平野町の通りを東から見る

このページは、色々な方にご協力いただいて、
唐津のおみやげ話をお伝えするページです。
バックナンバーもご覧頂ければ幸いです。


#1 御挨拶
#105
2008年12月

平野町・町田川・・・玄海町
「唐津の思い出」




皆様、こんにちは。
12月になりますと、さすがに冷えてまいりました。インフルエンザの予防接種はなさいましたか?どうぞお体に気をつけてください。
今月は以前に唐津に関する原稿を募集しましたところ応募してくださった寺田さえ子様の文章をいただきました。故郷への思いあふれる唐津散歩をおたのしみください。平野町や玄海町が出てきますので、平野町は写真は私が写しに行きました。相変わらずの写真下手をおゆるしください。玄海町は写真をお借りしました。




唐津の思い出
寺田さえ子


 私の本籍地は、幸いな事に婚姻をしていないので「佐賀県唐津市平野町0000地」です。結婚をし

老舗の島田菓子店

ている弟もこの地に本籍をおいています。父は玄海町、母は、唐津市の出身です。二人の出発の地が平野町という訳。這い這いをする頃まで、住んでいた家は、今もちゃんとあります。あの辺は、あんまり変わってないから、ほっとします。

 次にいたのが、母の実家からホンの1分くらいの町田川側の
2階家でした。道路をはさんで母の実家です。それからはっきり家の記憶がある母の実家の離れに移りました。父の仕事が、うまくいかなかったからです。

100年以上続く藤松眼科

私は、8月生まれで、その年の10月に母方の祖父がなくなっています。写真の祖父は、つるぴか頭で、大きい顔です。祖父を知っている人に「まあ、そっくり」といわれる事が多く、幼いながらあまり嬉しくはなかった事を思い出します。でも、2歳下の弟の手を引き墓に遊びにいってました。向かいの墓地が、立派で、テーブルと椅子が、石で作ってあり、眼下を通る汽車をながめたりしてました。今年のお彼岸(3月)に偶然そのご家族にお会いしました。初めて。このお墓に行く道も立派な道路ができ、あの頃の私は、危なくていけそうもありません。
 

町田川

 私の小学校入学時、単身の父と一緒の生活をすることを母が、選択しました。それから、40数年山口県で、暮らしています。が、わずか6年間暮らした場所ですが唐津は忘れることの出来ない場所です。

 蜆取りをしていて、満潮になり近所の人に助けてもらった町田川。線路の向こうの公衆浴場。おばあちゃんと米つきに行ってた農協。はじめて、お使いに行った角のお店、お味噌を百匁買いに。祖母の家の前にあった赤レンガの塀の大きな家。角に牛小屋のある家。そして、おばあちゃんの鶏小屋と畑。・・・。今年のお盆も歩いてきました。(りんりんご)





 寺田様、有難うございました。昔は唐津くんちの曳山の幕洗いの行事は町田川を溯って船遊びをしていたようですが、土砂の堆積で浅くなってしまっています。今はシジミをとる姿もみませんが、シジミ、いるのかしら?
玄海町も懐かしいところでしょうね。お墓もおありになるとか。玄海町のうつくしい棚田の写真をどうぞごらんください。
2007年の玄海町のフォトコンテスト最優秀作品です。

最優秀賞:『棚田暮色(ぼしょく)』園田輝男さん(佐賀市)


寺田様は昭和幼稚園の第一回の卒園生です。当時のお友達が思い出してくださるように、卒園写真をお借りしました。寺田様は前列右から5番目です。ご自分がうつっている方がありましたら、洋々閣 女将にお知らせください。ふるさとは遠くにいればなおさら大切で懐かしいものでございましょう。寺田様の唐津への思いを受け止めながら、今年はこれでおわかれです。来年も良い年でありますように。



今月もこのページにお越しくださって
ありがとうございました。
また来月もお待ちしています。


洋々閣 女将
   大河内はるみ


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