#107 2009年2月 |
このページは、色々な方にご協力いただいて、 唐津のおみやげ話をお伝えするページです。 バックナンバーもご覧頂ければ幸いです。 #1 御挨拶 |
旧唐津銀行 只今修復中です |
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こんにちは。 お元気でしょうか。 今回は以前に募集しました唐津に関するエッセイで、福岡市の内野様より寄せられたものを載せます。だいぶ前、昨年の初秋にいただいておりましたが、遅くなりました。その点をご理解の上、お楽しみくださいませ。 |
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唐津には不思議な縁があります。そして洋々閣にも。それは十数年前、確か図書館かどこかで名護屋城跡の薪能のポスタ-を見てからです。早速見に行きました。広大な天守閣跡の眺めの良い広場に舞台が設けられ演じられた能に「なんと言う贅沢さ・・」を感じました。東京とかじゃ絶対に出来ない。
唐津の町自体もなんだか駅を降りたとたんに時間がフッと緩やかに流れ出し体全体が弛緩して心がホッとして妙に懐かしくて、商店街をゆるゆると歩きなんだか何処かからおいしい匂いがしてきてそのにおいを辿っていくと古い木造の3階建てのうなぎ屋さんがあって、立派なレンガ造りの建物が東京駅を建てた唐津が誇る日本の建築家辰野金吾先生の作品*だと後でわかって唐津が好きになりました。*(女将註:辰野博士監修で設計は田中実氏の旧唐津銀行です)
その日は晴れていたのに、しばらく歩いていたら、向こうからゾクゾクと白いものが押し寄せあっと言う間に本当に乳白色と言うのはこんな感じだと<思うくらいの霧にかこまれ、ほんの1メ-トルも見えない不思議な空間に閉じ込められました。五里霧中とはこんなものを言うのでしょうか。ひんやりした空気の中、かすかに波の音を右手に感じ、地面の道すじをたどって行くと、ふいに霧の中から犬を連れたおばさんが現れて、唐津まであとどのくらいですかと尋ねて。なんだかイギリスの荒野を歩いているような不思議な体験でした。
それから、旧高取邸へ行ってそこで高取伊好翁を知ったのです。私の生まれは佐賀の多久です。祖母は多久の聖廟のすぐ近くに住んでいました。伊好翁が造った西渓公園もすぐ近くで、何年か前に墓参りのあとで訪れた時、銅像の前で「高取何某? 炭鉱王 ふ~ん・・」ぐらいしか思っていなかったです。というのは小学校1年の時に福岡に越してきて佐賀の偉人とは知らなかったのです。その旧宅の保存に尽力されているとホ-ムペ-ジを見て始めて知ったのです。古い建物に興味があって、今年から邸内を見学できるようになったと知り、是非見に行きたいと思っていたのです。やはり日本の家は良いですね。手間を掛け時間を掛け、じっくりと造られた家は良いですね。良い建物とは決して奇をてらった建物ではなくてそこに住む人々が「これは崩してはいけない・残しておかなければいけないな」と思わせる建物が<良い建物なんですね。 内野様 ありがとうございました。10月にはまたおいで下さいました。私どもは古い宿でございまして、なんのとりえもありませんが、こうしてお客様が戻って来ていただくおかげでなんとか暖簾を守っております。どうぞ時々思い出してお出かけくださいませ。 お読みいただいた皆様、ありがとうございました。また来月お目にかかります。お元気で。
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