このページは高取邸の修復に際して文化財建造物保存技術協会から現場に赴任された太田英一氏に連載していただくエッセイです。随時更新していきたいと思っています。




高取の記憶
太田英一 (文化財建造物保存技術協会)


工事見学会にて床下の説明をする)
その2 (平成19年12月記)

 

ごあいさつ

 第1回のお話から随分と間があき、本当に2回目があるのかと思われていた方もいらっしゃるのではないでしょうか?第1回以降、いろいろな出来事がありました。2回目のネタを箇条書きにしたまま日付だけは例年に無い遅い秋の落葉のように、ある日当然一度に落ちてしまったようです。そうこうしているうちに、高取様と情報交換する機会に恵まれ、そろそろと思っていたところに洋々閣の女将から原稿の督促が!!あまりのタイミングの良さに、どこかにカメラがあるのではと思った程です。
 さて、前置はここまでにして、前回に引き続き、私の拙い記憶の旅にお付き合い下さい。

五右衛門の名に恥じぬ五右衛門風呂釜

 あれは現場に着任してしばらく経った年明頃だったでしょうか。高取家住宅には附属の建物が多くあります。これらも主家と同時進行で修理したのですが、家族湯殿の五衛門風呂を修理する時のことです。かつての調査の時に風呂釜を見た記憶があり、職人さんに聞いて回ると何処かで見たと皆が言うのです。ある職人さんは倉庫と言い、ある職人さんは何処かの建物の裏だと言う。何も無い敷地で捜すのなら問題無いのでしょう。しかしながら、敷地は広く、主屋を含め附属建物は多い。おまけに修理のために保存小屋や工作小屋を空いている敷地に建てた上に、修理用足場をまるで最近よく目にする現代芸術さながらに架けたものだから手に負えない。取り外した材料を保存小屋に保管していたから、風呂釜もそこにあるのではという尤もなご意見も。これは、誰もが思いながらも口にしなかった現実であり、皆で屋捜しするべきかという結論に達した。
 今、修理を終えて、家族湯殿にはちゃんと風呂釜が納まっている。見付かった風呂釜を釜跡に納めたところ、水抜き孔も基礎も完全に一致した。見付かった風呂釜は、奇跡的にも家族湯殿のものだったのである。

 では、何処にあったのか?大盗賊石川五右衛門よろしく隠れ潜み、皆をやきもきさせたこの風呂釜。きっと大事なものだろうと思った職人さんが、雨風に晒されないようにと、きちんと大切に保管して、あんまり大切に保管しすぎて当の本人も分らない状況になったのです。

 何処にあったかですか?私が間借りしていた現場事務所の下屋軒先にきちんとシートに包まれていました。そう、毎日何度となくその脇を歩いていたのです私は。


 積ん読が生み出した復原根拠と古写真と最新技術が導き出した答え

 皆さんは、「積ん読」という言葉を御存知でしょうか。よく書物を嗜み読み通すこと「通読」ではありません。本は好きだけど読み通す暇というか根性がない。単に本の背が一杯見えれば心穏やかで居られる。従って、本屋さんに行くと、ついつい買い込み、これが古本屋さんだと最悪で、「これは何かの御縁。ここで買わなければもう一生涯会えない。」という強迫観念に駆られる。これはもう病気でしょう。こうして本棚に並んだ、後で冷静になった時に何故買ったのかと思う本から、あの時決定的な復原根拠が得られるとは、うちの家内でも気付かなかったでしょう。

 それはある部分の形状を確認するべく、古写真に写ったその部分をパソコンに取り込み、画像修正なるものを試みていました。最新技術というものに全く疎い私が、使い方も分らず紐のついた鼠と戯れている時でした。本来求めていたものと違う何かが見えたのです。それは渦巻のような花柄のようなもので、何処かで見た記憶があるのです。

 それから2、3日、周囲の皆は普段考え事と無縁な私が頭を抱えているのに一抹の不安を感じていたかも知れません。頼り無い記憶装置が答えを導き出すよりも、答えの方から目の前にやって来るとは、私は運が良いのでしょう。大きさが30センチ程の真四角なそれは基礎工事に先立ち行なった発掘調査から出て来たのです。現物が、つまりは答えが出れば、いかに私の記憶装置が悪くても、積ん読の中から目当ての本を見付け出すのに2、3日費やせば大丈夫。こうした機会に積ん読の本に目を通し、晴れて復原根拠を得ることが出来たのです。まさに積ん読と古写真と最新技術から導き出したもので、1つでも欠けていれば得られなかったものなのです。

 実際に何処にそれがあるのかは高取家住宅に足を運んで頂き捜して下さい。1度で駄目なら2度3度と通っていただき、つぶさに見て回れば見付かるかも知れません。そう、貴方の足元に。

杉戸絵や建具の配置

最近の建物ではまずありませんが、古い建物では時々あります。何があるかというと、あちらの建具がこっちに、こっちの建具があんな所にといった具合に、建具の配置が変更というか、変わってしまうことです。こうしたことが、そんなに頻繁に古い建物で見られるのかと疑問に思われる方々も多いでしょう。実は結構あります。従って、文化財の調査では必ずと言っていい程、建具の配置や種類についても修理と合せて調査されます。どうも納得がいかないと思われるのは、最近の建具が頭から離れないからです。古い建物に使われる建具はアルミサッシのように、ネジを外さなければ取り外し出来ないものと異なります。勿論、例外はありますが、多くは障子や襖を代表とする取り外しが容易なものがほとんどです。とすると、永い年月の中で建具の配置が変わってしまう可能性があるということです。
 これでも納得出来ないと言われる方々も時々居られ、見学会の時に説明させて頂くのは、昔はよく見られた大掃除の光景を思い出して下さいということです。これで大凡の方は納得して頂けます。

 古い建物での大掃除をしたことも無ければ、光景を見たことも無い?今はそうした時代になったようです。古い建物での大掃除。畳を干すために(最近では干すような畳もめっきり減りましたが)邪魔な建具が取り外されます。障子は紙を貼り変えるために、この時だけ子供が穴を開けることを許されるのです。

 掃除がほとんど終り、最後にいつも問題になるのは一体何か?そうです。外した建具をもとに戻す作業です。どの建具が何処に納まっていたのか?建具に何処の誰兵衛と書いてある場合はまだ良い方です。部屋名だけや名無しの権兵衛となると、同じ形の建具をとりあえず記憶を頼りに戻すのです。運悪く、私のように記憶装置が頼り無い家だと、あれよこれよで違う場所に。そして人は恐ろしいもので、そうした変化に順応し、見慣れるとそれが始めからそこにあったと思うのです。こうして、建具配置の変更は、古い建物ほど代々受け継がれ、100年も経って文化財になる頃には調査に入った修理技術者を悩ませるようになるのです。

 さて、古い建物でも、高取家のように大きくて、建具の枚数が数えるのも嫌になる程多く、また、季節によって建具を入れ替えるような建物ではどうなるでしょうか?ましてや美術工芸品のようなものがあり、宴席やお茶席、偉い方々の来所に合せて変更することまであると正直お手上げ状態となります。

 これに手を付けたのが苦労の始まりでした。そもそも、文化財の修理でやらない訳にもいかず、いつかは始めなければならなかったことなのです。私が現場に着任した時、既に保存小屋に大切に保管されていた建具達。少しずつ現場に納まっていく中、何かがおかしい。取り外しの時に付けられた場所を示す札の通りなのに、建具を閉めたら隙間がある。逆に狭いものがある。1つの部屋で同じ形の建具が納まるものが異なっている。押入の建具なのに内側にも引手がある。そして、最も困難を極めたものが杉戸絵でした。これも他の建具同様に、修理着手時の場所に戻すと建具として納まっていないものが出てくる始末。古写真と納まりから推測し、市役所や県並びに国、さては博物館の絵画の専門家まで総動員して難題に挑んだのでした。

 現在、こうした建具達は、さも当たり前のように納まっています。ですが、ここに至るまでに色々なドラマがありました。こんな私にお付き合い頂き、ドラマに出演して頂いた方々に本当に感謝しています。そしてそのドラマの裏方として、私の思い付きから出た一言のために、建具1つ1つを現場と照らし合せて確認する作業にご一緒して下さった職人さん達にも感謝しています。「あの時はまんまと私の口車に乗せられてしまった」と苦笑いされていましたが、多分、その随分前から、そして現場が終わるまで(一説には今でも)、快く私の口車に乗って下さったことを忘れることは出来ません。あの時の私を支えて下さった全ての方々に御礼申し上げます。

第2回を書き終えて

 今回のお話は短編集の様になってしまいました。修理現場に携わって頂いた方々が出演者として登場し、私の拙い物語に華を添えてくれています。こうした方々の存在無しに高取家の修復は完成を見なかったのであり、本当に感謝しております。今後とも、この連載をお許し頂く限り、皆様の快いご参加願う次第です。ともあれ、私の記憶装置は元来性能が悪く、忘れていたり、間違っていることもあろうかと思います。それについてはご容赦願い、何時か再会した時、出来れば宴の席で、酒の肴に記憶修正をして頂ければ幸いです。

 最後に、本当に連載をお許し頂き、2回目のお話を掲載させて頂けますことを、洋々閣大河内女将に御礼申し上げます。

                           続く

高取邸関係目次へ戻る