかけて ほとんどの町の曳山が唐津神社横の展示 場から各町内に曳山を持ち帰り宵山の準備を始めます。しかし、青獅子だけは展示場で日が暮れるのを待ちます。夕方4時30分ごろ、揃いの曳山装束に身を包んだ曳子たちが満面の笑みを浮かべながら集合してくるのです。唐津っ子にとっては、一番の楽しみな一時かもしれません。
唐津神社横で宵山の準備をし、唐津神社でお祓いを受け出発に備えます。
午後6時。辺りが暗くなった頃、中町の囃子方の中で最高の腕を持つ子の“吹き出し”と呼ばれる笛の前奏の後、一発目の太鼓の「ドーン」という轟音と同時に青獅子に取り付けられた提灯が一斉に灯され、闇の中から幻想的な青獅子が浮かびあがり観衆のドヨメキと歓声があがります。青獅子が一年間の眠りから覚め、我々の気が青獅子に入った瞬間です。威勢のいい囃子と曳子の「えんやぁ~」のかけ声に包まれ、曳き方や かじ切りの感覚を取り戻しながら約一年ぶりに青獅子が中町に帰り町内の人々の歓迎を受けた後 一旦提灯の灯を落とし宵山本番に備えます。
宵山の出発前、1番曳山の赤獅子が出発点で待機し、辺りがザワメキ始めた頃、中町の町内は真っ暗。青獅子から先ほどの“吹き出し”の音色が聞こえ、一発目の太鼓の音とともに今度は、青獅子の提灯だけでなく町内各所に取付けられた約200個の提灯が一斉に灯り青獅子を鮮やかに浮かび上がらせます。
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中町を出発する宵山 |
くんち期間中家で料理を作り客をもてなし接待してくれる女性軍とともに青獅子の演出を楽しむのです。
その後町内を往復し宵山出発の定位置につき本番を迎えます。
赤獅子に続き東へ巡行し少し慣れた頃に最初の難関がやってきます。東端の鋭角の角 いわゆるヘアピンカーブを曲がりきらなければなりません。ここを元気良く曲がってこそ青獅子です。ここが腕の見せ所と言うやつなのです。まずは、囃子方がテンポと勢いを作り、子供達が元気よく走って角に突入します。そのままの勢いで一般の曳き子が続きます。その速度を台車附近の元綱と呼ばれる曳子と台車の前に座ってブレーキをかける根綱と呼ばれる若者が微妙に調節し、最後は曳山の癖を熟知したカジ棒が力をあわせ舵をきり走り抜けます。これが上手くいったときに達成感と一体感が生まれるのです。こうして子供から大人まで町内が1つになって喜びを分かちあえる事が 我々の誇りであり自慢なのかも知れません。
脊中でヤマを押しながら
足をふんばる根綱の男たちは
ブレーキとして曳き子の命を預かります。 |
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こうして11月4日の最終日に曳山を格納するわけですが、その時に青獅子が楽しそうに優しく微笑んでくれているように皆の目に映った時こそが 町内が1つにまとまった最高のおくんちであり最高の一年だったと思え、また次の一年間の元気をもらうのです。
町内の思いを1つにし、楽しみを与え、人と人のつながりを持たせてくれる青獅子を誇りとし自慢に思う。これこそ 先人達が曳山を作った目的だったのかも知れません。こんなにも素晴しいものを作ってくれて伝えてくれた先人に感謝し、また 後輩や子供達にもこの伝統と思いをしっかり伝えていかなければならないと思います。
皆さん、11月2日から4日の唐津くんちに、是非 青獅子の躍動を見に来てください。
http://www.youtube.com/watch?v=9O5rdgIRW5M
http://www.youtube.com/watch?v=nH8KGmEPMzU
点灯の様子は、上のyoutubeで見る事が出来ます。
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