#2  May 2000  
            思ふこと胸にあまれば友と来て藤の垂り房見れど寂しき         塩谷きく
 
  このお歌は、昭和三十九年に唐津新聞社から発行された、梅崎数馬著「玄海国定公園 松浦潟 史蹟名所 観光案内書」の中に見つけました。何か胸に来るものがありました。お歌は多分本の発行よりずいぶん前のものではないでしょうか。
 
 塩谷きく様は、主人の母の唐津高女時代の親友でいらっしゃいました。母は四十代で亡くなりましたが、きく様は御長命でした。洋々閣で催されるお茶会にお出でになるときには必ず母の仏前にお花を供えてくださいました。おやさしい、美しい方でした。

 この、唐津城の藤を詠まれたお歌の、友というのは、もしかしたら母ではなかったか、そんな気がして、それからこのお歌は藤の時期になると私の胸によみがえるようになりました。楽しい気分ではなく、つらい時にお読みになったということが、藤の花に陰影を与えて、以来、唐津城の藤は私にとってはより深い美しさを増したのです。

  唐津城の藤は、城へ上る石段をたくさん上って、中段にあります。五月の初旬が盛りです。中段の奥の方に白フジの棚があり、こちらは少し遅れます。唐津城の上段へはエレベーターがあるのですが、中段へは裏の坂道の急傾斜を登って途中から未舗装のガタガタ道をがんばれば、車イスでも出られます。付き添いがあればなおいいでしょうね。いつの日にか、もっとらくに上れるようになることを祈ります。
 藤の花ことばは、「あなたを歓迎します」です。ぜひ、歓迎してもらわなくっちゃ。

 石段と歌といえば、先ごろとてもすてきな出会いがありました。旅館の女将冥利につきるのは、こういう時です。私だけではもったいないので、お話しましょう。
 
 三月の二十一日でした。カナダの詩人マイケル オンダーチェ夫妻がお泊りになりました。大学教授でもあり、小説も書かかれますが、1992年にブッカー賞を受賞した「イングリッシュ ペイシェント」は映画化されて1996年にアカデミー賞9部門を獲得したことを覚えていらっしゃる方も多いでしょう。
 
 たまたまその日は満月でした。私は詩人をおもてなしするために紙折敷に、「外にも出よ触るるばかりに春の月」と、中村汀女の句を書きました。オンダーチェ氏は私の下手な字を喜んでくださり、句の意味を聞くとサッと立ち上がって縁側から庭へ降りられました。おりしも、不思議なほど大きい黄色い満月が、うちの庭に群生する樹齢二百年の老松の上に触れるばかりに近く浮かんだのです。それから私に短歌や俳句のことなどいろいろな質問をなさり、不勉強の私は青くなりましたが、それでもやさしく丁寧に一緒に回答を探すようなお口ぶりで、春宵一刻はまさに値千金だったのです。

 そのうち、メモ帳からなにやら書き写して私に示されました。
        「Of all the numberless steps
                                  Up to my heart,
                          He climbed perhaps
                                  Only two or three.」
 これは日本の詩歌のアンソロジーから見つけた与謝野晶子の歌だとおっしゃいました。この歌のオリジナルを、私に墨で書けとおっしゃるのです。晶子の歌は、高校で習った幾つかしか知りません。明日朝までに調べることにして、あとはカナダの話や生地のセイロンのことなど穏やかにお話下さって、その宵は更けました。

 さて、晶子の歌ですが、ある歌人にSOSを出して助けていただきました。
        「数しらぬわれの心のきざはしをはた二つ三つ彼や登りし」    春泥集

 おかげで私のミミズのようなお習字は光栄にも、海を渡ったのです。そこでお願いですが、そういう時は書いてあげるのに、と思う方はご連絡ください。私のゴーストライター(ゴーストカリグラファー?)になっていただいて、いざというとき、助けを求めます。 晶子の歌に対して別の翻訳を考えられるかたはお知らせください。オンダーチェ氏にお取次ぎいたします。

 オンダーチェ夫妻は翌朝幾つかの予定をキャンセルなさって昼までゆっくり縁側に座っていらっしゃいました。それから相知の鵜殿岩屋の石仏と仁比山神社の石の猿を見て長崎に行かれました。
 私の手元には、オンダーチェ氏のサイン入りの詩集と、氏が墨で書いてくださった詩の一節。それから、この家を守るお守りにと下さったエスキモーアートの石の鳥。そして詩情と余韻・・・。 どんな詩か興味のあるかたはメールをください。あまり長くなるのでここには書きませんので。

文学少女のなれの果ての女将は、うっとりしているひまもなく、これからモンペに着替えて、タスキ掛けです。また今日もお客様からどんな素敵なお話を聞かせていただけるかと、楽しみにご到着をお待ちしております。それでは、ごきげんよう。
ps 「洋々閣の料理について」、「隆太窯のご案内」、「高取邸を考える会」のページを新設しました。
     
     いろいろメールでご親切に教えていただくので、少し上手になりましたでしょ?
洋々閣 女将
大河内はるみ

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