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隆太窯と隆太窯ギャラリーのご案内

Information about Pottery of Takashi Nakazato


中里 隆 あれこれ
     

ご報告

第139回  隆太窯コンサート

芝  能  「葵上」

日時: 2000年9月25日(月) 午後6時30分
場所:唐津市見借 隆太窯


今回の芝能は、いつもの大槻文蔵先生、宝生閑先生、藤田六郎兵衛先生、
多久島利之先生、斎藤信隆先生、赤松禎英先生、三島久太郎先生、
山本博道先生、宝生欣哉先生、守屋由訓先生、清水皓祐先生、茂山茂先生、
寺沢幸裕先生、武富康之先生のほかに、特別ゲストとして、
作家の中津文彦先生のお話しがありました。
中津先生は、江戸川乱歩賞受賞者で、主に歴史小説を書いておられます。
1999年10月25日 実業之日本社発行の『平家慕情』を、お読みください。




佐藤隆介著 『日本やきもの旅』より

中里隆。 唐津らしからぬ豪快奔放な野性味。
楽しみはクラシック音楽と、うまいものと、毎晩の酒、という仙人風の陶芸家。料理の腕も玄人はだし。


 陶卿にはたいてい陶磁会館と称するものがあるが、唐津にはない。(洋々閣 註:現在は、アルピノ会館が出来ています。) だから唐津にどんな作家がいて、どんな作品をつくっているのかを手軽に一望することができない。

 中里太郎右衛門、中里重利、中里隆の三兄弟があまりにも飛びぬけて大きな存在だから....(中略)...。ことほどさように唐津人にとって中里一族は絶対的な誇りということだろう。

 中里三兄弟の中で、中里隆は最も特異な存在である。 この陶芸家の唐津はあまり唐津らしくない。 唐津の典型は優しくて温か味のある絵唐津ではないかと思うが、中里隆の南蛮唐津あるいは唐津南蛮と呼ばれるものは、豪快奔放にしてあくまで男性的な焼き〆(やきしめ)で、唐津焼としては破格である。 それが何ともいえず魅力的だ。 中里隆の陶房は唐津の町はずれ、見借(みるかし)という珍しい地名の山懐にある。 その昔、ここには名を海松橿(みるかし)という土蜘蛛(つちぐも)が棲みついていたのを大屋田子なる者が天皇の命によって誅滅した......と風土記にある。 (洋々閣註:肥前風土記 海松橿媛という女性の頭領は、大和朝廷に滅ぼされました。)見借は実にのどかな山里で、風もなく四季温暖。 山の斜面は一面のみかん畑と段々田んぼになってい、清流には川蟹が遊んでいる。洋々閣主人の話では「隆さんちの蟹めしは唐津一」ということだったが、その蟹は邸内の小川で獲れるのだろうか。

 中里隆。昭和十二年生まれ。 十二代太郎右衛門の五男。 もともと勉強は大嫌いでデザイナーになりたいと思ったこともあったが、入れてくれる学校がないのでやむを得ず身近なこの道に入った....とご当人はいう。  昭和三十六年、早くも現代日本陶芸展で第一席受賞。 昭和四十二年からアメリカ・オハイオ州ウエズリアン大学に講師として渡米。そのあと欧州、中近東、東南アジア、沖縄、韓国を巡る。 こういう経歴の持ち主として外国人との交際が広く、「最初はぎこちなかったけれどいまは会話もペラペラですよ」と洋々閣の主・大河内明彦はいった。

 昭和四十六年から種子島に渡り、西之表で種子島焼を始める。中里隆独自の唐津南蛮の誕生である。
 「種子島へ行ったのは、小山富士夫にお前行けといわれたから。 向こうに三年いた。 焼〆が自分の性に合った。だからいま唐津にいても、いかにも唐津風なものはほとんどつくらない」
 
唐津に帰り見借に築窯したのが昭和四十九年。 小山富士夫が「隆太窯」と命名した....ということになっているが果たしてどうか。 (中略)

 イエス・キリストかインドの修業僧かという風貌は、非常に繊細で傷つきやすい内なる自我を隠すための一種のよろいではないかという気がする。 読むことも書く事も、人前で話すことも、全部だめ....というのも、学者肌の長兄とは正反対の方向へ意識的に自分を位置づけようとしているからではないのか。 隆太窯の門口にむずかしげなラテン語(だろう)が記されている。 「金を持ってこの門より入れ」の意味らしい。 いかにも中里隆らしい洒落というべし。




   交遊抄          唐津の仙人      
          
       大槻文蔵 (おおつきぶんぞう 能楽師)  1998.12.10日本経済新聞より転載

 唐津の陶芸家、中里隆さんの仕事場にはいつもバロック音楽が流れている。 音楽好きが高じて自宅で始めたバロックのコンサートは今年で二十年になるそうだ。 私は、中里さんの自宅の庭で毎年九月に開かれる「芝能」に出演するようになって十年ほどになる。
 工房の前に広がる芝生にはちょっとした段差があり、高くなったところで能を舞う。 山あいで、周囲には畑が広がり、ネオンや街灯など人工的なものは何もない。 必要最小限度の明かりだけで上演する。 能舞台や薪能とは違った新鮮な感じがする。 私は毎年、芝能を心待ちにしている。
 夫人の邦子さんが、私の門下で唐津出身の多久島利之君に謡いを習っている縁で中里さんと知り合った。今では、芝能の時以外にも、九州で舞台がある時など時間を割き、中里さんのご自宅にお邪魔する。
 たまに陶芸を教えてもらうのだが、中里さんは「ちょっと失礼」と言って、窯のそばにある長いすで昼寝を決め込む。 自宅に設けられた茶室では、お点前でお茶を頂くとすぐに「これからは気楽にやりましょう」と言って自分から足を崩す。
 豪放で何をしても人に嫌な思いをさせない不思議な魅力を持った人だ。 私は中里さんのことを「仙人」と呼んでいる。 人間国宝だった唐津焼の名人、故・十二代目中里太郎右衛門さんの五男で、人には分からないような苦労もあったに違いないが、そんなことはみじんも感じさせない。私も中里さんのように自然体になれたらと思うのだが、なかなかそういうわけにはいかない。
      
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