最後に |
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我が家に「永久保存」の書簡があることは、父が亡くなる(約40年)前に聞いていました。 その後 |
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山崎猛夫先生の郷土史研究会に入会し歴史の勉強をする中で、ふと思い出し屋根裏より引っ張り出しました |
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これは兄である喜太郎氏(当時役場の書記)が弟金之助氏に対する思いから、金之助自らが出した書簡まで |
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発信先より回収し「永久保存」としたものと思われます |
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明治35年12月発会の徳須恵青年会の約40人のメンバ-が、この2年後の明治37年には次々に戦地へ出向いています |
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従って、同じ世代として、若き青年同志が現況を確認し励まし合っていたものと推定します |
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また、故郷に残るものは、青年会活動をしており当時の北波多村や徳須恵の状況が記述されており、貴重な |
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歴史(祇園・水害・病気・作付)を知る書簡でもあります |
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氏名別文書番号にもありますように筆まめな方は、刻々と変わる状況を我が家の父惣助 並びに 兄喜太郎へ、 |
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2年の間報告してくれています |
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本件には「小林徳一」氏の書簡を17通と「徳須恵青年会」書簡3通を載せていますが、これを見ても判る通り、 |
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久留米に入隊後(訓練)北九州から韓国を経由し中国へ行く様子、そして 戦地での戦闘が赤裸々に |
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(私事 今□□敷□ノ戦斗二従事シテ 敵弾一発モ命中セズ 実二楽敷 今日ヲ送リ居候)書かれています |
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残る青年会のメンバ-が、出征軍人の家族の心配をしている状況も報告しています |
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残念ながら 「小林徳一」氏はその後戦死されています |
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他にも、「前田儀三郎氏・井手満太郎氏」などの心に残る書簡並びに唄(詩)もあります |
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現在に生きるものは、過去を未来に繋ぐ責任があります。「永久保存」 すなわち 110年前の若き出征軍人の思いを |
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未来に活かすことではないかと思います |
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楢 ア 幸 晴 |
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