#15      2001年 6月

このページは、英文で先に書いたエッセイをこどもたちのために日本語にしたものです。
             表現法がちがいますから、できるだけ英語のほうで読んでください。  

                                                                   ENGLISH


瀬戸口先生に「やめ!」は、無い。

―癌に打ち勝った空手家―





古い友人の瀬戸口道男氏は空手家です。日本空手松涛会八段であり、全日本空手道連盟の七段です。

今月は、私のホームページで瀬戸口氏を紹介します。
氏の「カーマ」(気とか運命などを示す東洋的なことば)で勇気付けられればいいですね。


瀬戸口道男氏は1941年(昭和16年)、瀬戸口正之とユキの夫婦に次男として唐津で生まれました。父は故人で、愛情深い母ユキさんは現在92才で、道男氏と一緒に住んでいます。
兄廣之氏も空手の先生で、東京のいくつかの大学で空手を教えています。

氏の家族は、35年連れ添った理解ある妻和子さんと、娘二人(綾子さん、小夜里さん)、息子一人(武宗さん)で、彼も空手をやっています。かわいい孫が4人います。

唐津東高校を卒業後彼は法政大学に入り、13才で始めていた空手を熱心に極めました。法政大学の空手部はやはり唐津出身の松涛館空手道の先生によって創立されたものだそうです

.法政大卒業後、氏はアメリカに渡り、しばらくの間空手を教えます。それから、マルテイニック(カリブ海に浮かぶフランス領の島)、パリ、スイス、ドイツ、台湾、と、道場を巡ります。それはまるで「武者修業」のようだと、私は思いました。

1971年に唐津に戻った氏は、唐津商工会議所に入り、25年の勤めの後2000年に退職しました。
現在氏は、空手道 松涛拳心館道場の館長です。また、長松公民館でも教えています。

私は、ある日、長松公民館を訪問し、生徒たちに会わせてもらいました。こどもたちは、先生の静かな「はじめ!」という声に会わせて「かた」を練習していました。


こどもたちが強く、すばやく手を突き出す時の空気を切る音以外にはなんの音もしないで、足さばきも軽く優雅で、大きな音も立ちません。

その日会った中で一番小さな子は、中山優貴君で、私の質問に答えてくれました。
「うん、ボク空手好きだよ。先生も好き。やさしいから」。

大きい子たちは言いました。「先生はスゴク厳しい。たいがいはね。だけど時々ムチャクチャやさしい。空手は好きだよ。空手は身体と心と両方強くしてくれるから。ボクたちの目的?うーん、初段になること。それから、全国大会で勝つこと」。


8時になって、先生が「ヤメ!」と言いました。こどもたちは、正座して、正面と先生とお互いとに3回礼をして立ちました。

こどもたちは、私にもサヨナラを言ってくれました。ここに、こどもたちの瀬戸口先生へのメッセージを書きます。かれらは恥ずかしくて先生に直接には言えないのです。

「先生、いつまでもボクたちに教えてね。一生懸命やるからね、約束するよ」。

それから中学生の黒帯の子たちからマルテイニックの生徒たちへのメッセ−ジも頼まれました。
「ハーイ、マミとアヤカです。わたしたちは唐津でがんばるから、みなさんもそちらでがんばってね。いつか日本に来てください。いっしょに空手をやりましょう」。







マルテイニック!
それは18年前に瀬戸口道男氏が大腸癌の大きな手術後自分を取り戻した奇跡の島なのです。


三十年前の空手の生徒の一人、アレン・ブランシュ医師が手術後の瀬戸口氏に島に来てしばらく療養するようにと招待してくれたのです。
瀬戸口氏はこの好意を受けて、当時17才の娘綾子さんと共に島を訪れました。

カリブ海の太陽とマルテイニックの海は彼の心身を癒し、瀬戸口氏は再び屈強の空手家として日本に戻ってきたのです。




18年が過ぎ去りました。今度は、アレンさんがひどい交通事故に遭ったのです。

今年の2月、瀬戸口氏は再びマルテイニックを訪れました。アレンさんを見舞うためです。アレンさんは、快方に向かっていました。瀬戸口氏はアレンさんが早く全快することを祈っています。

マルテイニックでは、18年前のときのように、全島から120人もの空手の生徒たちが瀬戸口氏の指導を受けるために集まりました。
.今回は息子の武宗氏(4段)とその友人近藤氏(2段)が教えるのを手伝いました。
「次は二年後に戻ってくる」と約束を残して、3人の空手マンはマルテイニックを去りました。


瀬戸口氏は再び唐津で教えています。
彼の空手の道は、厳しくつらいものだったにちがいありません。
けれども私たちの知る瀬戸口氏は全く優しい静かな人です。髪とヒゲが白いため、年よりふけて見えますが、ほんとうのサムライのようです。
彼が打ち勝ったのは癌ではなくて、おそらく彼自身であったのではないでしょうか。和子夫人は常に黙って夫の背中を見守ってきました。もしかしたら、瀬戸口道男氏にとって本当の「センセイ」は、和子夫人だったかも知れません。

私が「今後のご予定は?」と尋ねると、瀬戸口氏は「生涯空手!」と答えました。
「そして、もし状況が許せば、死ぬ間際の息の下で、オーイ、道着を取ってくれ、といいたいもんだね」。

和子夫人は笑みをたたえて言いました。
「はい、ここにありますよ、と渡しますよ」。


              
その日がくるまで、瀬戸口道男氏には、「ヤメ!」はないのです。
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